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ガリア

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ガリア(ラテン語ではGallia、フランス語ではGaul)とは、ガリア人(ガロ・ローマン、ケルト人)の住んでいた地域を古代ローマ人が呼んだ地名。具体的には現在のフランス・ベルギー周辺を指す。 元来の「ガリア」はイタリア半島北部を指し、ローマの属州としての「ガリア」は地域としての「ガリア」とその区分などは同一ではない。おおよそピレネー山脈、地中海、アルプス山脈、ライン川、大西洋に囲まれた地域を指し森林地帯であった。 ガイウス・ユリウス・カエサルの遠征(ガリア戦争、B.C.58-51)の結果ローマの勢力圏に組み込まれ、いくつかの属州が設置された。帝政期ローマにおいてガリアはときにローマの支配に対する反乱も起こしたが、おおむね平穏を保ち税収面等で帝国を支えた。 ガリアはまたローマ文明をよく受け入れ、「ローマ化」が最も成功した地域の一つに数えられる。現在のヨーロッパの都市のいくつか(パリ、ロンドンなど)はこのとき造られたローマ型の都市を起源としている。 ガリア遠征に関してはカエサルが著した『ガリア戦記』に詳しい。 その後ゲルマン人の一派であるフランク人が流入し、ガリア人の影響を受けてガリア化する。最初にローマの属州となったガリアはガリア・キサルピナ(Galliacisalpīna、アルプスのこちら側のガリア)と呼ばれた地域でアルプス山脈の南からルビコン川、アペニン山脈の北の地域であった。 アウグストゥスの時代にガリア・キサルピナは本土イタリアに編入され以降ガリアとは呼ばれない。また、通常「地域としてのガリア」には含まれない。 これに対して、アルプスの北側のガリアはガリア・トランサルピナ(Galliatrānsalpīna、アルプスの向こう側のガリア)と呼ばれた。ガリア・トランサルピナの指す範囲はおおよそ「地域としてのガリア」と等しいが、カエサルのガリア侵攻以前にローマが属州としていた範囲はその一部で現在の南フランスにあたる地域だけであった。 ナルボ(現在のナルボンヌ)を中心とした地中海岸沿いのこの地域にはギリシア人が多く住んでおり、この属州がガリア・トランサルピナと呼ばれていた。アウグストゥスの時代にこの属州はガリア・ナルボネンシスと名が改められた。

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