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ACT 1-32 - (2009/10/18 (日) 00:40:37) のソース
ウサギのナミダ ACT 1-32 □ 塔の上から降りてきた神姫。 俺はその神姫を見て、唖然として、言葉が出なかった。 周りにいるギャラリーも、一様に驚いたような、呆れたような顔をしている。 「……しゅめっ、たー……?」 言うな、大城。 俺は認めたくなかった。 世にも気色の悪いこの神姫が、あの愛らしいアイドルタイプの神姫、シュメッターリング・タイプがベースだなどと。 それを認めてしまったら、世にいる数多くのシュメッターリングのファンに申し訳が立たないような気がする。 シュメッターリング・タイプは、人気のある蝶型の武装神姫だ。 人気の秘密は、バトルでの性能よりもむしろ、その可愛らしさにある。 開発メーカーが「リトルリリィ」という販促用アイドルグループを結成し、人気を博しているほどだ。 シュメッターリングは神姫に興味のなかった多くのユーザー、特に女性を中心に受け入れられ、一躍ヒット商品になった。 その愛らしさ満点の神姫が……どうやったらホラー映画真っ青の、こんなに気味の悪い物体になるというのか。 濃いピンク色の髪に、グレーの肌。頭から二本の昆虫のような触角が生えている。 顔はシュメッターリングのマスプロモデル同様に大きいが、その大きさが際だっているように思えた。 逆半月状の目が二つあり、瞳に黒目はなく、平坦になっている。 口もまた逆半月状に大きな顔いっぱいに裂けている。口からは、ギザギザの歯が覗いていた。 アーマー装備はシルエットこそシュメッターリングのものだが、機械的なモールドは消され、代わりに生物の内蔵のような意匠がのたくっている。基本色は緑で、縁取りが茶色。 さらに、短いスカートの裾から、八本の触手がにょろにょろと伸びている。先端に握り手があり、それぞれにハンドガンを持っていた。 そして、背面には、巨大な蝶の羽が生えている。 片方の羽が、神姫の倍くらいの高さがある。 その圧倒的な面積の羽は、夜の繁華街のネオンのように、いかがわしく明滅していた。 武装は、触手の持つハンドガンの他に、手に持ったストラーフ装備の「ジレーザ・ロケットハンマー」。 ……どういうセンスを持ってすれば、このような気色の悪い神姫ができあがるというのか。 もう、蝶というより、蛾というより、擬人化されたバイ菌に見える。 それで名前がクロコダイル? 意味が分からない。 そのクロコダイルは、ゆっくりと降下してきた。 地上近くまで降りてくる。 奴の主武器はハンドガンだから、それほど高度を保つわけにはいかないのだろう。 大きな羽ゆえか、異常に圧迫感を感じる。しかし、あの羽では、空中型のような高速機動はできないはずだ。 心配していた武器の射程も問題ないし、機動力でも互角以上に渡り合える。 勝ちが見えた、と俺は思った。 しかし。 ティアの様子がおかしい。 立ち尽くし、目を見開き、そして、歯をかちかちと鳴らしている。 「ティア……?」 俺の呼びかけにも、ろくな返事が返ってこない。 なんだ。あの気色悪い神姫がなんだというんだ。 俺がそう思ったその時。 『アケミ~~~……』 低いハスキーな声が、クロコダイルの口から漏れ出た。 びくり、と大きく身体を震わせるティア。 『久しぶりじゃあないか……随分と調子に乗っているようだねぇ……。 わたしのマスターを困らせる悪い子には……たっぷりとお仕置きしてやろうねぇ……』 『あ……あ、あ……』 ティアが後ずさる。 これ以上ない恐怖の表情で、クロコダイルを見つめている。 「さあ、クロコダイル! たっぷり、こってりと、アケミちゃんをかわいがってやれ!」 『アイアイサー』 クロコダイルが、八本の触手を広げた。 そして、一斉に構えると、ティアに向かって発砲した。 『きゃあああぁぁ! いやあああああああぁぁぁ!!』 ティアは泣き叫び、一目散に逃げ出した。 ■ 怖い。 怖い怖い怖い怖い怖い。 わたしの心は恐怖で溢れかえった。 相手の神姫……クロコダイルを見た瞬間から。 試合前の決意なんて、一瞬で押し流された。 どうしようもなかった。 あの異形を見ると、どうしても思い出してしまう。 わたしが彼女から、どんな仕打ちを受けたのか。 井山というお客さんは、わたしの馴染みの常連さんであり、わたしにとっては一番嫌なお客さんだった。 わたしをあらゆる手段で、とことん苦しめ、悶えさせる。 いやらしいことも、たくさんさせられた。 そして最後には、わたしの腕や脚を折る。 他のどのお客さんだって、そこまではしなかった。 クロコダイルという神姫は、その井山という人の神姫で、彼の分身のようなものだった。 マスターの命令を忠実に守る。 それは神姫としては当たり前なのだけど、自ら喜んでわたしを虐めた。 わたしが泣き叫ぶほど、二人の行為はエスカレートしていった。 クロコダイルに対する恐怖は、わたしの心の奥に、嫌というほど刻まれている。 どんなことをされたのか、身体が勝手に思い出す。 それほどに苛烈な責め苦だった。 わたしは泣き叫んで、闇雲に駆け出した。 とにかく逃げなくちゃ。 捕まったら、また、ひどいことをされる。 でも、このステージはいつもの廃墟ステージとは違って、身を隠すところが一切ない。 どうやっても、巨大な羽を広げているクロコダイルが目に入る。 ……どこにも逃げられない。 「いや、いや、いやあああああぁぁっ!!」 それを悟った瞬間、わたしは恐慌に陥った。 □ 「ティア! おいっ! 落ち着け!」 『いや、いやああああぁぁ!』 俺の言葉も耳に届いていない。 ティアはとにかく闇雲に走っているだけだ。 ティアが何でこんなにも、クロコダイルを恐れているか、わからない……想像はつくが。 だが、今のままでは、奴が手を下すまでもない。 こんな気のない動きでは、いつ転倒するか分かったものではない。 それに、たとえ今かわせていても、クロコダイルの射線が、いつかティアを捕らえるだろう。 これでは自滅を待つだけだ。 ティアが恐れる気持ちも分からないではない。 かわいそうにも思う。 ティアをさらに追いつめるかも知れないと思いながらも、それでも俺はティアを怒鳴りつけた。 「ティアッ!!!」 自分でも驚くほど大きな声で。 画面の中のティアが、一瞬、動きを止めた。 ■ 恐慌に支配されていた心に切り込んできたのは、マスターの呼ぶ声。 わたしは、びくっ、と大きく身体を震わせる。 マスターの声が、今までで一番、大きくて怖い声だったから。 本気で怒っていると思ったから。 『何を怖がっている! そんな走りで、自滅して負けるつもりか!』 「マ、マスター……」 サイドボードから、私の手元にサブマシンガンが送り込まれてきた。 『走れ、そして撃て! いつも通りにやれば、負けるはずがない!』 「で、でも……怖いんです、あの神姫が! 何されるのかと思うと……怖くて……仕方がないんです!」 わたしは足を止めずに、マスターに言った。 弱音を吐いた。 だって、どうしようもなくて。 でもマスターは、聞いたこともないような恐ろしい声で、わたしを叱咤した。 『今のお前はなんだ!? 二三番の神姫か、それとも奴の呼ぶアケミか! 違うだろ。あの頃の為す術のなかったお前じゃないだろ! 今のお前は、ランドスピナーを操り、名のある神姫たちとも渡り合えるんだ。 奴と戦える術があるんだ。 だから、戦う前から諦めるな!!』 マスターの声色はとても怖かったけれど。 その言葉に、わたしはようやく思い出す。 そう、わたしは恐怖に自分を見失っていた。 自分から勝負を捨てようとしてた。 でもそれは、わたしを『ティア』と呼んでくれる人たちへの裏切りに他ならない。 わたしはまた、同じ過ちを繰り返すところだった。 手を握りしめる。 握り慣れたグリップの感触。 そう、あの頃のわたしには、為す術なんてなかった。 今のわたしには、対抗する術がある。 相手の神姫を見る。 また恐怖が溢れてくるけれど。 もう心が塗りつぶされることはない。 サブマシンガンの感触が、わたしに教えてくれる。 わたしは戦える、と。 □ やれやれ。 ティアは何とか持ち直した。 まだ泣きそうな顔をしているが、動きに危なっかしいところはなくなった。 ティアとクロコダイルは散発的な射撃の応酬を続けている。 どちらも、勝負の決め手にはなっていない。 クロコダイルは、地面から少し上に陣取って、浮遊している。 ティアの射線をはずすために、少し位置をずらす程度だ。 あの巨大な羽に、銃弾が当たってはいるが、ダメージを受けた様子はない。 立体映像か何かだろうか。 だとしたら、飾り以外に何の用途もない羽ということになるが……。 いろいろと疑問に思うことはあるが、俺はそろそろ仕掛ける算段を始めていた。 ふと、向かい合う位置に座る井山を見る。 奴は、いつもの、嫌らしい笑みを浮かべた。 「まあ、あのまま自滅してくれた方が、君たちは苦しまずにすんだんじゃないかなぁ」 何を言っている。 はったりか、皮肉か、それとも策か。 いぶかしげに思いながらも、俺は奴を睨む。 「うふふ……そろそろ効いてくる頃じゃない?」 効いてくる? 何が? 井山の言っていることは意味不明だった。 画面上のティアは、クロコダイルの攻撃をかわし続けている。 有効打はないが、射撃の精度も悪くはない。 やはりはったりか……。 俺がそう思ったその時。 「……あれ?」 「どうしたの、パティ?」 俺の背後で声がした。 確か、あの四人組の一人、八重樫さんという眼鏡の少女と、ウェルクストラのパティだ。 「な、なんだか……身体が……重く……」 「え、どこか悪いの?」 「いえ……特に異常は……」 いや、異常だった。 パティの調子が悪いだけではなかった。 ミスティも頭を押さえている。 虎実も実況ディスプレイを見上げる身体が辛そうだ。 そして、俺の視界にいるすべての神姫が、同じ症状に見舞われているようだった。 ばかな。何が起こっている? 俺はティアをみた。 ティアは相変わらず、クロコダイルの射撃のことごとくをかわしている。 しかし、その技は、目に見えて精彩を欠いていた。 いつものティアなら、もっと余裕を持ってかわしているはずだ。 俺はすぐさまモバイルPCを操作し、ティアの機動を分析する。 ティアはパフォーマンスを落とすまいと、懸命に動いているようだが、すべてのスピードが右肩下がりだ。 しかし、装備にまったく異常は見られない。 だとすると、ティア自信に問題があることになるが……。 俺はティアをモニターしているソフトを呼び出し、異常をチェックする。 身体自体に異常はない。 だが、異常に大きな数字を示しているパラメータに気がつく。 ティアの電子頭脳のリソースの数値だ。 処理するデータ量が激増しており、あきらかにリソース不足に陥っている。 俺は、ティアの電子頭脳の処理状況の詳細を開いた。 絶句する。 「なんだ、これは……」 俺が現在作動中のティアのデータを探ると、そこにリストアップされたのは、正体不明のプログラム群だった。 それらはティアのメモリ上に展開され、似たような名称のファイルを生成し、勝手に増殖している。 一種のウィルスソフトだ。 これがティアのリソースを圧迫し、行動するためのプログラムの処理を遅延させていたのだ。 しかし、なぜだ。 神姫のウィルス対策なんて、初歩の初歩だ。 俺だって当然やっている。 いつ、ティアのメモリにウィルスソフトが混入した? 今、だ。 このバトル中だ。それ以外には考えられない。 仕掛けたのは井山。 ティアだけでなく、他の神姫も同じ方法でウィルスを入れられたのだろう。 だが、どうやって? どうすればそんなことが可能なんだ? ティアとギャラリーの神姫が、バトル中に同じ状況にあったもの……。 筐体の中と外で、同じ状況をもたらしているもの……。 俺は観戦用の大型ディスプレイを見上げた。 クロコダイルが羽をいっぱいに広げて、地上のティアを攻撃している。 ……まさか! 俺は顔を上げると、大きな声で叫んだ。 「ギャラリーしてる神姫! 全員、奴を見るな! その上で、現状のメモリをリセットだ!」 いきなり叫び出した俺に、ギャラリーは驚きの視線を向ける。 しかし、そんなことはかまっていられない。 緊急事態なのだ。 「セキュリティソフトがあるなら、それを起動。オンメモリに、正体不明のファイルがたくさんあるから、それを削除だ! 早く! どんどん増え続けるぞ!」 久住さんと大城が真っ先に動き出す気配。 俺はだめ押しの言葉を放つ。 「ウィルスだ! クロコダイルの羽から、視覚入力で感染してる!」 ギャラリーは一瞬にして大騒ぎになった。 セキュリティソフトを起動して、対象のファイルをリアルタイムで削除するのが一番早い。ミスティも虎実もそうしているようだ。 神姫の記録領域にセキュリティソフトを入れていない神姫は、記録領域に現状のメモリをセーブせずにリセットすればいい。 このウィルスはリソースを無闇に使用するのが目的だから、オンメモリをリセットすれば事足りる。 ただ、今日これまでの記憶が飛んでしまうかも知れないが。 いずれにせよ、ギャラリーは慌ただしく、対策に追われている。 「な、なんだよこれ……いつのまに……」 虎実の呟き。 削除対象のウィルスに驚いている。 いつのまにかウィルスが自分のメモリに侵入してきていたのだ。戸惑う気持ちも分かる。 「視覚入力……とか言ったか?」 大城の問いに、俺は頷く。 「あの羽の模様だ。 俺たちには意味のない模様が明滅しているだけだが、神姫が見ると、メモリ上でプログラムに変換される」 「……そんなこと、できんのかよ?」 「仕組み自体は簡単だ。ずっと昔からある」 「なんだそりゃ?」 「バーコードだ」 幾何学模様の配列によって、二次元の印刷に情報を記録する。 前世紀からポピュラーに使われている技術だ。 神姫の目……カメラを通して読みとり、神姫の電子頭脳……コンピュータが処理をして意味のある情報に復元する。 井山は、クロコダイルの羽の模様に、ウィルスを仕込んでいたのだ。 それを読みとった神姫の電子頭脳が、オンメモリでウィルスを展開した。 大城は、まだよく分かっていないのか、首を傾げている。 井山が少し驚いた顔で俺を見ている。 「へぇ……視覚入力に気がつくなんて、なかなか鋭いじゃない? いままで戦った相手でも、バトル中に気がついたのはほとんどいないよ」 こいつに感心されても嬉しくない。 「ウィルスとは、随分回りくどい手だな……これが貴様のバトルロンドか」 「ボクはハッカーだからねぇ。ソフトとネットワークが武器なんだよ」 「こんなもの、反則もいいところじゃないか」 「はぁ? ジャッジAIは何も言ってないよ。ジャッジが反則の判定をしないなら、ウィルスだろうが何だろうが有効さ! それに、こんな草バトルでどんな手を使おうが、批判される筋合いはないよねぇ?」 痛いところをついてくる。 草バトルはどんな装備を使っても文句が言えない。かつてそう言ったのは俺自身だ。 「それよりも……うふふふ、アケミちゃんの苦しむ顔は、やっぱり最高だよねぇ!」 井山の言葉に、俺は唇を噛む。 ティアはもうフラフラだった。 あの鋭い機動は見る影もない。 ゆっくりと歩くような速度で、ようやく攻撃をかわしている。 転倒し、地べたを這いつくばって、今にも泣き出しそうな顔をして、それでも懸命にかわし続ける。 そんな姿のティアに、俺は手を打てずにいた。 クロコダイルと直接向かい合っていたせいか、ギャラリーの神姫たちよりもウィルスの影響が大きい。 もはや行動プログラムを展開するのが精一杯で、セキュリティソフトを立ち上げるメモリの余裕はない。 バトル中にメモリの消去など、もってのほかだ。 メモリ消去から再起動までの間、無防備になるし、たとえ復帰できたとしても、最近の記録をなくすので、直後の状況を把握できない。 俺は今、モバイルPCを使って必死でファイルを削除しているが、削除したそばからウィルスが増殖し、手のつけようもなかった。 「くっくっく……それじゃあ、仕上げと行こうかな。この攻撃受けてごらんよ!」 井山の言葉と同時、クロコダイルは頭から伸びる二本の触覚をもたげた。 そして、その先端から、大昔のアニメで見たような、黄色いギザギザのビームが放たれた。 速い! 必死にかわそうとしたティアだったが、一瞬遅かった。 『きゃああああああぁぁぁ!!……あぁ……あ……っ』 「ティア!!」 雷に撃たれたように身をこわばらせたティアの名を、俺は思わず叫んでいた。 ティアはそのまま棒立ちとなる。 ……なんだか様子がおかしい。 モバイルPCに表示されるティアのモニター画面には、リソース不足以外の異常は何も出ていない。 それどころか、筐体のディスプレイに表示されるヒットポイントのゲージは削れてもいなかった。 しかし、今のティアは、顔から表情が消えていた。 目はうつろで、光がない。 先ほどまで地面に身体を這いつくばらせていたのに、いまは脱力したまま立っているような状態だ。 「ティア……?」 返事がない。 まるで意志を失ってしまったかのように、画面のティアは立ち尽くしている。 「ティア、どうした? 返事をしろ。 おい……ティア、ティア!!」 いったい何があったと言うんだ。 あの攻撃はなんだと言うんだ。 俺は、井山を睨みつける。 「貴様……ティアに何をした!」 俺の視線の先で、井山はぐにゃりと顔を歪めて笑った。 「ひゃはははは! やっと怒ったね! まったく、冷静な顔なんかしてないで、もっと慌てふためいてもらわないとね! 今度はキミに楽しませてもらうんだからさ! ひゃはははは!」 「貴様……」 今度は俺の醜態を楽しむだと? どこまで歪んだ奴なんだ。 「へへへ……そんなに知りたけりゃ、教えてあげるよ。ボクが何をしたか……」 井山は、嫌らしい笑顔を浮かべながら、俺を見た。 [[次へ>>]] [[トップページに戻る>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2101.html]] ----