佐々木とキョンの驚愕第1章-1

 第一章


 話は一ヶ月半ほど前に遡る。桜はまるで始めたばかりのジグソーパズルのように木に花がついているだけでかなり散り始めており、
 路面やそのあたりあちこちに桜の花びらがそよ風で舞う季節。
 希望と不安に満ちた高校生活やあのハイキングコースのような通学路にもそろそろ慣れ始めた頃である。
 北高には俺の興味をそそるような部活はこれといってなかったし、寝ている時に耳からコーラを注がれるような出来事もまったくあるはずもなく俺は漫然と過ごしていた。
 この日の朝もいつもの様に目覚ましと我が妹の二段構えで叩き起こされ、ようやく寝床から這いずり出る。
 階段を降り母親にもっと早く起きなさいと聞きなれた文句を聞きつつ洗面所に向かい、身支度を済ませ朝食を食べてから学校の支度をしていた。
「キョーンくん。早く学校行かないとおくれちゃうよー」
 朝聞くにしてはちょっとした騒音にもなりかねない声で呼ぶ妹とともに俺は家を出ると、
 そこにはいつものように如何にも待ってたというわけではなくゆったりと立ち尽くす佐々木がいた。
「おはよー佐々木さん」
「よぉ佐々木」
 春に似つかわしい元気な声と倦怠感溢れる冴えない声で挨拶された佐々木は控えめな笑顔を返していた。
「やぁキョン、そして妹さんおはよう。今日はちょっとしたジョギングになりそうだね。少し肌寒いから体が暖まってちょうどいいかもしれない」
 いつも悪いな、俺がもう5分早く出ればこんなことにはならなかったろうに。
 しかし朝の貴重な時間の5分という睡眠時間は何事にも変えられないのはお前も分かってくれるよな。
「じゃあ僕が余分に待った5分は貴重な朝の時間に入らないのかい?時は金なりというじゃないか」
 まことに正論だ。余計な言い訳はこいつには通じないどころか反撃を食らってしまうのをすっかり忘れていた。
「すまん、気をつける」
 この一言を予想していたかのようにくっくっと佐々木は笑った。
「そういう素直なところはキミの長所だね。僕としても言葉を送った甲斐があるというものだよ」


 それからどたどたと転んだら怪我をするくらい元気よく走り去る妹を見送った後、俺達は足早に学校へと向かった。
 佐々木は肌寒いと言っていたが昨日と同じく天気は晴れており雨など降る気配は全くなさそうだった。
 更に運良く信号につかまらなかったため、早歩き程度で済みそうなのも俺にとってはささやかだが喜ばしいことだ。
 とはいってもいつものように佐々木の小難しい話を聞いたりする時間の余裕はほとんどなく、
 俺達は交わす言葉少なめに学校に辿り着きいつもの教室いつもの席についた。
 ちなみに俺の席は教室の一番奥、窓際の一番後ろで佐々木がその前だ。
 机に漬物石のように重かった鞄の中身を入れ終えたとところで俺は目線を前にあわせると佐々木が振り返ってこちらを見ていた。
「ふぅ、肌寒いとはいえ急いであの通学路を通るとやはり暑いね。
 今日はキミに僕が読んだ本の中でよかったものを話したいと思ってたんだが残念ながらそんな時間はなかったようだ。
 これはまた明日の楽しみに取っておくことにするよ」
 俺はここ最近本など読んだ記憶がないぞ。折角の話も馬の耳に念仏を唱えるようになると思うんだがな。
 そんな俺の考えを読み取っているのかいないのか佐々木は表情は目を細め悪戯っぽく微笑んでいる。
 顔色は暑いといってたためか薄い桜の花のような色をしていた。
「ずいぶん暑そうだな。大丈夫なのか」
「生物学的にみてキミと僕の性別は違う。男性であるキミのペースは女性である僕にとっては少し厳しいものだったらしい。
 世間一般的に見てもほとんどの女性は男性より体力面で劣ってしまうから、僕がこのような状態になるのも不本意ながら仕方ないのさ」
 俺でもかなり疲れる通学路だからな。軽く体育の授業の1限くらいには匹敵する道程だ。
 運動神経が悪くはないとはいえ佐々木には結構堪えたらしく俺の胸に罪悪感が芽生え始めた。
「朝から結構な運動につき合わせて悪かったな。後で飲み物でも奢らせてもらえないか」
「中々気が利くじゃないか、キョン。別に通学路ひとつで大層なことじゃないから気にしなくてもいい、
 と言いたい所だがキミのその仏心を無駄にしないためにもひとつ僕に飲み物を買ってもらうことにしよう」
 そういいながら佐々木は俯いて笑いを堪えていた。


 その後朝のホームルーム、担任岡部のいつもの挨拶を聞きその日の授業が始まった。
 俺はというと春の陽気に誘われ睡魔と戦ったりグラウンドで賑やかなんだかだるそうにしているのか微妙な体育の授業を受ける生徒を眺めたりと、
 要するに授業なんざ筒抜けで聞いていたわけだ。そんな感じで過ごしていればあっという間に昼休みになるわけで。
 さっきまでの教室の空気がまるで鳩の群れに人が走りこんだように消え活気付いている。皆思い思いの席で飯を食うものもいれば食堂に行くやつもいる。
 俺は今日も変わり映えしないメンバー谷口と国木田と飯を食う予定だったのだが…
「キョン、今朝の約束を果たしてもらおうか」
 佐々木がこんなことを言い出してきた。
「別に俺は構いやしないが何も今じゃなくていいだろう。俺が飯を食う時間がなくなっちまう」
 まぁ急いで食べればそんなこともないだろうが。
 だが学校の中でも放課後の次くらいに貴重な時間をカラスの行水のようにただ飯を食うだけで済ませてしまうような過ごし方はできればしたくはない。
「じゃあその問題が解決すればいいんだね?簡単じゃないか、食堂に食事を持ってきて僕とキミと一緒に食べれば済む話さ。
幸い僕は今日は食堂で食べる予定だったし、お昼で食堂が混みあってるとはいえ一席くらい拝借しても大丈夫だろう」
 いきなり何を言い出すんだこいつは。普段一緒に食う奴がいるだろう。
 そいつらを放って俺と食うなんてそんなに飲み物が欲しいのだろうか。
 まぁ飯に飲み物はかもとねぎくらい相性のよいものだし必要といえば必要だが。
「普段一緒に食ってる奴に悪いんじゃないか?飲み物なら帰りにでも奢ってやるし今欲しいなら金だけでも渡しておいてもいい。
だからいつもの奴らと食っておいたほうがいいぞ」
 そう言って俺は小銭を出そうと財布の中を確認している途中佐々木はこう言った。
「ちょっと聞いて欲しいことがあってね、是非キミの意見を伺いたいのさ。実を言うと飲み物よりもこっちが本題なんだ。
放課後の帰り道春の夕暮れや、通学路の遅咲きの桜を楽しみながら話しても良いんだが出来れば早急に対処したい」
 その言葉に反応した俺は顔を上げた。佐々木の顔は少し笑みが残っているものの普段とは違いすこし神妙な雰囲気が漂っており、
 どうもそれなりに真剣な話になりそうな気配を醸し出していた。友人と呼べる奴の頼みは俺としてはできるだけ協力をしてやりたい、
 それが身の回りに近い奴や世話になってる奴なら尚更だ。
「わかったよ、じゃあ行くか」
そういうと佐々木は控えめに微笑み俺の顔を何やら興味深くみていた。
「助かるよ。ありがとう、キョン」


 こうして俺は佐々木と昼飯を食うことになったわけだ。普段一緒に食ってる谷口と国木田に理由を話すと、
 谷口はにやけているのか馬鹿にしてるのか気色悪い表情で「ごゆっくりー!」と
 頭にチューリップを咲かせていますと言わんばかりの台詞を言いやがった。
 国木田はというと目を細め微笑みながら俺を見てわかってるよと言わんばかりに頷いてるし、
 こいつらは揃いも揃ってアホな想像をしてるに違いない。
 弁明するのも時間の無駄だし意味がなさそうなのでアホ二人組を教室に残し俺達は食堂に向かった。
 食堂に向かう途中もかなり混雑しておりそのほとんどが皆同じ方向に進んでいた。
 確かにそれなりに安く味もそこそこに美味いのだが食堂が混む一番の原因は親が朝を優雅に過ごすためにその対価として昼食代を子供に渡しているのだろう。
 たった数百円で朝の時間が大幅に増えることを考えればこれは大変有意義なものと考えられる。
 同じ立場に立てばあの諸葛亮孔明すらこの案に賛成してくれるに違いない。
 そんなことを考えながら半分行列のようになった廊下を歩き食堂にたどり着いた。
 食堂内は更に混み合っており注文の声と生徒の和気藹々とした声が混じりまるで商品が競られている河岸市場のようになっていた。
 佐々木は席が開いているか周りを見渡している。
「ちょっとここに来るのが遅かったようだ。ちょうど二人で座れる場所があるといいんだがね」
 数学の授業がチャイムが鳴っても終わらなかったからな。
 吉崎の奴はサッカーでもロスタイムがあるように授業のロスタイムがあるとかなんとか言っていたが、
 そもそも吉崎自身が進めていく授業で時間のロスは吉崎の責任だろう。
 サッカーと違い途中で交代する奴もフリーキックやコーナーキックがあるわけがないんだしただでさえ退屈な授業なんだ、
 自分のミスで俺たちにまで付き合わせないで欲しいもんだね。
「僕はこの行列に並んで昼食を選ばせてもらうよ。その間キョンが空席を探してくれると嬉しいんだが頼んでもいいだろうか?」
 俺の片手には飯があるからな。席の余裕がそれほどないのに食堂の売り上げに貢献しない俺が席を座ってもいいものか少し後ろめたいが気にしないでおこう。
「席を探してくるからちょっと待ってろ。見つかったら声をかけにここに戻るからな」
 そう言い残し俺は暑苦しく並んだ行列を離れ席探しに旅立った。


 運良く早食い競争でも参加しているように昼食を済ませた体格のいい運動部らしき生徒3名が席を空けたのでそこを陣取ることに成功した。
 丁度その席は食堂の角の席であり話をするのにも絶好のポジションといえる。
 朝の信号待ちといい今日はついているようだ。どことなくくだらないことで運を使ってる感じが否めず、
 どうせなら宝くじでもドカンと当たってくれないもんだろうかと考えていると佐々木の姿が見えてきた。
 行列からやっと解放された佐々木を労いながら合流し俺達は席に着く。
「中々いい場所が開いていたんだね。これからもキミに場所取りをしてもらおうかな、どうだろうか?」
「勘弁してくれ。こう毎回忙しく食堂に移動して飯を食うのは性に合わん」
 流石に弁当を持って二人で食堂に来るのはこれっきりにしたいもんだ。
 佐々木と二人でいるところを同じクラスの奴に見られると谷口や国木田のような反応をする奴が多いので誤解されないようにしたいしな。
「で、話ってなんだ。さっきの様子を見る限り真剣な内容なんじゃないのか?」
 そういうと佐々木は目を閉じ柔らかな笑みを浮かべながらこう言った。
「まぁそう急がなくても大丈夫だよ、キョン。幸い話は昼食を食べてからでも十分間に合う内容なんだ。
 それに食事をするときにあまり話しながら食べると行儀が悪いじゃないか。
 大事な話だし食べながらではなくしっかりと食べ終わった後で話をさせてもらいたいんだ」
 流石だな佐々木、俺の周りにいるとは思えないほど出来た人間だ。
 食事中ナンパの戦術やいい女と出会うにはバイトをすれば一石二鳥などと熱弁を揮い
 騒ぎながら食ってる谷口とは太陽とミジンコくらいの違いがある。佐々木の爪の垢を飲ませてやりたいね。
 こうして俺達はお互いほとんど会話せず15分ほどで飯を食べ終えた。
 流石に食べることに集中するとすぐ食えるな、まだ半分ほど昼休みの時間は残っている。これならたいていの話ができるだろう。
 俺はアイスティーとアイスコーヒーを買いに行き、佐々木にアイスコーヒーを手渡しながら尋ねた。
「ほらよ。話の内容をそろそろ教えてもらおうか」
 佐々木はしばらく俺が渡したアイスコーヒーを見つめていたが、何かを決意したように前を向いた。
「飲み物感謝するよ。話なんだけどその前に聞きたいことがあるんだ。キミは橘さんという人を知ってるかい?」


「知らん。誰だそれは。」
「一年九組の女子生徒さ。下の名前は京子さんというんだ」
 一年九組というとたしか進学クラスだ。
 北高の学力はそれなりのレベルだが頭がいい奴は進学校レベルくらいの実力はあるからな。
 そういうのを集めたクラスなんだがまだ入学して1ヶ月も経ってないし、
 俺の周りにそんな優等生など袖どころか空気すら触れ合う距離にいない。
 いや…一人いたな、目の前に。
「残念ながらこの話に成績のことは関係ないんだ」
「じゃあこの話に橘京子さんがどう関係あるんだ?」
 佐々木は目線を下げ自分の手を見ながら、
「この橘さんに一昨日大事な話があるといわれて呼び出されたのさ」
 一昨日というと佐々木が用事があるから先に帰っておいてくれと言った日か。
 あの時たしか友人に誘われて部活見学に行くといってがその友人が橘京子なる人物なのだろうか。
「その推理は残念ながらハズレだね、キョン。僕は橘さんとはその時が初対面だったのさ」
 初対面で佐々木のことを呼びつけたとなると一体何の話なんだ?
 色々考えてみるが俺の頭で名探偵シャーロック・ホームズやその助手ワトソンのような名推理をするにはF1レースに自転車で出るくらい無理がある。
 精々事件の真相を語る名探偵の推理を聞く観客側の人間が妥当だ。
「その初対面でいきなり突拍子もないことを言われたのさ。期限の過ぎたノストラダムスの予言を今更信じろというくらいのね」
そう言いながら佐々木は手を握りそのまま口の前に当てながら肩を揺らしていた。
「なんて言われたんだ?」
「僕は神様で世界の創造主らしいんだ」


思わずアイスティーを吹き出しそうになった。
「ごほっ、ごほ!…すまん何だって?」
 吹き出しそうになったものを強引に飲み込んだため気管に入ってしまったようだ。
 しばらく咳き込む俺を佐々木は笑顔を見せながら
「くくっ、まぁ落ち着きたまえ。キミの言おうとしてることはよくわかるさ。
 僕がキミの立場なら心療科に連れて行って病気療養を勧めるだろうしね」
 胡散臭い新興宗教創始者のような台詞を佐々木が口走るなんていったい何事だ?
 頭が優秀な奴ほどおかしな宗教に誘惑されたりすると新聞で見かけたがまさか佐々木もそういうタイプなんだろうか…。
 もしそうだとしたら面倒だが俺が体を張ってでも止めなければならないだろう、友人だからな。
「面倒なことになるとわかってながら助けるというのは実にキミらしいな、キョン。
だけど僕もこの話は微塵も信じてはいないのさ。考えてみて欲しい。
同じ学び舎で勉学を学んでいるとはいえ親しいどころか面識すらない人間にいきなり呼び出されあなたは神です、
と言われてキミははいそうですねと信じられるかい?」
 そんなもん信じる奴は催眠術にでもかけられてるに違いない。
 どうも俺の心配は取り越し苦労になりそうで正直かなりほっとした。
「それを橘京子がお前に言ったのか?」
「そうさ。しかも彼女の様子や言動から見てもどうにも本当のことを言っているつもりらしい」
 もし本気で言ってるとしたら俺は顔も知らない橘京子の人間性を疑うね。
 佐々木が神様で世界を作ったって?いったい何を言い出すんだ、橘京子は。
「僕も最初は危ない宗教に勧誘されてるのかと思ったんだけどね。
流石に僕が神様だという説は今まで僕の脳裏に過ぎったことが無かったんだよ。
空想として考える分には興味深いものだし最後まで話を聞かせてもらったという訳さ」
 よく落ち着いていられるな、俺だったらそんな余裕は無くどうすれば断るか必死であれやこれやと考えてしまうだろう。
 内心早く終われと思いつつ作り笑顔で話を聞く自分の姿が容易に想像できる。


「そうやって最後まで話を聞いて僕はこう答えた。
 あなたの話はとても面白いから小説にすればきっといい物書きになれるよってね」
 佐々木がそういうなら橘京子は才能がありそうだ。
 まだ高校生になったばかりとはいえ俺が読むような軽い小説から広辞苑のような分厚い本まで読み漁っているからな。
 ひょっとすると佐々木の一言で自分の才能に気づき将来一角の小説家になるかもしれない。
「すると彼女は証拠を見せますと言ったんだよ。ただあなたに見せるのは今は不可能だから信用できる人を連れてきてと言われたわけなんだ」
 佐々木に見せるのが不可能で俺になら見せれるのはどういうことかまったく意味が分からん。
 仮に俺がそれを見たとしてどうしろというんだ?
「というわけで僕はキミにその役をお願いしたいのさ。多分橘さんは断ってもまた僕に声をかけ同じような話をするだろう。
僕としてもそれは少々困るわけなのだよ。関係の無いキミを巻き込んでしまうことは大変申し訳なく思うんだがひとつどうだろうか?」
 悪いが出来れば遠慮願いたい。そんな変人とは関わりたくないしこういう話術は俺より国木田あたりのほうが得意だろう。
 国木田ならお前と合わせて橘京子を言い負かせるかもしれないぜ。
 それを聞いた佐々木はこちらを向き皮肉を浮かべた表情をしながら
「ほぅ、冷たいじゃないかキョン。先ほど面倒でも体を張ってでも助けてくれるというのは嘘だったのかい?
キミは捻くれた事を言っているが嘘をつく人間だとは思わなかったよ」
 ぐうの音も出せん。我ながら墓穴を掘ってしまったようだ。
 俺は下に俯き深い溜息をつきながら、
「わかったよ。俺の体の張った姿、しっかり目に焼き付けてくれ」
「くっくっ。頼りにしてるよ、キョン」
 その姿を見た佐々木は爆笑を堪えたような表情をしながら静かに笑っていた。

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最終更新:2007年12月04日 11:09
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