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エッフェル塔 S1-3

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エッフェル塔(仏: La tourEiffel)は、フランスの首都パリのランドマークとなっている塔。フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた万国博覧会のために建造された。名称は設計者のギュスターヴ・エッフェルに由来する。建設は万博に間に合わせるため2年2ヶ月という驚異的な速さで行われたが、一人の死者も出さなかった。建設当時の高さは約312m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため約324m。当時の世界最大の建造物は、1884年に建てられた高さ161mのアメリカのワシントン記念塔だったが、エッフェル塔はその2倍近い高さとなった。展望台は3つあり、高さは57m、115m、276m。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。塔の建設工事が始まったのは1887年1月28日。エッフェル塔は、1万8038個もの練鉄の部品からできている。練鉄は溶接できないため、リベットでつなぎ合わせる必要があった。250万個ものリベットを打つ場所を示す設計図は、5300枚にものぼったそうである。1889年3月31日には落成式を迎えている。しかしこの建設が始まった頃、近くの住民は倒れるのを想定し近寄らなくなったとも言われている。「鉄の貴婦人」との異名を持つエッフェル塔だが、石造りの建築が芸術とされていた当時は、鉄骨むき出しの建造物は芸術にはほど遠い「無用で醜悪な」ものに見えたようである。「エッフェル塔は商業主義のアメリカでさえ欲しがらない代物であり、パリの恥。」そのあまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。文学者のギ・ド・モーパッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中でいまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。「塔という野蛮な塊は、巨大で黒々とした工場の煙突のようにパリを支配し、(中略)歴史的建造物はすべて影が薄くなってしまうだろう。この先20年間、何世紀にもわたる歴史のあとをとどめるパリの空ボルト締めされた鉄板製の醜悪な円柱の醜い影が、インクのしみのように広がるのが見えるだろう」(フレデリック・サイツ著『エッフェル塔物語』より)エッフェルはまだできてもいない建物についてとやかく言うのはよしてくれと断った上で、「塔の持つ美しさ」についての次のように宣言している。「巨大な基礎部分から出ている、塔の4つの稜の曲線は、頂上に行くに従って細くなっているが、力強い美しさが感じられる。鉄骨が複雑に組まされているのは、強風に対する抵抗を弱め、塔の安定を図るためである。塔は人類史上、最高の建物となるだろう。壮大というべきであろう。エジプトで賞賛されているものが、なぜパリでは醜悪なものとなるのだろうか?私にはどうしても納得できない」と。「エジプトで賞賛されているもの」とは、古代エジプトのオベリスクを指していると思われる。エッフェルの「塔」に対する熱い思いと誇りが十分伝わってくるようだ。しかし、反対運動は、塔の建築中だけでなく、完成後も続いた。300mの高さから見下ろすパリの景色に誰もが驚嘆の声をあげたにもかかわらず、塔の撤去運動が起こったのである。また、リンドバーグの「翼よ、あれがパリの灯だ。」という名言の「パリの灯」とは、1925年から1936年まで自動車メーカーのシトロエンがエッフェル塔に掲げていた巨大な電飾広告の事だと言われている。現在ではパリを代表するシンボルとなっている。1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。近年ではマクドナルドがエッフェル塔の下に作られるという話が出た。これはフランスの法律的には問題がないのだが、市民の猛反対により話が白紙になった。

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