背中に私の視線を感じたのか、キョンは記号やら文字やらをノートに書き写す手を止め、イスごとくるりと振り向いた。
「どうした? 佐々木」
「えっ、あ、ごめんよ。なんでもない」
「いま、俺のほうを見ていなかったか?」
「うん、少しキミに見とれてしまってね」
「そんなにおだててもなにも出ないぞ」
「おだててるわけじゃないよ」
「そいかい」
そう言いながらも、キョンは小さく笑いながら、再び机のノートに向き直った。
彼は塾で寝過ごしてしまった講義の板書を移す作業に追われていた。
中学校3年のいつからか、彼と私は一緒に塾へ通うようになった。
学校ではあまり話すこともなかったが、塾を通して、私は彼との親睦を深めていった。
高校は離れてしまったが、今では、互いの両親公認の、恋人同士だ。
「ねえキョン、クリスマス・イブはどうするんだい?」
「そのことなんだが……ハルヒのやつが24、25日はSOS団強制参加イベントだ、って言い張ってな」
「ええっ、クリスマスなのに?」
さすがに私も困惑した。クリスマス・イブと言えば冬の恋人たちにとって最大のイベントだ。
去年は高校受験で忙しかったため、クリスマスどころか正月もないような状態だった。
そういうわけで、今年のクリスマスこそはキョンと2人で過ごせると思っていたので、私はがっくりと肩を落とした。
「すまないな。断ろうとしたんだが、ハルヒの両親がインフルエンザで入院することになったらしくてな……どうみても最近空元気だったんでほっとけなかったんだ」
「そっか…それは…しかたないね」
「佐々木はイブの予定は?」
「キミに会えないのなら、家で大人しく留守番かな。お母さんもお父さんも仕事の予定があるって言っていたし」
「クリスマスに仕事とはお前の親も大変だな」
「どうしてもその日は休めないって。クリスマスだからね、会社での地位を考えると仕方がないのかもしれない。しかし、つまらないな
うちにはサンタクロースも来ないし……ビデオでも借りてきて、一人でケーキを食べることにするよ」
「お前はまだあの赤服のひげじいさんを信じているのか?」
「サンタクロースは子供の永遠の憧れだよ、キョン」
私の憂いを帯びた声に気づいて、キョンはようやくノートから目を離した。
「小さな子供ならわからんでもないが、もうサンタクロースをうらやましがる歳でもないだろ?」
「それはそうなんだけど……僕の家には、サンタクロースが来てくれたことが一度もないんだ」
「サンタが来ないって、お前だって小さいときは、クリスマスの朝突然現れる枕もとのプレゼントに大喜びしていたんじゃないのか?」
「いいや、僕の家はね、クリスマスのお祝いはしないんだ。小さい頃からずっとそう。べつに宗教的なことじゃなくてね
お母さんもお父さんもそういう行事に関心がなくてね。いまも、クリスマスだからって特別なことはしないんだ。イブの日に、ケーキを食べるくらいかな」
「そうか…………」
私は苦笑して、言葉を継いだ。
「小さい頃はね、他のみんながすごく羨ましかった。今年はサンタさんになにをお願いしようかなとか
サンタさんからこういうプレゼントをもらったんだよって、嬉しそうに言うのだから。でも、誕生日のバースディ・プレゼントは買ってもらえたし
お正月にもちゃんとお年玉をもらえたから、クリスマス・プレゼントは我慢しなくちゃ、って思ってた」
私はそこで一旦言葉を切り、しばらく押し黙った。キョンの方は見ようとせず、部屋の角にあるストーブの火を見つめたまま、口をつぐむ。
キョンは辛抱強く、話の続きを待っていたようだった。
「……わかっていたんだけど、一度だけ、サンタクロースに手紙を書いたことがあるんだ
一度でいいから、僕の家にも来てくださいって。結局、来てくれなかったけどね」
「その手紙は何歳のときに書いたんだ?」
「何歳だろう……小学校1年生のときだったかな。もっと前かもしれない」
「なるほど。もかしたら、まだサンタクロースの家に届いていないだけかもしれないな」
「ほう。でも確かに、僕はあのとき住所も書かなければ切手も貼らずにポストに入れてしまった
郵便屋さんも、きっとあきれて捨ててしまったんじゃないかと思う」
私は肩をすくめて、カップに残ったココアを飲み干す。残り少なかったココアはすっかり冷めてしまっていた。
いつもの時間になり、キョンはノートの礼を言って、カーキのコートを着こんだ。
私はキョンの首に、彼の白のマフラーを巻いて、その頬に軽く口づけた。
「気をつけて帰ってくれ。寄り道をしないように」
「ああ。お前も勉強頑張りすぎて身体を壊すなよ。それとお前へのクリスマス・プレゼントは、SOS団の催しが終わったあとでもいいか?」
「ああ、楽しみにしているよ。ありがとう、キョン」
「じゃあな、佐々木。また明日」
ノブをそっと回してドアを開くと、廊下から冷たい空気が流れ込んできた。キョンは玄関で靴紐を縛りながら、何か考え込んだ様子で、小さく呟いた。
「……サンタクロースか…………」
やがてなにかを思いついたように顔をあげたかと思うと、キョンは何もなかったかのように、おじゃましました、と辞令を述べて
マフラーに首をうずめるようにして自転車のペダルをこいでいった。
自ら宣言した通り、私はレンタルショップで借りてきたハリウッド大作を見ながらケーキを2つ食べ
熱々のミルクココアを飲んで、少し寂しいクリスマス・イブを過ごした。
ハリウッド大作の次は一緒に借りてきたディズニー映画を観ていたのだが、やがてそれにも飽きて、シャワーをすませて自分の部屋へ戻った。
両親は仕事、そしてキョンはSOS団――いくら映画やケーキで気分を盛り立ててみても、やはり一抹の寂しさはぬぐいきれない。
「早く26日にならないかな」
私はパジャマに着替えてイスに腰かけると、お気に入りのCDを聴きながら机に頬杖をつき、彼に贈る手編みのマフラーをつくづくと眺める。
このワインレッドのマフラーは、私が母から習いながら、心をこめて編んだものだ。多少いびつだけれど、そこは大目に見てもらうしかない。
私は雑貨屋で買ってきたカードにメッセージを書くと、マフラーをきれいにラッピングした。
「これでよし、と」
その言葉に重なるようにして、携帯電話の着信メロディが軽やかに鳴る。
「そういえば、今夜、キョンが連絡をくれるって言ってたっけ」
私は慌てて通学鞄を漁ると、彼と色違いの携帯電話を取り出した。青白く光るディスプレイに、『キョン』とある。
私はかすかに頬が熱くなるのを感じながら、パール・ホワイトの携帯電話を耳もとに押し当てた。
「もしもし」
『ああ、佐々木か、俺だ』
「キョン、涼宮さんとのパーティー、楽しめているかい?」
『まぁな。それより佐々木、窓の外を見てみろ』
「窓の外?」
私は携帯電話を耳もとに押し当てたままベッドに飛び乗ると、出窓のカーテンを開けた。
「わあ、雪が降ってる!」
窓の外にちらつく小雪に、心が躍った。
この地域で、年明け前に雪が降るのは珍しい。年内はからっ風ばかりで、雪が降るのは年明けの小正月を過ぎた頃から、というのがこのあたりの通例だ。
「きれいだ…………」
どっさり積もるほどの雪ではないようだが、それでも聖夜に雪が降るというだけで、十分にロマンチックだ。
私は電話中なのも忘れて、舞い降りてくる雪をうっとりと眺めた。
黒ビロードのような空から、雪は音もなく降り続く。やがてその静寂を破るようにして、通りから聞きなれた声が聞こえてくる。
「え……でも、どうして?」
私の戸惑いをよそにして、家の前に、SOS団のパーティーに行っているはずのキョンが姿を現した。
そのいでたちに、私は目を丸くする。
なんとキョンは、サンタクロースの扮装をしていた。
「キョン!」
「メリークリスマス!」
キョンが笑って手をあげる。
私は会えた嬉しさに夢中に階段を駆け下り、勢いよく玄関のドアをあけた。
「キョン、どうしたんだい? SOS団は?」
「キョンではないよ、サンタクロースだ」
優しく笑って言うキョンに、私も笑みで応える。
キョンサンタはパジャマのまま駆け出してきた私の肩を抱くと、自転車の小さなカゴからはみ出した、白い大きな布袋を取り出した。
「遅くなってすまなかったね。キミが6歳のときに出してくれた手紙は、郵便局の手違いで、先月やっとわたしのもとに届いたんだ」
「えっ……サンタさん、あの手紙を読んだの?」
「もちろん読んだとも。ほら、これがキミからの手紙だ」
キョンサンタは服のポケットを探り、一通の手紙を取り出した。封筒に、幼い字で『サンタさんへ』と書いてある。間違いなく、私の書いた手紙だった。
私からクリスマスの話を聞いたその日、キョンは私の母に電話をして、ことの次第を詳しく説明してもらったらしい。
もちろん、キョンは私の母にはとうの昔に挨拶済みである。
それはさておき、キョンが私から聞いた話をすると、母は笑って娘の手紙の顛末を話したという。
今思うと当然と言えば当然なのだが、私の手紙は宛先不明で戻って来ていた。
しかし母は娘のいじらしさが詰まった手紙を捨てきれず、いままで大事に取っておいていたのだという。
キョンはそれを借り受けて私の求めるプレゼントを確かめると、自分がサンタクロース役を引き受けるために、SOS団パーティーからのとんぼ帰りを決めた。
涼宮さんには、事の次第を話すと、そっちを優先しろと、追い出されるようにここへ来たらしい。
そしてクリスマスを休んだその罰として、明日はクリスマスにちなんだ一発芸をさせられるのだそうだ。
かなりのハード・スケジュールだが、私のためにしてくれたこの苦労はとても嬉しかった。
そして天もその苦労を汲み取ってくれたのか、キョンと私の期待に添う演出をしてくれたのだった。
「もしかして…………」
私の髪に肩に、綿毛のような雪が降りかかる。外灯が雪に反射して、町中がほんのりと明るい。私が静かに舞い降りてくる雪を、手のひらにそっと受け止めた。
「もしかして、わたしがお願いしたから、雪が降っているの?」
「そうだ。キミはこの手紙に、『お母さんに雪うさぎを作ってあげたいから、雪を持ってきてください』と書いただろう? だから雪を降らせたんだ。この町だけ、特別にね」
キョンサンタが、パチリと片目を閉じる。
私は嬉しさのあまり、目の前のサンタクロースに抱きついた。
「ありがとう、サンタさん! わたし、こんな素敵なクリスマス、はじめてよ!」
「いや、礼を言うのはまだ早いよ。待たせてすまなかったが、今夜は渡しそびれたプレゼントをすべて持ってきた
16年間、キミはお母さんの言いつけを守る良い子だったから、ちゃんと16回分揃っている」
「わあ! じゃあ、わたしもサンタさんにプレゼントをあげるね! さあ、入って入って」
私はキョンサンタの手を引いて、家のなかに入った。
キョンサンタは私に手を引かれるまま家にあがり、私の部屋で持参した16個のプレゼントを手渡した。
もこもこのテディ・ベアに私の好きな作家の新刊、前から欲しがっていたCD、高くて手が出せないと言っていたワンピース
スイスの高級チョコレート、アンティーク・シルバーのフォト・スタンド……などなど。
私はキョンにお茶を出すのも忘れて、16個のプレゼントに夢中になった。
「この小さい箱はなにかな」
満面に笑みを浮かべて、一番最後に手渡された、16番目の小さな包みを開ける。
なかから出てきたのは、小さな香水ビンだった。
美しいカットの施された透明なビンのなかに、淡いラベンダー色の液体が入っている。
「香水? 香水って、すっごく高いんでしょう?」
「そうでもないさ。オリジナルで調合してもらったものなんだが、気に入ってもらえるだろうか ……少しつけてみるといい」
「うん」
私は香水を少しだけ指先にとって、鎖骨の上あたりにつけてみた。薔薇の香りにも似た、溶けてしまいそうなくらいに甘い香りが立ちのぼってくる。
高校生に香水はまだ早いような気もするが、キョンからもらうものは、なんでも嬉しかった。
この香水も、途端にお気に入りになってしまった。
「とっても甘い香り……なんていう名前?」
「名前?」
応えながら、キョンは私の机にある時計に、チラリと目をやった。
30分で効果が出てくるはず…と小さく呟いたかと思うと、
「名前は……そう、『ツァールト・ギフト』だ。作り話の真似だが」
「へえ……ドイツ語か。あ、ごめんよ、お茶も出さないで。いま、かわりにココアをいれてくる ケーキもあるんだ、一緒に食べよう」
「ああ、いただこう」
私は足取りも軽くキッチンに降りていくと、キョンは後ろでなにやら意味ありげにクスリと微笑んだようだった。
『ZART GIFT』。
英語で言えばTENDER POISON、すなわち「優しい毒」となる。
意味はわからなかったが、とにかくキョンからの思わぬプレセントに、私は体が火照るほど心が躍っていた。
ゆっくりとまぶたを開けて、まどろみから意識を引き上げる。
白い天井が見える。どうやら俺は夢を見ていたようだ。
(佐々木の夢…か)
知らず、口もとに笑みが浮かぶ。その日学校でボーっとしていると、
「なに、ニヤけてるんだよ。やらしいヤツだな」
アホ面をした谷口が話しかけてきた。
「なかなか不思議な夢を見たもんでね」
「どうせ彼女ができたなんて夢だったとかいうオチだろ。ったく、聞いてらんねェぜ」
谷口のからかいを軽く受け流して、俺は鞄のチャックをあけた。そこに収まっているワインレッドのマフラーに、目を細める。
それは先日のクリスマスに、ハルヒがプレゼントしてくれた手編みのマフラーだった。
夢に出てきたものとまったく同じマフラーにそっとふれ、俺はチャックを閉めた。
「さて、これはどうしたもんかね」
今度佐々木に会ったとき、この夢の話をしてみよう――そんなことを思いながら、俺は窓の外を眺めることにした。
それは雲ひとつない、綺麗な青空だった。
最終更新:2007年11月08日 11:37