16期SDP国外体験学習

フランス・パリ

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☆ルーブル美術館☆ フィリップ・オーギュストの城砦(1190年)から「壮大な計画」の完成(1870年)に至るまでに、ルーヴル宮殿はセーヌ川の右岸ににその領域を次第に拡大していった。宮殿の建物はパリを南北に分断し、文字通り障壁のような位置にあるが、同時に、西に広がる眺望の東の出発点となっている。すなわち、ここから、カルーゼル凱旋門、コンコルド広場のオベリスク、シャンゼリゼの凱旋門、ラ・デファンスのグランド・アルシュへと至っている。ルーヴル美術館は国際的にあまりにも有名なため、元来は宮殿として建てられたものであることを忘れられがちである。中世のころから、フランスの歴史上の様々な重要な事件に左右されてきたと同時に、多くの建築家や装飾家が次々とその個性を印していくなど、ルーヴル宮は特異な発展を遂げてきた。ルーヴルは、そもそも美術館として使用される予定は全くなかった。アンリ4世が1671年にグランド・ギャラリーの1階に設けた「古代の間」や、王のデッサンの陳列室あるいは王の絵画の間はなおさらのこと、一般の人々が鑑賞することは不可能であった。ルイ14世の時代に主な宮廷人がルーヴルを去った時点から、学術協会とそこに住んでいた芸術家達にとって、「美の宮殿」としての機能が浮き彫りにされていった。既に1747年から王のコレクションが鑑賞できる「ミユーズの宮殿」または博物館の役目が果たせるのではという期待が生まれていた。新しい美術館というその当時まだ新奇な観念は、百科全書と光の哲学の思想と同じ思想の流れを汲むものである。1779年からの博物学誌上の購入と計画は、この潮流の現実化が間もないことを示している。 ☆ノートルダム寺院☆ ノートルダム寺院は,パリのちょうど真ん中。セーヌに浮かぶシテ島にあるカトリック寺院です。シテ島は,パリの中心部にあるのみならず,パリの発祥の地でもあり,そこに存在する「ノートル・ダム(我らの婦人=聖母マリア様のこと)」は,まさにパリジャンの心の中心とも言うべき存在です。  フランスは,基本的にカトリック国ですから,教会にもヒエラルキーが存在します。もちろん,カトリックのヒエラルキーの頂点にあるのはローマのバチカン大聖堂ですが,その下に各国の中心となる教会が位置することになります。イタリアだったらミラノのドゥオーモや,フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ,ロンドンならセント・ポール,日本は目白のカトリック教会とヒエラルキーの上の方に存在する教会があるものですが,パリのこのノートルダム寺院もこのクラスに当たる由緒ある教会と言えます。 ☆シャンゼリゼ通り☆ 「おーシャンゼリゼ」という歌でも有名なシャンゼリゼ通りは,パリの中心部からやや西に行った場所にある直線の大通りです。場所で言うと,ちょうどルーブル美術館の西側にあるコンコルド広場から,凱旋門のあるエトワール広場までを結ぶ通りです。ここはもちろん観光のメッカですが,パリの中心部からは少し離れたところなので,辺りは閑静な高級住宅地となっています。東京で言えば,表参道のような場所ですが,これは表参道がシャンゼリゼをまねしているだけで,シャンゼリゼはもっとシックでもっと落ち着いた場所です。  もっとも当のパリジャンたちはなにかイベントでもなければ,あまりこの辺りには来ないみたいで,もっぱら観光客がうろうろしている場所というイメージもあります。でも,マロニエの並木が整然と直線に並んでいるさまは,パリのシンメトリックな美しさを象徴しているようで,見る者を圧倒します。コンコルド広場のほうから歩いて行くと,ちょうどその先に凱旋門が見えてくるので,僕なんかそれだけでその美しさに感動しました。ミーハーですが,観光で行ったらぜひ一度歩いてみてほしい場所です。ただし,シャンゼリゼ通りは表参道よりも長い通りなので,全部歩くとけっこう疲れます。ちょうどメトロで2駅くらいの距離があるのですから,健脚な人はいいですが,そうでない人は凱旋門の界隈だけでも歩いてみることをお勧めします。  シャンゼリゼは,よく大きな行事やイベントのたびにメイン会場として使われます。中でも有名なのは,7月に行われる「le Tour de France(ツール・ドゥ・フランス)」の最終ゴールになることで,このときはシャンゼリゼ通り一帯が多くの観客で埋まります。ツール・ドゥ・フランスは,フランスの周辺部を自転車で1月くらい走りつづけ,最後にパリに戻ってくるのですが,そのラストランはパリの市外を数周してから最後にシャンゼリゼに設けられたゴールになだれ込むようにしてフィニッシュとなるという感動的なものです。最近では日本でもテレビ放送をするようになったので,機会があったらこのラストランだけでも見てみてください。 ☆ヴェルサイユ宮殿☆  ルイ14世が、1682年、パリからヴェルサイユに宮廷を移し、1789年フランス革命まで政治・文化・芸術の中心地だった。  ルイ14世が建てた絢爛豪華な宮殿と広大な庭園そして、大小のトリアノンの離宮、マリー・アントワネットの村里など、一日では回りきれないほどの見所があります。 ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世の絶対権力の象徴とも言えるもので、約1世紀にわたるブルボン王朝の絶頂と滅亡のドラマをも感じさせます。 ヴェルサイユの庭園は、緑と水の彫像が織り成す大庭園。造園家ル・ノートルの設計で1686年に完成。革命により縮小されたが、現在でも815ヘクタールの広さを誇る庭園です。神話をモチーフにした数多くの彫像、泉、モニュメントが配置されており、豊な緑と色とりどりの花壇が見事に調和されています。宮殿正面の水の前庭から望む「緑の絨毯」と呼ばれている散歩道と、大運河の眺めが素晴らしいです。 シャルル・ド・ゴール広場の中央に建つ凱旋門は、まさにパリの顔です。高さ50メートル、幅45メートルで、全面彫刻で覆われています。凱旋門はその名のとおり、フランスの勝利と栄光を称えるためにナポレオン1世の命により1806年に着工したが、ナポレオン1世の失脚後、王政復古や革命など激動の時代を経て、1836年に完成しました。門の下には第1次世界大戦で戦死した無名戦死の遺体が埋葬されており、第2次世界大戦でドイツの占領からパリを開放したドゴール将軍が門を通って行進したことはあまりにも有名です。このように凱旋門は、フランスの戦いの歴史を刻んだ記念すべき建造物です。凱旋門屋上の展望台から眺めると、放射状に延びる道路とパリの街が一望できます。  

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