概要
tatami氏によって作られた創世のアクエリオンを原曲とした大隈重信の替え歌。
動画
歌詞
幕府の終わりごろに 肥前佐賀の城下じゃ
アームストロング砲の遠い残響聞くだけだった
二重鎖国で全て 葉隠だから嫌で
謹慎を覚悟で今は何処を彷徨い行こう
答えの潜む明治の日本
交渉なければパークスの言いなりだった
丸くてきらめき持つ日本円
許さないで払い下げ
「容易ならざること」伊藤は言った
立憲改進党の党首を務めてる
明治17年ごろに脱党したこともあった
東京専門学校までも創ってる
下野をしたその日から
僕の周りに民権運動絶えない
アームストロング砲の遠い残響聞くだけだった
二重鎖国で全て 葉隠だから嫌で
謹慎を覚悟で今は何処を彷徨い行こう
答えの潜む明治の日本
交渉なければパークスの言いなりだった
丸くてきらめき持つ日本円
許さないで払い下げ
「容易ならざること」伊藤は言った
立憲改進党の党首を務めてる
明治17年ごろに脱党したこともあった
東京専門学校までも創ってる
下野をしたその日から
僕の周りに民権運動絶えない
日本の発展の為に よき外交の為に
国別に交渉して この条約改正したいよ
目を覚ませば自分を呼ぶ声
テロで襲われ立ち尽くすことさえできぬ
蘇れ特にあの右脚
汚されないで僕の夢
祈り託しながら病床に居た
憲政党や新進党も創ってる
首相になったのは薩長以外じゃ初だった
板垣との政党内閣四ヶ月
共和演説の日から
明治天皇のお怒りは絶えない
国別に交渉して この条約改正したいよ
目を覚ませば自分を呼ぶ声
テロで襲われ立ち尽くすことさえできぬ
蘇れ特にあの右脚
汚されないで僕の夢
祈り託しながら病床に居た
憲政党や新進党も創ってる
首相になったのは薩長以外じゃ初だった
板垣との政党内閣四ヶ月
共和演説の日から
明治天皇のお怒りは絶えない
人間125年は生きられる
83歳まで生きた健康志向だった
早大も125年続いてる
開講したその日から
中国に二十一ヵ条求めてる
大戦に参加したらもっとややこしくなった
一生懸けるさ政治こそ我が生命
1月のその日には
日比谷公園に会葬者は絶えない
83歳まで生きた健康志向だった
早大も125年続いてる
開講したその日から
中国に二十一ヵ条求めてる
大戦に参加したらもっとややこしくなった
一生懸けるさ政治こそ我が生命
1月のその日には
日比谷公園に会葬者は絶えない