「そこだ、キョン。最大のボトルネックは流通構造なんだよ!」
その佐々木の言葉を聞いた時、こいつは何を言っているんだと怪訝な瞳で佐々木の顔を見つめたのが本当のところだった。
だからいつもの様に話を聞き流してしまえばいいだろうといういう、俺の考えが甘かった。
佐々木の話はいつもの雑談・勉強モードから懸け離れており、魚の流通に関して淡々と述べていた。
事業目的は鮮魚・地魚の急送による直接販売であり、港と料理屋や小売店に流通経路を発掘する事であった。
最大のネックである既存の流通経路に対抗するには、ニッチ分野でのルート開発しか有り得ないだろうと・・・・。
佐々木は喜々とした表情で話を進めてゆき、その話の相手をしている内に夜が明けてしまったので、佐々木を車に乗せて家まで乗せ
て帰る事にした。年頃の娘を二日連続外泊させたんだから、親御さんに俺から謝りの1つでも入れておこうとも思った訳だ。
助手席で眠る佐々木を横目で見ると、実に満足感に溢れた表情をして穏やかに眠っていた。この表情を見れるのは家に着くまでだ。
・・・・後で写メで撮っておこう。
佐々木を家まで送り親御さんにお詫びをして家に帰った俺は2日分の疲れを癒すべく、最長睡眠時間記録を更新してやろうと思いなが
ら寝床に着いた。
ぷるるるる・・・・
電話が鳴っている。ウザいぞ。寝たばかりなのにまた邪魔する気か。
ぷるるるる・・・・
ほっといてくれ。俺は眠いんだ。
ぷるるるる・・・・
やれやれ、俺には落ち着ける時間も暇もないのか。液体金属の中でクロールしている様な重さを感じつつ電話をとった。
「・・・・・・」
ノイズひとつ無い沈黙の時間。間違い電話ならとっとと謝って切るのがマナーなんだぜ。最近の若い奴は礼儀も知らな・・!
・・・長門か?
「・・・・図書館まで、来て欲しい」
電話は必要最低限の内容を伝えただけで着信モードへと切り替わり、ふたたび沈黙の時間の時間を取り戻した。
長門が電話してくるなんて最近は珍しいな。あいつが電話してくる以上は何だかの宇宙的・未来的・超能力者的な問題が起こっている
に違いない。寝床から起きた俺は頭を掻き毟りつつやがて1つの言葉を呟いていた。
「やれやれ」
徒歩と自転車と軽トラ。図書館までの道のりを何を使って行くべきか脳内会議を行い、俺は軽トラを使って行くべきと判断した。
最近は運動不足気味でもあり徒歩と自転車で向かいたい気持ちもあったが、俺を呼び出した相手の事を考えると火急速やかに行くべき
と判断した。もっとも、家からの距離と車の出し入れの時間を考えると自転車の方が早いかも知れなかったけどな。
図書館の駐車場に愛車を止めた俺は長門を探しに図書館に足を踏み入れたのだが、電話をとった時に居場所まで聞いていなかったし
長門も伝えてくれなかったので、俺は書架を巡る事になった。
あいつと図書館の組み合わせは何度かあった組み合わせの1つであり、最初は高一の時のSOS団第一回不思議探索の時にまで遡る。
その時はハルヒに眠りをぶち壊されて狼狽しつつ長門を探しあて図書館カードを作って帰ったのだが、その後も何度か図書館と長門の
組み合わせはあった。大抵の場合は俺が本に飽きて寝てしまい、そろそろ時間だと思って長門を探しに館内を巡ったのだった。
デニム地のシャツとすらりとしたジーンズをまとった長門がそこに居た。
少し着古した感じの色が長門のイメージカラーに合い、体のラインに合わせたかの様なデザインはアップテンポな軽快さを感じさせた。
・・・・よう、長門。久しぶりだな。
「あなたに伝えたい事がある・・・・。こっちへ」
長門は音も立てずに颯爽と俺を導き、自習スペースへと歩を進めた。机の上には夥しい程の本が整然と平積みされていた。
一体これは何なのだろう?長門はこれだけの本を俺に読めと言っているのか。何の為だかさっぱり見当が付かず少しばかり驚いた表情
で長門へと振り返った俺なのだが、あいつが取った行動が俺を更に驚かせる事になる。
俺の手の平を優しく掴んだ長門は、その手を自らの胸の前まで採り上げて両手で包み込んだ。まるで耶蘇の人が祈るかの様子で。
予想外の動作に俺は少し戸惑いを感じて長門を見詰めようとしたが、頭をもたげているのでその表情は分からない。やがて首を上げ
て俺を真正面に捕らえた長門は、星々が一杯詰まっているかの様な瞳を向け、ひと言だけ俺に言葉を投げ掛けた。
「・・・・きっとあなたは大丈夫」
それだけを言うと踵を返して小走りに駆けて行き、俺は本と共に取り残された。
一人取り残された俺は本の山を一瞥した。
本には引き千切ったメモ帳らしき白い紙の小片が挟まれており、ジャンルに区分けされているかの様だった。長門らしさを感じさせる
几帳面さで本が並べられており背表紙を一覧する事が出来たのだが、どうもこれは会社設立に必要な知識の倉庫らしかった。
とても一人では片付けられそうにないと感じた俺は、本の虫を自称している娘に電話する事にした。
恐らくは俺よりも寝起きは悪かったであろう佐々木は電話先で声をひそめて笑い「今度は図書館デートかい?」とつぶやいた。
違う、違うんだって!思わず声を上げて突っ込みを入れた俺は、ここがドリンクコーナーである事を幸運に思った。
やがて佐々木は初夏に相応しい軽快で機能的な衣装をまとって図書館にやってきたのだが、本の山を見るなり絶句する事になる。
「キミは僕の話をちゃんと聞いてくれていたんだ。僕、なんか嬉しいな」
・・・・ここで宇宙的な介入があったと言うのは止めておいた方が良さそうだ。
「僕とキミとでこの本を調べ尽くそうって事だね。ちょっと力がみなぎってきたよ」
・・・・まぁ、そう言う事だ。と言っておくのが無難であろう。佐々木はよく調べたねとか、これは適切な選択だと何やらつぶやい
ていたが、おもむろに本の山を自分と俺の分に切り分けると空いている自習スペースへ潜り込んだ。どうやら佐々木が自分の分として
持って行った本は法律や経理に関する本らしい。
どうやら俺には残された経営・経済・営業の指南書と格闘する事が定められたらしい。まったく手を付けないと佐々木に後で何を言わ
れるかわからないと思った俺は、随分とコミカルな表紙をしたビジネス書を手に取った。
父親の急死で中堅企業の社長になった女子高生を主人公としたラノベらしい。
俺はどちらかと言えば、これはハッキリと言える事だと思うがお金に対してはダークなイメージしか持っていなかった。
自分で本を読んで初めて気が付いたのだが、金が無ければ世の中は機能しない様になっているのを論理的に理解出来たし身近なものだ
と感じた。そしてその流れに翻弄されるばかりではなく、自分の意思・意図をもって介入したいという気が起きてくるのは自然な物の
考え方では無かろうか?
その事を佐々木に話すと最初は少し戸惑いの表情を見せつつも、我が意を得たりといったちょっとした悪戯を思い付いた子供の様な
表情をさせながら「それじゃ僕と一緒に思考実験をしてみないか」と俺に促した。
思考実験と言っても、そう大した物じゃない。事務職1名と仕入・営業を兼ねる1名で事業を興し、損益分岐点がどこかとか事業を
行う上でボトルネックはどこになるかと机上で語り合うだけの事だ。
はじめに意見がぶつかったのは従業員に対する賃金の事だった。自分がしたい事を自分の手で行う訳だから無給でも無休でも構わない
だろうと思ったのだが、佐々木は無給や無休では法人登記が出来ないと返してきた。
「それに将来の事を考えると、ある程度はキミも僕も手取りが要ると思わないか」
まぁ、世の中の仕組みがそうなっているなら仕方無いよな。
佐々木が望んだ回答を俺がしたのだろうか?頬を桜色に染めた佐々木は握った右手を唇に当て、声を堪えて笑っていた。
そんな会話をしつつ二人でビジネスモデルを考える日々が続き、やがてそんな日々は終わりを迎える事になる。
最初はお互いに無視していたのだが、結局は避けられない問題点が残った。要するに元手をどうするかだった。
さすがの佐々木もこの問題の解決法は思い浮かばなかった様子で悩んでいる。時々俺の方をちらっと眺めて視線を逸らす動作を何度も
繰り返すのだが、俺にだってこんな問題は解けないのはこいつだって判ってはいるだろう。確かにマトモではない方法なら思い付く。
未だ存在する変人組織をそそのかして無心するとか、宇宙的存在に本物を超えた偽物を用意して貰うとか、未来的存在に預金を預けて、
未来の口座から預金を引き出すとか思い付くが、こんな事を言うと拳を突き上げて佐々木は怒るに違いない。
この気まずい雰囲気を突き崩したのは手を組み、祈りのポーズをした佐々木だった。
「キョ・・キョン!もし・・・・万が一にもキミがそれでいいならば僕に一計があるのだが、聞くだけ聞いて貰えないだろうか?」
どうやらこいつは出資者に覚えがあるらしい。
俺はその話に否応もなく賛同し、それに向けての準備を行う事にした。
人を説き伏せるのであれば直感的な方が好ましいし、より視覚的に訴えた方が効果的だ。学校の授業で民間会社から助教として教鞭を
執っていたエンジニアがそう言っていたし、結局の所は人を動かす力がない限りは優れた考察も埋もれて消えると。
佐々木と話し合った事はメモや日記に書いていたが、それを1つのストーリーとして他人に理解して貰うのは非常に大変な事だった。
俺は今、大人の前で大人として話をしている。佐々木が借り切った日本料理の店の中に俺達は居た。
どちらかと言えば人前で話をするのは苦手な分野に属する事であって、俺はそんな自分を補強すべく資料を整えた。
まずは事業の意味と意義を説くべく日本の食文化に属する事から話を始め、それが危機的な状態にあると訴えた。ただ単に危機を煽る
だけでは押売と同じだから、俺は各種の統計を例に出して問題点を列挙し、解決方法として二人で考えたビジネスプランを提示した。
資料は佐々木の目を通さずに俺一人で作り上げて出来映えが心配な所ではあったが、横目で見る佐々木の様子からするに遡及点は貰え
そうな資料になっている様で、時折大きくうなづくのを見ると提示の仕方も悪くは無いようだ。
しかし、これだけでは説得力に乏しいと考えていた俺は、資料に用意していない台詞を訴えるように言い放った。
「このモデルを成立させるのは俺一人では出来ません。是非とも俺に娘さんを預けて頂きたい」
世界が静止したような時間がしばし流れた。
ウチの両親が「やれやれ」とつぶやき、妹は「キョン君、恥ずかし~」と囃し立て、佐々木の両親はくつくつと笑っていた。
・・・・なぁ、ここまで来たら俺達はもう引き返せないぜ。
横へ視線を向けると陶酔感に満ち溢れたのか、すっかり惚けたような表情をしている佐々木がいた。