ノートルダム寺院は,パリのちょうど真ん中にある、セーヌに浮かぶシテ島にあるカトリック寺院です。シテ島は,パリの中心部にあるのみならず,パリの発祥の地でもあり,そこに存在する「ノートル・ダム(我らの婦人=聖母マリア様のこと)」は,まさにパリジャンの心の中心とも言うべき存在です。 フランスは,基本的にカトリック国なので,教会にもヒエラルキーが存在します。もちろん,カトリックのヒエラルキーの頂点にあるのはローマのバチカン大聖堂ですが,その下に各国の中心となる教会が位置することになります。イタリアだったらミラノのドゥオーモや,フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ,ロンドンならセント・ポール,日本は目白のカトリック教会とヒエラルキーの上の方に存在する教会があるものですが,パリのこのノートルダム寺院もこのクラスに当たる由緒ある教会と言えます。ノートルダム大聖堂(CathedraleNotre-DamedeParis、ノートルダム寺院とも)はゴシック建築を代表する建物であり、「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に指定されました。ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でありましたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設しました。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成し、ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられました。最終的な竣工は1345年です。ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものです。1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダムのせむし男」(原題 Notre-DamedeParis)の舞台になった場所です。1804年5月28日に帝政を宣言したナポレオン・ボナパルトの戴冠式は1804年12月2日にノートルダム大聖堂で行われました。ジャンヌ・ダルクの審判もここで行われました。パリからの距離はノートルダム大聖堂の前が起点となっています。
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