テレビの電源を入れた。
どこかの大手企業が倒産したと男性キャスターが言う。その後ろでは俯き加減にリポーターを振り切るその企業の社員と思しき人間の映像が流れていた。
チャンネルを変えると、別の県で夫による一家心中が起こったと女性キャスターが言う。リポーターにマイクを向けられた近所の老人がモザイク越しに大仰な調子で語る映像に切り替わった。
再びチャンネルを変えると、今日の天気は曇りのち晴れ、午後には日も出て寒さが緩むだろうと女性キャスターが言う。
テレビの電源を切った。
「八千代さん、午後から散歩に行こうか」
久賀は傍らに座る八千代さんの頭を撫で、そう問いかけた。
どこかの大手企業が倒産したと男性キャスターが言う。その後ろでは俯き加減にリポーターを振り切るその企業の社員と思しき人間の映像が流れていた。
チャンネルを変えると、別の県で夫による一家心中が起こったと女性キャスターが言う。リポーターにマイクを向けられた近所の老人がモザイク越しに大仰な調子で語る映像に切り替わった。
再びチャンネルを変えると、今日の天気は曇りのち晴れ、午後には日も出て寒さが緩むだろうと女性キャスターが言う。
テレビの電源を切った。
「八千代さん、午後から散歩に行こうか」
久賀は傍らに座る八千代さんの頭を撫で、そう問いかけた。
*
八千代さんに引かれるままに歩いていると、街路樹の下に置かれたベンチに座る、随分疲れた様子の男子学生が目に留まった。
キャンパスの古びた木製ベンチに腰かけて、両膝に肘をついて頭を抱えたその姿は、長年付き合った恋人にあっさりと振られた哀れな学生にも見えたし、最後の頼みだった内定試験に落ちた悲惨な学生にも見えた。
話しかけて良いものかと少々思案してから、八千代さんと共にその学生へ近づく。彼がどちらであっても久賀は構わないし、どちらであっても興味はある。悲しみに暮れる最中に犬を連れた見知らぬ男に話しかけられるのは案外気が紛れていいかもしれないと、勝手なことも考えてみる。鬱陶しがられたところでどうということではないし、久賀としては会話が成立するならどんな相手でもどんなものでも構わない。
それにそもそも、そのどちらでもないことを久賀は知っている。
「随分な有様だな。大丈夫か」
久賀に声をかけられても学生は俯いたままで、地面に向かって唸るような低い声で呟いた。
「……っと、ありえねぇっす、あいつら」
「また、いや、この場合はやはり彼女たちかというべきか」
予想通りの答えに久賀は少し面白くなって、彼の隣に腰かけた。
崇永成汰。服の構造としてまったく機能を果たさないファスナーがいくつも付けられた、久賀にはまったく価値の理解できないデザインのジャケットを着たこの青年の名前だ。顔見知りと呼ぶべきか、知り合いと呼ぶべきが、知人と呼ぶべきか、友人と呼ぶべきか、どれでも構わないが、少なくともキャンパスのベンチで悲壮感を漂わせている理由が推測できる程度の付き合いがある。
キャンパスの古びた木製ベンチに腰かけて、両膝に肘をついて頭を抱えたその姿は、長年付き合った恋人にあっさりと振られた哀れな学生にも見えたし、最後の頼みだった内定試験に落ちた悲惨な学生にも見えた。
話しかけて良いものかと少々思案してから、八千代さんと共にその学生へ近づく。彼がどちらであっても久賀は構わないし、どちらであっても興味はある。悲しみに暮れる最中に犬を連れた見知らぬ男に話しかけられるのは案外気が紛れていいかもしれないと、勝手なことも考えてみる。鬱陶しがられたところでどうということではないし、久賀としては会話が成立するならどんな相手でもどんなものでも構わない。
それにそもそも、そのどちらでもないことを久賀は知っている。
「随分な有様だな。大丈夫か」
久賀に声をかけられても学生は俯いたままで、地面に向かって唸るような低い声で呟いた。
「……っと、ありえねぇっす、あいつら」
「また、いや、この場合はやはり彼女たちかというべきか」
予想通りの答えに久賀は少し面白くなって、彼の隣に腰かけた。
崇永成汰。服の構造としてまったく機能を果たさないファスナーがいくつも付けられた、久賀にはまったく価値の理解できないデザインのジャケットを着たこの青年の名前だ。顔見知りと呼ぶべきか、知り合いと呼ぶべきが、知人と呼ぶべきか、友人と呼ぶべきか、どれでも構わないが、少なくともキャンパスのベンチで悲壮感を漂わせている理由が推測できる程度の付き合いがある。
「成程。ある種驚異的な情報収集能力だな。知り合いが多いだけでは情報は集まらない。情報を与えても構わない、あるいは与えたいと相手に思わせることが必要だからな」
「久賀さんが言うとなんかすげぇやつらみたいに聞こえるんすけど」
「実際、かなり正確な情報だろう。それに、広範囲かつ詳細だ」
「ただの学生同士の噂話っすよ」
「なかなか侮れるものじゃないと思うがな。それに面白い」
「……そうっすか」
久賀の率直な感想に崇永は疲労の色が強い不機嫌顔に呆れの色を浮かべた。
崇永の話を聞くのはなかなか面白い。一晩中両手両足でも足りないほどの数の人間の恋愛話に花を咲かせ、顔すら知りもしない人間のかなり詳細な個人情報を洗練された話術で語る女子学生の生態など久賀には未知の世界だ。面白くないわけがない。同じ学科の人間だという彼女たちに振り回されている崇永には悪いが、一度彼女たちとは話してみたい。
しかし、彼女たち以上に久賀にとって興味深いのは崇永のほうなのだが。
ふと、崇永の携帯が鳴った。
「っと、すいません。……って、花沢かよ」
開いた携帯のディスプレイを見た崇永の顔に浮かぶ疲労が一層増した。心底嫌そうにしながらも、間を置かず電話に出る。
「んだよ、どうした? …………あ? ……ちょっと待ておい、阿呆かお前ら。はっ? ……買ってかねぇよ、まだ一コマ授業残ってんだろうが。ってか、後ろがうるせーんだよ、ひとまず海藤黙らせろ。それから佐竹と染谷にアクエリ飲ませろアクエリ。ぜってぇお前ら昨日の酒抜けてねぇだろ。……だから、牧と北内は飲めねぇのにそんな酒買ってって何するつもりだ、そもそも俺はまだ未成年だから買えねぇっての。……だから、……ああぁ、…………んぁああぁ、ったく、わぁったよ。ひとまず授業終わったら一回そっちに行く。買出しはその後。いいな。……ああ、ん、じゃあな」
通話を終えた崇永は始めに見かけた時と同じポーズになって盛大な溜め息を吐いた。
「賑やかで楽しそうだな」
「……本気で言ってるんすか?」
顔だけをこちらに向けた崇永は苛立ちの混じった胡乱げな視線で問いかける。久賀を首を傾げた。
「それなりに本気だが。そんなに嫌なら行かなければいいんじゃないか」
「それができたら苦労しないっすよ」
長めの前髪を掻き上げて、蓄積していく疲労を二酸化炭素に変換するように息を吐いた崇永がベンチから立ち上げる。眠気を払うように頭を振った後のその顔は、疲労と鬱陶しさを抜いた崇永が良く見せる常に不機嫌そうな顔に戻っていた。
「じゃあ、俺授業に行きますわ。またな、八千代さん」
八千代さんの頭を一撫でした崇永は久賀に軽く頭を下げて、キャンパスに広がる学生たちという背景に消えていった。
「久賀さんが言うとなんかすげぇやつらみたいに聞こえるんすけど」
「実際、かなり正確な情報だろう。それに、広範囲かつ詳細だ」
「ただの学生同士の噂話っすよ」
「なかなか侮れるものじゃないと思うがな。それに面白い」
「……そうっすか」
久賀の率直な感想に崇永は疲労の色が強い不機嫌顔に呆れの色を浮かべた。
崇永の話を聞くのはなかなか面白い。一晩中両手両足でも足りないほどの数の人間の恋愛話に花を咲かせ、顔すら知りもしない人間のかなり詳細な個人情報を洗練された話術で語る女子学生の生態など久賀には未知の世界だ。面白くないわけがない。同じ学科の人間だという彼女たちに振り回されている崇永には悪いが、一度彼女たちとは話してみたい。
しかし、彼女たち以上に久賀にとって興味深いのは崇永のほうなのだが。
ふと、崇永の携帯が鳴った。
「っと、すいません。……って、花沢かよ」
開いた携帯のディスプレイを見た崇永の顔に浮かぶ疲労が一層増した。心底嫌そうにしながらも、間を置かず電話に出る。
「んだよ、どうした? …………あ? ……ちょっと待ておい、阿呆かお前ら。はっ? ……買ってかねぇよ、まだ一コマ授業残ってんだろうが。ってか、後ろがうるせーんだよ、ひとまず海藤黙らせろ。それから佐竹と染谷にアクエリ飲ませろアクエリ。ぜってぇお前ら昨日の酒抜けてねぇだろ。……だから、牧と北内は飲めねぇのにそんな酒買ってって何するつもりだ、そもそも俺はまだ未成年だから買えねぇっての。……だから、……ああぁ、…………んぁああぁ、ったく、わぁったよ。ひとまず授業終わったら一回そっちに行く。買出しはその後。いいな。……ああ、ん、じゃあな」
通話を終えた崇永は始めに見かけた時と同じポーズになって盛大な溜め息を吐いた。
「賑やかで楽しそうだな」
「……本気で言ってるんすか?」
顔だけをこちらに向けた崇永は苛立ちの混じった胡乱げな視線で問いかける。久賀を首を傾げた。
「それなりに本気だが。そんなに嫌なら行かなければいいんじゃないか」
「それができたら苦労しないっすよ」
長めの前髪を掻き上げて、蓄積していく疲労を二酸化炭素に変換するように息を吐いた崇永がベンチから立ち上げる。眠気を払うように頭を振った後のその顔は、疲労と鬱陶しさを抜いた崇永が良く見せる常に不機嫌そうな顔に戻っていた。
「じゃあ、俺授業に行きますわ。またな、八千代さん」
八千代さんの頭を一撫でした崇永は久賀に軽く頭を下げて、キャンパスに広がる学生たちという背景に消えていった。
一晩中聞きたくもない他人の噂に耳を傾け、徹夜明けに一人講義に出て彼女たちの分までノートをとる。唐突で強引な呼び出しにあれほど嫌がっておきながら、楽しそうだと言った久賀に軽く苛立っておきながら、たいした躊躇いも見せず呼び出しに応じる。口では迷惑だ鬱陶しいなどと言っているし、それは決して嘘には聞こえないのだが、結局あの青年は彼女たちの身勝手な我儘に付き合ってやる。あれを面倒見のよさと呼ぶのかもしれないが、崇永の行動が久賀には理解できない。
他人を見ていると、どうしてそんなことをするのか、どうしてそんなことを言うかと思うことがある。その理由を想像することはそれほど難しいことではないし、理由のない行動の理由を想像するのは面白い。それに久賀の想像が外れていたところで、それがどうしたというのか。どうでもいいことではないか。
結局のところ、他人事だ。
「さて、そろそろ帰ろうか、八千代さん」
ベンチから立ち上がりそう声をかけた久賀を、八千代さんが黒の瞳で見上げる。そのまっすぐな瞳はどこか呆れているような気がしないでもなかったが、八千代さんに呆れられる理由は思い当たらなかったので、恐らくは気のせいだろう。
それに呆れられていても、八千代さんならばなんら問題はない。
それにしても、今夜もあの青年は彼女たちに振り回されて徹夜で未知の世界に付き合わされるのだろうか。そこでどんな会話が繰り広げられるのか、興味深い。
他人というのは面白い。
まったく理解できない。
だから、どうした。
他人を見ていると、どうしてそんなことをするのか、どうしてそんなことを言うかと思うことがある。その理由を想像することはそれほど難しいことではないし、理由のない行動の理由を想像するのは面白い。それに久賀の想像が外れていたところで、それがどうしたというのか。どうでもいいことではないか。
結局のところ、他人事だ。
「さて、そろそろ帰ろうか、八千代さん」
ベンチから立ち上がりそう声をかけた久賀を、八千代さんが黒の瞳で見上げる。そのまっすぐな瞳はどこか呆れているような気がしないでもなかったが、八千代さんに呆れられる理由は思い当たらなかったので、恐らくは気のせいだろう。
それに呆れられていても、八千代さんならばなんら問題はない。
それにしても、今夜もあの青年は彼女たちに振り回されて徹夜で未知の世界に付き合わされるのだろうか。そこでどんな会話が繰り広げられるのか、興味深い。
他人というのは面白い。
まったく理解できない。
だから、どうした。
*
テレビの電源を入れた。
明日の天気は今日の午後のように穏やかな一日となるだろうと女性キャスターが言う。
「八千代さん、明日はどこに散歩に行こうか」
傍らに座る八千代さんの頭を撫でながら、そう問いかける。
すぐに電源を消そうかと思ったが、ふとした気紛れでチャンネルを変えた。
数百キロ離れた県のコンビニでの立てこもり事件で犯人に立ち向かった老人が殺されたと女性キャスターが言う。物々しい格好の人間たちで作られたバリケードを背景に、いまだ犯人は立てこもり続けていますとリポーターが深刻そうに伝える映像が流れた。
チャンネルを変えると、他国での内戦の状況が悪化したと男性キャスターが言う。乾いた大地に舞う土埃と無残に崩れた建物や項垂れる人間たちの映像が流れた。
久賀はふと息を零す。
テレビの電源を切った。
明日の天気は今日の午後のように穏やかな一日となるだろうと女性キャスターが言う。
「八千代さん、明日はどこに散歩に行こうか」
傍らに座る八千代さんの頭を撫でながら、そう問いかける。
すぐに電源を消そうかと思ったが、ふとした気紛れでチャンネルを変えた。
数百キロ離れた県のコンビニでの立てこもり事件で犯人に立ち向かった老人が殺されたと女性キャスターが言う。物々しい格好の人間たちで作られたバリケードを背景に、いまだ犯人は立てこもり続けていますとリポーターが深刻そうに伝える映像が流れた。
チャンネルを変えると、他国での内戦の状況が悪化したと男性キャスターが言う。乾いた大地に舞う土埃と無残に崩れた建物や項垂れる人間たちの映像が流れた。
久賀はふと息を零す。
テレビの電源を切った。
だからどうした。
やはりそう思う。
やはりそう思う。
<作者コメント>
久賀の人でなし加減が伝わればいいです。
久賀の人でなし加減が伝わればいいです。
他人のことが理解できないから、興味深いと思い、他人が面白いと思う。
しかし、結局理解できない、共感できない人間なのだから、別にどうでもいい。
だからどうした。
しかし、結局理解できない、共感できない人間なのだから、別にどうでもいい。
だからどうした。
そんな感じの人です。