「まったく、悪魔の考える事はわからない」
トーグ=ジュイはそう独りごちて、じっと湯気を立てる薬缶を眺めた。
トーグ=ジュイはそう独りごちて、じっと湯気を立てる薬缶を眺めた。
かつて通商の要であった、ヴァーネフの血河通りに一軒のあばら家がある。
魔物の骨や皮で粗雑に補修された外見に反して、中は逆に目を剥くほど整然としている。
戸口の周辺を除いて、床が一段上がっているだけの、たった一部屋のあばら家。
それが、トーグのたった一つの持ち物だった。
魔物の骨や皮で粗雑に補修された外見に反して、中は逆に目を剥くほど整然としている。
戸口の周辺を除いて、床が一段上がっているだけの、たった一部屋のあばら家。
それが、トーグのたった一つの持ち物だった。
いま、其処にもう一つの影がじっと座っている。
肌の色は葡萄酒に沈んだような紫。
顔の中心で、黒に縁取られた銀の瞳孔が、薬缶の火を見つめていた。
「処刑人。湯が沸いておる」
声は、がらがらとした奇妙な雑音を含んでいる。
処刑人――トーグ=ジュイは、ちらりと一瞥して、それからふと視線を逸らした。
「褒賞など、貰ったのは初めてだ」
「ほう。それで良く生計が立てられる」
肌の色は葡萄酒に沈んだような紫。
顔の中心で、黒に縁取られた銀の瞳孔が、薬缶の火を見つめていた。
「処刑人。湯が沸いておる」
声は、がらがらとした奇妙な雑音を含んでいる。
処刑人――トーグ=ジュイは、ちらりと一瞥して、それからふと視線を逸らした。
「褒賞など、貰ったのは初めてだ」
「ほう。それで良く生計が立てられる」
影――悪魔は、薬缶に手を伸ばす。
部屋の中心は四角く切り取られ、其処に灰が敷き詰められている。
火種の上に金網を載せれば、それはかまどの代わりになる。悪魔は素直に感心していた。
薬缶の取っ手に、紫の指先が触れる寸前。
その僅かな隙間に、その両者とも触れない位置に。
処刑人は、迅雷の速さで己の手刀を潜り込ませた。
「処刑をすること。多くの悪魔は、それだけで話を済ます。殺させてやるのだ、と」
部屋の中心は四角く切り取られ、其処に灰が敷き詰められている。
火種の上に金網を載せれば、それはかまどの代わりになる。悪魔は素直に感心していた。
薬缶の取っ手に、紫の指先が触れる寸前。
その僅かな隙間に、その両者とも触れない位置に。
処刑人は、迅雷の速さで己の手刀を潜り込ませた。
「処刑をすること。多くの悪魔は、それだけで話を済ます。殺させてやるのだ、と」
悪魔は、少し考えてから――素直に邪魔な処刑人の手を退けてやる事にした。
処刑人の手が閃き、蛇のように悪魔の手首に絡みつく。
細腕に合わぬ甚大な膂力で、処刑人は悪魔の腕を引いた。
それは驚くほど――あっさりと、抜けた。
悪魔が鳥の声のような笑い声を上げる。
処刑人の手が閃き、蛇のように悪魔の手首に絡みつく。
細腕に合わぬ甚大な膂力で、処刑人は悪魔の腕を引いた。
それは驚くほど――あっさりと、抜けた。
悪魔が鳥の声のような笑い声を上げる。
「よく出来た義手だろう。五体満足で居れと言う――いや」
抜けた腕は湿った革を肉から剥がすような音を立てて、一つの形をとる。
剣だ。
紫に輝く刀身は、斬る事だけを念頭に刃先を四角く削り取られている。
「つまり、そういう事だ」
抜けた腕は湿った革を肉から剥がすような音を立てて、一つの形をとる。
剣だ。
紫に輝く刀身は、斬る事だけを念頭に刃先を四角く削り取られている。
「つまり、そういう事だ」
処刑人は素早く指で刃をなぞる。
決して肉を裂かない、しかし指先に触れるだけで。
恐ろしく――魂を削られるような寒気がする。
「これが己れの褒賞か」
「私が、その褒賞だ」
悪魔が手足を投げ出して、板張りの上に大の字に寝そべる。
決して肉を裂かない、しかし指先に触れるだけで。
恐ろしく――魂を削られるような寒気がする。
「これが己れの褒賞か」
「私が、その褒賞だ」
悪魔が手足を投げ出して、板張りの上に大の字に寝そべる。
「どうする、処刑人。どうする、人間。悪魔はお前を嘲笑うぞ」
きき。
処刑人が歯を剥いて笑う。
悪魔は構わず続けた。
きき。
処刑人が歯を剥いて笑う。
悪魔は構わず続けた。
「お前には殺す事しか出来ず、何を殺すかなどまるで見当も付かぬと哂っている」
ききき。
顔を俯かせて、処刑人は小さく笑い続ける。
ききき。
顔を俯かせて、処刑人は小さく笑い続ける。
「お前は無差別な人斬りか――東郷……呪井?」
「いいや」
顔を上げた時、処刑人はまるで笑ってなど居なかった。
「いいや」
顔を上げた時、処刑人はまるで笑ってなど居なかった。
「契約とは仁義である。仁義は神聖なる神祇である。血判は祈りにして誓い。違える事
など叶う訳が無い。己れはそのようにして生きてきた。これからもそのようにして
生きていく。貴様等のくだらない哂い声にほだされる事無く、己れは己れとしてただ
在れば良い。私に生きる場所を与えるのはお前達だ」
など叶う訳が無い。己れはそのようにして生きてきた。これからもそのようにして
生きていく。貴様等のくだらない哂い声にほだされる事無く、己れは己れとしてただ
在れば良い。私に生きる場所を与えるのはお前達だ」
胡坐を掻いて座っていた処刑人が、迅雷の木霊のように立ち上がる。
手に持つ剣をぐるりと横に薙ぐ。
払いは回転に、回転は構えに。
その、たった一挙動に巻き込まれた薬缶と金網が壁に当たり、音を立てる頃には。
払いは回転に、回転は構えに。
その、たった一挙動に巻き込まれた薬缶と金網が壁に当たり、音を立てる頃には。
――処刑人、トーグ=ジュイはまるで初めからそこに立っていたかの様に在った。
右手で振り上げた剣は頭上に水平に掲げられ、左は左目の先を覆うように上げられる。
「魔法のように首を斬る」と詠われる、処刑人の必殺の構えであった。
まるで無防備なその構えは、どのように敵が来ても、雲耀の間に同等の速さで太刀を
振るう、ただ一太刀の為に研ぎ澄まされた野生の剣である。
「魔法のように首を斬る」と詠われる、処刑人の必殺の構えであった。
まるで無防備なその構えは、どのように敵が来ても、雲耀の間に同等の速さで太刀を
振るう、ただ一太刀の為に研ぎ澄まされた野生の剣である。
「死を繰る私に生き死に以外の何がある」
「お前は酷く面白みが無い」
がらがらと、悪魔は呟いた。
「多くの悪魔はそう談じる。生の上の欲を哂って多くの悪魔は生きるからだ。私は好く
生きてきた。生きる事など造作も無い。そこに神祇も無い。殺されるだけの事をしたの
かも知れない。そのように思う者が居るのなら、そのように生きているとも言えるのだ」
きき、きき。
顔を覆う左手の奥で、処刑人が笑う。
「お前は酷く面白みが無い」
がらがらと、悪魔は呟いた。
「多くの悪魔はそう談じる。生の上の欲を哂って多くの悪魔は生きるからだ。私は好く
生きてきた。生きる事など造作も無い。そこに神祇も無い。殺されるだけの事をしたの
かも知れない。そのように思う者が居るのなら、そのように生きているとも言えるのだ」
きき、きき。
顔を覆う左手の奥で、処刑人が笑う。
「生きるのに仁義を持ち出す貴様は、所詮人間だよ――東郷=呪井。我が――主」
断。
板張りに鉄塊が落ちる。
処刑人の迅雷が閃くより早く、悪魔がその手を振り払ったからだ。
「まるで好くないな、我が主。今まで見た中で、最悪の一手だよ」
処刑人の迅雷が閃くより早く、悪魔がその手を振り払ったからだ。
「まるで好くないな、我が主。今まで見た中で、最悪の一手だよ」
「己れは――」
まだ顔の前に上げられたままの左手を見据え、人間――呪井東郷は小さく呟く。
「己れは――どうすればいい?」
まだ顔の前に上げられたままの左手を見据え、人間――呪井東郷は小さく呟く。
「己れは――どうすればいい?」
悪魔は哂う。
「欲を張れ。――それが我等の――絶対無慈悲の戒律にして、信念」
がらがらと哂う。
「お前が処刑を完了した時――
我 々 の 契 約 は 既 に 終 わ っ て い た の だ よ 」
「欲を張れ。――それが我等の――絶対無慈悲の戒律にして、信念」
がらがらと哂う。
「お前が処刑を完了した時――
我 々 の 契 約 は 既 に 終 わ っ て い た の だ よ 」
「それで」
悪魔――「問い正す断首剣」は、尖った耳に掛かった髪を払いながら呆れていった。
「それが貴方の欲ですか。我が主」
「それが貴方の欲ですか。我が主」
鋭い視線で――箸で蓋をしたカップ麺を見据えながら、処刑人トーグ=ジュイは唸る。
「うるせぇ、きゅう太。魔物の肉より断然、喰いでがあるんだ」
「うるせぇ、きゅう太。魔物の肉より断然、喰いでがあるんだ」
肩を竦めて、きゅう太――QUES-CUTER(問い正す断首剣)は答えた。
「良いですか。輸入と言うだけで手間が掛かるんです。同じ、えー、ひゃくごじゅうえん?
のかっぷめんでも、ぱっけーじには内に含まれる滋養やかろりーが記述されているのです
から、より滋養の採れるかっぷめんを同じひゃくごじゅうえんで買う事こそが「悪魔の
仁義」。手間を惜しんで欲を張るなど、子供の悪魔のやる事ですよ」
「良いですか。輸入と言うだけで手間が掛かるんです。同じ、えー、ひゃくごじゅうえん?
のかっぷめんでも、ぱっけーじには内に含まれる滋養やかろりーが記述されているのです
から、より滋養の採れるかっぷめんを同じひゃくごじゅうえんで買う事こそが「悪魔の
仁義」。手間を惜しんで欲を張るなど、子供の悪魔のやる事ですよ」
「それこそ、てめぇの欲だろう」
フタの先から静かに吹き出る湯気を眺めて、処刑人はじっと待つ。
「てめぇが「何時から騙しているのか」を暴いてやって、それから今度は己れが騙す」
箸を咥えて、ぺりぺりとフタを剥がして続けた。
「斬るのは、その後だ」
フタの先から静かに吹き出る湯気を眺めて、処刑人はじっと待つ。
「てめぇが「何時から騙しているのか」を暴いてやって、それから今度は己れが騙す」
箸を咥えて、ぺりぺりとフタを剥がして続けた。
「斬るのは、その後だ」
――いただきます。
呟く処刑人に、剣は微笑った。
呟く処刑人に、剣は微笑った。
トーグジュイ、のろいとうごう……まさかね(了)