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ちだまりスケッチ ~殺人遊戯~

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ちだまりスケッチ ~殺人遊戯~ ◆Yue55yrOlY


美しく、規則的に形取られた結晶体が、眠りから覚めたばかりの穢れなき瞳に映る。
魂魄すら融かしてしまいそうな、純白の粒子が曇天の空から零れ落ちていた。
普段の喜媚であれば、初めて目にした珍しいものを驚きと喜びを持って観察し、遊ぶように真似をしてみせただろう。

だが、今。
喜媚の瞳は雪など見ていない。
ただ、映しているだけだ。
その視線は、雪などよりもっともっと珍しい物を、食い入る様に捉えていた。


◇


眼下の光景に、喜媚は珍しく溜息をついた。
寝ている間に、あのお喋りな妖精を、見た事のない女の子が絞め殺してしまっていたのだ。
喜媚が先に眼を付けていた、あの妖精を。

(この子、妖精さんをどうするつもりなのかなー?)

不覚にも眠り込んでしまう前。
喜媚は、この世にも珍しい妖精を酒に漬け込み、妖精酒を作って姉に献上する心づもりであった。
出来れば生きたまま酒の中に放り込み、その生気に満ちたエナジーを酒の中に溶かし込むのが最上ではあったが、
こうなってしまってはしょうがない。
死骸でもいいから、喜媚はどうしてもあの妖精が欲しかった。

だが……
こういう事は、早いもの勝ちなのよんと、姉はよく言っていた。
姉の物となってしまった獲物に手を出そうとして、よく叱られた記憶が脳裏を掠める。
先に妖精を見つけたのは喜媚だったが、居眠りしてしまった隙に得物を仕留めたのはこの女の子だ。
であれば、妖精の所有権はこの女の子にある。
それを横からかっさらうような真似をしたら、お行儀が悪いと叱られてしまうだろう。

だけどもし、この子が妖精の死骸なんて要らないのであれば……
所有権を放棄して、どこかに行ってしまうようであれば……
それをこっそりと拾い上げ、自分の物にしてしまおう。
そう思って喜媚は、このように女の子の目前で、じーっと黙って見ていたのだが……

女の子は汚液に塗れた妖精を布地で包みこむと、大事そうにデイパックへと仕舞ってしまった。

やはり、何かの呪術にでも使うつもりなのだろうか。
再び、残念そうに溜息をつく喜媚であったが、その頭上にピコンと電球が閃く。

(そーだ! お友だちになって、分けて貰っちゃえばいいんだっ☆)

見れば、あの理緒や亮子、そして喜媚ともさほど年の違わなさそうな、小さな女の子であった。
横からかっさらうのは良くない事だが、お友だちになって譲ってもらうのは礼に叶っていると言えないだろうか。
そうだ。
姉も喜媚を厳しく叱った後は、蕩けるような微笑みと共に、獲物のお裾分けなどをよくしてくれたではないか。

(姉サマ待っててっ☆ 喜媚、珍しいお酒を作って持って行きっ☆)

その発想に思い至った瞬間、喜媚は酷寒の空気を引き裂き、迫りくる殺気を感知する。
その凍てつく殺意の行く末は喜媚ではなく、目前の女の子。
放っておけば一瞬の後には柘榴のように顔面が弾け、理緒のようになってしまうだろう。
だが喜媚の中に、自分で仕留めた人間の死骸ならともかく、死人の財産を奪うなどというさもしい考えは存在しない。
先ほど考えた通りに少女の友人となり、妖精の死骸を譲ってもらうために……
喜媚は少女の運命を変える事にした。

《風さん》に変化していた右手を、ちょいと動かす。
それだけで少女の眼前に迫っていた銃弾が、強固な風の壁に阻まれて弾かれ、石畳に突き刺さり破片を巻き散らかす。
続いて飛んできた次弾を、左手を振るう事で進路を変え、少女の身体から逸らす事に成功。

初撃をやり過ごした喜媚は、魔弾の射手の行方を探して目を眇める。
こういう弾を飛ばす銃という武器の特性は、以前亮子を慰める時に使った人間と遊んだ時に知っていた。
宝貝による射撃武器などとは違い、まっすぐにしか飛ばない武器だ。
だから射線の遥か前方に必ず射手がいる事を、喜媚は確信し――
次の瞬間、後ろから聞こえた声に気を取られた。

「おいっ! 隠れろ、そこのあんたっ!」

そこにいたのは、見知らぬ少年と、彼に担がれた見知らぬ青年。
血の臭いをぷんぷんさせた彼らに気付かなかった事に一瞬驚愕した喜媚であったが、
彼らに攻撃の意思がない事を、すぐさま見てとった。
だが、その確認に回した時間は致命的だった。
三度飛翔した銃弾を、此度は防ぐ事が出来なかったのである。
身体をくの字に曲げ、喜媚が守り損ねた少女が苦悶の声をあげる。

(あ☆ 喜媚、失敗しっ☆)

疲れのせいであろうか。
思わぬ不覚を取ってしまった喜媚であったが、幸い女の子の負傷は深くはなかったようで、
転身するとわき目も振らずに逃走を始めた。

とはいえ、《風さん》に変化したまま追走する喜媚が

「大丈夫?」

と声を掛けても、女の子は無反応。
否、反応する余裕もないのだろう。必死な形相で腕を振り、怪我も気にせず限界までピッチを早めて走る少女の
様子がさすがに心配で、喜媚はこっそりと風となった身体を絡み付くように寄り添わせ、銃創の具合を確かめてみる。

そこには喜媚の視線を遮る物は、何もなかった。
左の肩ひもが切れた事で、濡れそぼり質量を増した服がズリ落ちて、片側だけ柔肌が露出してしまっていたのだ。
この天候下において、あまりにも軽装な少女は胸を保護する下着すら付けてはおらず、その足が大地を蹴りつける度に、
けなげに肉付いた小ぶりな乳房が、激しく上下に弾む。
問題の銃創は、その左乳房の下の方にあった。

喜媚は診察する。
その、微粒子すらも真似してしまう、神懸かり的な眼を持って、観察するように――診察する。
どうやら弾は上手く肋骨の隙間を貫通し、臓器からの出血もない様子であったが、それでも
銃弾が肉体を貫通した傷は浅くはない筈だ。
5.56ミリ弾によって穿たれた穴からは、ジュクジュクと赤い汁が滲み出て、血と汚物に塗れた服を更に赤く染めていく。
人間ならば、すぐに手当てが必要だろうと思い、喜媚は少女の手にびっしりとこびりついた妖精の粉に着目した。
伝承によれば、妖精の粉はどんな傷にもよく効き、これを治すという。
ならばと、喜媚は気流となった身体を操り、少女の左手を患部へと上手く誘導した。
一旦傷口の存在を意識させれば、あとは簡単だった。


銃創をしっかりと手で押さえて、気忙しく後ろを振り返りながら走る少女は、もう安心だろう。
神秘の秘薬が傷口に染み渡り、たちまちの内に肉は盛り上がり、皮が張るはずだ。
喜媚は再び女の子に声を掛けて、姿を顕そうとし……
なんだか、鬼ごっこみたいで面白いかもと感じて、それを止める。

(もうちょっとだけ、このまま遊びっ☆)

それは喜媚が、未だにこの島で起こっている殺し合いのゲームを理解していなかったからであり――

遊びが大好きな子供のまま、永遠に時を止めた妖怪仙人だったからである。


◇


油絵の具で、黒々と塗り込められたような木立ちの合間を少女は駆け抜ける。
視界の隅をよぎる、老婆のように腰の捻じれた幹は、柳の木であろうか。
無計画に乱立しているはずの森の樹が、並木道のように整然とした細い路地を作り出している有り様は、
まるで木々が動いて、少女に道を譲っているかのようであった。

パックの殺害……
突然の襲撃……
そして、変わり果てたグリフィスとの邂逅……

さまざまな出来事が、一斉に起こりすぎて思考の処理が追いつかない。
ゆのは、もう何も考えられず、ただただ生存を訴える肉体に突き動かされるがまま、逃避行為に専念していた。

開けた土地とは異なり、密集した背の高い木々の屋根に覆われた森の黒土は、未ださほど雪の浸食を受けてはいない。
雪の積もる所を避け、柔らかな腐葉土を蹴り飛ばして走る少女の速度は加速度的に増していく。
立ち止まってなどいられない。
転んでなどいられない。
カモシカのように軽快に、小柄な少女は山の斜面を、一心不乱に駆け下りる。


しかし、その好条件はゆのを追跡しているかもしれない襲撃者とて同じ事。
ゆのは、背後が気になった。
追いかけてきた襲撃者が、すぐ後ろにいるかもしれない。
誰かが、追いかけて来ているかもしれない。

それは、先ほどの襲撃者かもしれない。
それは、最初に出会った不死の魔獣かもしれない。
それは、出会い頭に彼女の腕を切断した少女かもしれない。
それは、旅館で彼女を羽交い締めにした屈強な腕かもしれない。
それは、異端の価値観を彼女に示した、狐目の錬金術師かもしれない。
それは、彼女の攻撃で命を落とした、二人の男たちの亡霊かもしれない。
それは、そのとばっちりで重傷を負ってしまった、グリフィスかもしれない。
それは、どこまでも伸びてくる腕を持つ、あの恐ろしい女たちの目かもしれない。
それは、この島での彼女の行為を弾劾する、愛すべき世界の人々なのかもしれない。

「――ッ」

高まる恐怖心に、思わず後方を確認しようと身体を捻った時。
偶然、手が脇腹を掠めた。
恐怖と興奮で、忘れかけていた痛みが蘇る。
先ほど脇腹を貫いた、灼熱と衝撃の記憶が蘇る。

恐る恐る、その場所をそっと手で押さえてみた。
凍えた手に、ぬちゃりとした熱い感触があった。
熱いぬかるみが、そこには出来ていた。

(あ……もしかして私、銃で撃たれたの?)

興奮して、頭に昇っていた血の気が引いた。
ゆのはあまり血生臭いような番組は見ないが、家族や友達と一緒に見るTV番組や映画などでは、銃で撃たれると
死亡シーンへと繋がるのが常であった。
少女の意識の中に、自身の冷たい死のイメージが広がる。
誰もいない、こんな寂しい所で冷たく息絶える自分の姿が。
身体中の血を流し尽くして、痛みと恐怖を味わいながら、ゆっくりと死んでいく自分の末路が。

(撃たれた……? 私、撃たれた……? 私、死……いやだっ!)

しかし、だからといって、足は止められない。止まらない。
今、止まってしまったら……背後から忍び寄ってくる何かから、逃げられなくなってしまう。
怖い、恐ろしい何かに、捉えられてしまう。
本当に――死んでしまう。

「ハァハァ……ハァッ!!」

だから、痛みを堪えて傷口をしっかりと手で押さえた。
これ以上、血が流れてしまわないように。
まだ逃げ続けるために。

とはいえ、傷を自覚した少女の足取りは、先ほどまでより明らかに鈍い。
しきりに振り返りながら、よたよたとふらつくようにして、それでもゆのは懸命に走る。

何度も、振り返る。
背後に、敵影などは見えない。
先ほどから感じる何かが追いかけてくる気配など、ただの気のせいで本当はとっくに敵からは逃れられているのではないか。
もう休んでもいいのではないか。
そんな弱い考えが脳裏に浮かぶも、すぐにゆのはその考えを振り払う。
考えるまでもなく、これまでの敵襲は全てゆのには察知しえるものではなかったからだ。

魔獣との出会いも。
腕を切断された時も。
旅館で男に捕まった時も。
トイレで手に捕らわれた時も。
さきほどの狙撃も。全て。全て。
ゆのは、この島での自分の弱さを、嫌になるくらい熟知していた

だが、果たしてどこまで走れば振りきれるのだろうと、絶望にも近い感情がゆのの心に忍び寄る。
傷口の手当もしなければ本当に死んでしまうし、なによりも、もう体力の限界だった。
足は靴ずれを起こしたように痛いし、筋肉も疲労を訴えて張り詰めている。
心臓が爆発してしまいそうなほど、激しく鼓動を刻んでいた。

そんな状況の中、急に森が開けて、ゆのの目前に大河が立ち塞がった。
こんこんと降り続ける雪が、河の水に溶けて流れてゆく。
水流同士が激しくぶつかり合う音がその場に響きわたり、白く濁った渦が巻く。
昼間よりも増水し、凄まじい激流となって冷水が流れる川は、到底人が泳いでは渡れるものではなかった。
ゆのがカナヅチだという事実を、差し引いたとしても。

ここで、行き止まり。
逃避行の終わりに、足が止まった。
だというのに、絶望に濁りかけていた少女の瞳に、光が戻る。
それは助かったという想いから来る、希望の光だった。


◇


宝貝・混元珠を使い、河を渡り切った少女の姿が、向こう岸の森の中にあった。
早鐘を打つ心臓の動悸を落ちつかせながら、先ほどまで自分がいた辺りを、茂みの中から用心深く見渡す。

――誰もいない。追ってくる人など、いなかった。

その事実を確認し、ゆのはようやく乱れた息を整える。
こんな悪天候の中で、ほとんど半裸にも近い姿を晒しているというのに、身体が燃えるように熱かった。
全力疾走に近い運動で、1キロ近くも走っただろうか。
極度の貧血と疲労で、草むらの上に倒れ込みそうになるのを意思の力で支える。
肉体はとても休息を欲していて、そのまま寝てしまいたかったが、まだ、ここで倒れるわけにはいかなかった。
最低限、傷の手当てをしなければならない。
脇腹を押さえた手が、血と汗にぬめっていた。

ゆのは、ごくりと息を飲み込むと、意を決したように傷口を押さえていた手をどかしてみる。
取り出したペットボトルの水を混元珠で操り、血まみれの脇腹を洗浄する。
覚悟していた、水の染みる痛みはない。
そこは既に肉が盛り上がり、銃創の跡を残すだけとなっていたからだ。

「……え? どうして……?」

思わず、戸惑いの声を漏らす。
この島では、本当に不思議な事ばかりが起きて、ゆのにはわからない事だらけで……
だから解答など出るはずのない疑問に、どこからともなく聞こえてきた声が答えた。

――キャハッ☆ あなたの仕留めた、妖精さんの鱗粉が傷を治しっ☆

「だ、だれっ!?」

――いいな、いいな、妖精さんいいなっ☆ 喜媚もソレ欲しいなっ☆

くすくす、くすくすと、風は笑う。
幼女のような無邪気な声が、森の中を木霊する。

ゆのの唇が、わなわなと震える。
やはり、追われていたのだ。
やはり、振り切れていなかったのだ。
正体不明の何者かが、その辺りにでも隠れているのか。
視線をきょときょとと彷徨わせても、人影など見つからない。
頼りの混元珠を胸に抱きしめて、ゆのは小さな身体を巨木の影に隠す。

「どこ……どこにいるの?」

縞々模様の雪雲に遮られ、弱弱しく輝く太陽は既に西の空に落ちようとしていた。
昼間でも薄暗かった森の中は、いよいよもって見通しが悪く、そこかしこに何かが潜んでいるようで――
木の影から、辺りを窺うゆのの目には、周囲が一転してお化けの巣のようにも見えた。

すぐ近くの大木の影に――
ついつい見過ごしてしまいそうにさり気なく茂った叢に――
土が落ち窪んだ小さな起伏の中に――
そこも、あそこも、あそこにも――


もう、限界だった。

「――ッ!!」

すぐ傍の河から、水で出来た巨大な槍が幾本も飛来する。
混元珠によって操られた槍は、まるでミサイルのようにゆのの思い描いた場所へと着弾し、
大質量を持ってして周囲の障害物を、次々と薙ぎ倒していく。しかし――

――キャハハッ☆ すごいすごいっ! パオペエしょーぶで喜媚と遊びっ? ☆

その内の、どこからでもない場所から再び声が響いたと思った瞬間、ゆのの周囲を凄まじい烈風が渦巻いた。
木の枝がへし折られ、木の葉が舞い散り、降り積もっていた雪がドサドサと雪崩落ちる。

「キャアアァァーーーッ!!」

思わず手で頭を覆い、縮こまるゆのであったが、外傷はない。
だが正体不明の敵の攻撃に対し、ゆのの心は完全に折れてしまった。

デイパックと混元珠を引っ掴むと、木の影から飛び出す。
先ほどの逃走に、勝るとも劣らないスピードで、ゆのは再び逃げ出した。


◇


薄暗くなった山道を、まろぶようにして駆け下りる。
実際何度も転び、膝小僧を擦りむきながらも、狐に追い立てられる野兎の如く少女は逃げる。
だが、野兎を保護してくれる茨の茂みなど、この島のどこを探してもないだろう。
目の端に涙が滲む。

――キャハハッ☆、キャハハッ☆

ひゅん。

笑い声と共に風切り音が鳴り響き、近くの木が切断される。
粉雪を巻き散らかしながら、倒れる木を見てゆのは張り詰めた太腿に再び力を込める。
ゆのの足が止まりそうになる度に、何度も繰り返されるデモンストレーション。
ただの脅しだ。
敵は遊んでいる。それくらい、ゆのにも判る。
だが、だからと言って足を止められるはずがない。
止めたら、次は何をされるかわからない。
切断される大木の姿は、次の瞬間の自分の姿なのかもしれないのだから。

まるで、いつまでも終わらない鬼ごっこ。
鬼に追われるこどもは、どこまでも逃げ続けるしかないのだろうか。

――キャハハッ☆、キャハハッ☆

風鳴りのような、笑い声が止まらない。
敵は一体どこにいるのか。
それすらもわからない恐怖に、ゆのの背中は追い立てられる。
姿さえ現わせば、■してやるのに。

…
……
………今、一瞬。
とても良くない事を、ごく自然に考えたような気がして、ゆのは頭を振るう。

気がつけば、もう随分、山の麓のほうまで降りてきてしまった。
薄く雪の積もった平坦な道を、足を引きずるようにして走る。
本当は、山の上から遠目に見えた街のほうに行きたかったのだが、微妙に進路が逸れてしまったのか。
夕闇に灯り始めた街灯の明かりは、随分と遠くに見えた。

そんな風に集中力を切らせて、朦朧とした意識のまま走っていると足下に転がる何かに蹴躓いて、ゆのはまた転びかけてしまう。
なんとか堪えようと、たたらを踏むゆのの服を、誰かが後ろから掴んで支えた。

「ヒッ!?」

心臓を、鷲掴みにされたようであった。
これまでにない展開に、ゆのの身体が硬直する。
今まで散々に追い回された、正体不明の敵に、ついに捕まってしまったのか。

「いやあああああああっ!!」

絶叫と同時に手に持ったデイパックを、後ろに向けて振り回す。
だが、それは誰にも当たらずに、空を切った。
反動でビリビリと、掴まれていた服の背中が破れて、ゆのの身体がバランスを失う。
スリップするように半回転して、雪原の上に尻もちをついた。
広げた脚の間から迸る飛沫が、純白の雪のキャンバスに黄色い放物線を描く。
シュワシュワと雪の溶ける音がして、白い水蒸気と共に強いアンモニア臭が立ち昇った。

ゆのは肩で息をしながら、破れた服の切れはしを放心したように見ていた。
それはただ、服が木の枝に引っ掛かっただけの事だった。
極限まで張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、恐怖に凝り固まっていた顔が弛緩する。
張りを失った右の肩紐が、肩から腕にゆっくりと滑り落ちると、ゆのの背筋がぶるりと震えた。

「ん……はぁ……はぁ……」

一瞬の虚脱状態から立ち直ったゆのは、追手の存在を思い出し、けだるげに周囲を見渡す。
そして、気付いた。
自分が先ほど躓いた物の正体に。
周囲の、異常な状況に。


まず、躓いた物の正体だったが、これはうっすらと雪に覆われた、人間の女の子の死体だった。
考えてみれば、自分で殺した妖精の死体を数に入れなければ、これがゆのが生まれて初めて見たヒトの死であったが
その心は自分でも驚くほどに平静であった。
既にその程度では動じないほど、ゆのの心は摩耗していた。

だが、それは綺麗に弔われた死体であったからかもしれない。
続いて見た異常な光景は、写真のように鮮明に焼き付いて、死ぬまでゆのの頭から離れる事はないだろう。


やや離れた所に転がる、見慣れた臙脂のスカートからにょっきり伸びた長い脚。
少し雪が積もっていたとはいえ、いつも見ていた造形のそれを、美術科のゆのが見間違えるはずがない。
だが、いつも快活に躍動していた下半身の、赤黒い断面から先にはあるべき上半身がなかった。
だから、ゆのにはその無惨な遺体が本当に彼女なのか信じられなくて――信じたくなくて。
知りたくもない答えを探して、虚ろな瞳を彷徨わせる。


白く染まった世界には、同じように下半身だけとなった死骸が三つ、転がっていた。
狙ったように失われた上半身は、果たしてどこへいったのか。


実は、それらはずっと、ゆのの視界に入っていた。
単に、認識出来なかっただけだ。

だって、想像もつかない。
子供が七夕の笹を飾りつけるように、木の枝に、人の臓物を飾り付けるだなんて。
粉雪を纏わりつかせた、白く脱色したぶよぶよしたものが、かつて人だった物だなんて。

――けれども。

ゆのの背が届かないくらい、高い枝に引っ掛かった一本の腕に、見覚えがあった。
木の幹に、皮膚ごとへばり付いた金の髪に、見覚えがあった。

沈む夕暮れが、白い世界を赤い光で覆い隠す。
今もぽたぽたと、滴り落ちる赤い雫で、降り積もる雪が真っ赤に染まる。
かき氷のような白銀の大地に、赤いシロップを垂らしたような景観が、一つの歪んだ世界を作り出していた。


眼球に焼きついた光景を、脳が処理する前に、肉体が反応した。
悲鳴をあげる間もなく、酸っぱい胃液を、再び雪の上にぶちまける。
内容物なんてほとんど入ってないそれは、少し血が混じっていた。
泣きながら、吐きながら、ゆのは理解していた。
こんなミンチになった肉と臓物が、あの太陽みたいに明るい親友の成れの果てであることを。
追われていた事すら忘れて、少女は目前の光景に慟哭する。
後ろで軽くステップを踏む誰かの足音にも、気付く事もなく。


◇


酸鼻を極めるはずの光景の中、ロリータファッションに身を包んだ三つ編みの少女が楽しげに踊っていた。
思いがけず戻ってきてしまった場所で、怖い男の事を思い出して周りを警戒していた少女であったが、
どうやら男はどこかへと去ってしまったようだった。
四不像を取り戻せなかったのは残念だが、あの男とはどうも相性が悪すぎた。
姉の協力を得て、改めて取り戻すより他にはないだろう。
とりあえず今はその事は忘れて、新しいお友だちと面白おかしく遊ぼうと喜媚は思った。

鬼ごっこは、とても楽しく遊べた。
次は何で遊ぼう。
材料たっぷりのこの場所で、楽しくお料理ごっこでもしようか。
姉から教わった、とりとめもない遊びの候補がいくつか思い浮かぶが、喜媚ははたと、大切な事に気が付いた。
まだ、お友だちの申し込みをしていない。
テヘッと、自分の頭を小突いてから喜媚は剥き出しの背中を丸めてうずくまる少女に声を掛ける。
あなたのお名前、喜媚に教えてッ☆ 喜媚とお友だちになりッ☆
と。


◇


頸動脈を伝わる拍動を感じる。
首の肉に、細い指が食い込んでいた。
子供特有の、高い体温が凍えた手に心地いい。
体勢はマウントポジション。自分と大差ない体格の相手に、馬乗りになって首を絞める。
抵抗はない。
実にすんなりと、当然のように、ゆのは喜媚の首を絞めていた。
なぜと問うように、喜媚は純真な瞳でゆのを見上げる。
それを無視して、激情のまま更に手に力を込めた。
当然ながら、小さな妖精の首を握りつぶした時のようにはいかない。
少女は全ての腕力、全ての体重をかけて、全力で雉鶏精の首を締めあげる。


声を掛けてきた少女に気付くなり、飛びかかった。
恐怖も、躊躇いも麻痺していたのかもしれない。
姿の見えなかった敵が、こんな小さな女の子だった事には驚いたけれど。
友達になろうだなんて、皮肉かと思い腹立たしくなった。
あの、友達になろうと言ってくれた妖精を、ゆのがどうしたのか知っているくせに。
ここまで散々、嬲ってきたくせに。

ようやく廻ってきた千載一遇の反撃のチャンスを、逃したりはしない。
疲労を訴える全身の筋肉を叱咤して、ゆのはその指先に、全ての力を集中させる。

(殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ)

耳元で囁く、誰かの声が聞こえた。
誰の声とも判らない、その声にゆのは打ち震えながらも頷く。

(うん。殺すよ……死にたくないから――殺すよ。もう三人も殺してるんだから……
 グリフィスさんだって、どうせあの怪我じゃ助からない。殺さなきゃ、生きられないなら、私は――)

先の放送までで丁度半分。最後の一人になるまで止まらない殺し合いは、確実に終わりへと近付いている。
なら、その終わりを自分の手で早める事に、何の不都合があるだろう。
パックを殺した。グリフィスも死ぬだろう。この喜媚という少女も殺せば――
それだけ自分の生存へと、近付く事になる。

(奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え)

そうだ。温もりも、平穏も、生きる権利も、この島ではそれが欲しいなら奪うしかない。
椅子取りゲームと一緒だった。
生き残れる席はどんどん減ってしまうのに、遠慮して尻ごみしていては席を奪われてしまう。
そして席を奪われた者には、宮子のような悲惨な死が待っているのだ。
あんな死にかたは――嫌だった。

だから、生きるために、殺す。
とてもシンプルで、力強い答えに従い、ゆのは手の中の暖かな命を摘み取ろうとし――
喜媚が、首を絞められたまま笑っている事に気が付いた。

――くすくす、くすくす

締め付けていたはずの首が、圧し掛かっていたはずの身体が、一瞬にして消え去る。
体重を預けていた対象の喪失に体勢を崩し、倒れ込むゆのの後ろに、喜媚は再びその姿を現した。

「キャハッ☆ 面白かったッ☆ 今度は喜媚がやりッ☆」
「あ……え……?」

攻守交代。
振り向いたゆのの身体に、今度は喜媚が圧し掛かる。
すっかりはだけて露わになった半裸の少女のお腹の上で、喜媚は先ほどのゆのの行為を再現する。
ギリギリと、指がゆのの首に食い込んだ。

「最初は苦しいかもしれないケド……その内、お花畑が見えりッ☆」
「ぐっ……!? い……やぁ……」

物騒な事を言う喜媚の腕を、ゆのは必死になって振りほどこうともがく。
腕を掴み、身体を捻って暴れるゆのの身体を、困ったような顔で抑えつけていた喜媚であったが、
ついにはその腕を爪で引っ掻かれた事によって、手を離してしまった。
ゆのは、ふいごのように胸を大きく膨らませ、解放された気道からひゅうひゅうと酸素を取り込む。
凝固した血で汚れた髪が、脂汗に濡れた頬に張り付いた。

「BOO! BOO! 反則だよッ☆ よーし、それなら……ロリロリロリったロリロリリンッ☆」

言葉と共に、喜媚の身体が煙の中に消えると、急にゆのの腹部に圧し掛かる重量が増した。
せっかく肺に溜め込んだ酸素が押し出される。
圧し掛かられているだけで、呼吸困難なほどの重みだった。
何事かと煙の向こうに目を凝らすゆのが見たのは、黒衣に身を包んだ片目の大男の姿。

吊りあがった闇色の隻眼が、まるで獣の眼のようだと、ゆのは思った。
悲鳴をあげようとしたが、声も出ない。
僅かに、あ……と弱弱しい吐息が漏れた。
驚愕に目を見開く少女の首に、冷たい鉄の腕が掛けられると、前にも増して凄まじい力で締め上げられる。

首の骨が折れそうなほどの力に、一瞬にしてゆのの顔色が青紫色に変化する。
お花畑など、見えるはずもなかった。
ただ苦しくて、ガリガリと立てようとした爪が、鋼鉄の腕に阻まれる。
スカートが下腹部まで捲れ上がる事も厭わず、男に組み敷かれた体勢で足を踏ん張り、膝蹴りを打ち込む。
ビクともしなかった。
蜘蛛の巣に捕えられた蝶のように、ゆのは為す術もなく首を絞め続けられる。
やがてゆのの抵抗が止み、緩慢に投げ出された脚が痙攣し始め、白眼を剥きかけた所で――

急に腹部と首の圧迫感が消えた。

「ゲホッ!! ゲホゲホッ!!」

激しく咳き込み、ゆのの意識が回復する。
いつのまにか男の姿は元の三つ編みの少女のものに戻っており、その視線は傍にある少女の遺体へと向けられていた。

「……忘れてたッ☆ ヒトはすぐ壊れるから、遊ぶ時は手加減しッ☆」

よく出来ましたと言わんばかりに、えっへんと喜媚は胸を張る。
何を考えているのか、わからない。
わからなかったが、反撃するなら今しかなかった。
荒い呼気を整えると、ゆのは腹の上に乗っかる喜媚の脇の下に、器用に太腿を折り畳んで足を差し込む。
そして、一気に跳ね上げて、喜媚の身体を押し退けた。

「わわッ☆」
「ハッ、ハッ、――ッ!! うわあああああアアァァァッ!!」

その勢いのまま起き上がり、喚きながら身体ごとぶち当たる。
急に消えたり、姿を変える。喜媚の操るわけの判らない力。
次にそれを使われたら、今度こそどうにもならない。
尻もちをつかせた喜媚の背後から、抱きつくようにして密着し、腕を首に回す。
俗に言う、チョークスリーパーの体勢である。
喜媚は、この期に及んでまだ楽しげに笑っていた。

(殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ)
(奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え、奪え)

「お願い……」

耳鳴りが五月蠅かった。
全身全霊で殺しに集中しなきゃいけないのに、頭の中で喚かないで欲しかった。
もう言われなくても、やるべき事は判っている。

「お願いだからッ!」

可能な限り早急に。
この少女の息の根を止める。
その為には酸欠になるのを、待ってなどいられない。
チマチマ頸動脈を押さえて、意識を奪ってなどいられない。

「もう、死んでよぉーーーーーーーーーっ!!」

全身の力を、胸の中に抱きしめた頭に掛けて。
か細い喜媚の首を、一気に捻った。

ゴギッ!!

嫌な感触を腕の中に残して、喜媚の全身から力が失われる。
稼働域を超えて回転した、喜媚の顔と向かい合う。
笑顔のまま、輝きを失った瞳の中に、自分の顔が映った。
陰鬱な瞳に、極度の倦怠感が浮かんだ酷い顔だった。
ぼさぼさに乱れた髪の印象も合わさり、ゆのは一気に十は年を取ったような気がした。


◇


しばらくは動く気にもならなくて、いまだ温かな喜媚の遺体に寄り掛かり暖を取っていたゆのだったが
いつまでもそうしては居られない。
そろそろ遠くに見える街まで移動しようとして、喜媚から離れたゆのは、肌寒さに胴震いする。

何せ今や身につけているものは、腰にまとわりつくボロ切れのような服だけで、切れた肩紐の部分を結び合わせれば
まだ着られるかもしれなかったが、汚れに汚れた服を着続ける気にはならなかった。

それに比べると、喜媚の服はとても暖かそうだとゆのは思う。
ゆのは知らない事だったが、変身の度に素粒子レベルで再構築された喜媚の服はほとんど新品も同様であり、
この雪の寒さにも充分対応出来るだけの生地の厚さに作りかえられていたのである。

一つ頷くと、ゆのは辺りを見渡してから、木陰に隠れて服を脱ぎ捨てる。
べしゃりと、重たげな音を立てて、それは雪の中へと埋もれた。
この日、最後の太陽の残光に照らされた血溜まりの中で、ゆのは濡れたハンカチを制服の中から取り出すと身体を拭い始めた。


【胡喜媚@封神演義 死亡】

【F-3/森/1日目/夕方(放送直前)】

【ゆの@ひだまりスケッチ】
[状態]:疲労(極大)、貧血更に進行、頭部に爪による切り傷、後頭部に小さなたんこぶ、首に絞められた跡、倫理観崩壊気味
[服装]:全裸、髪留め紛失
[装備]:混元珠@封神演義
[道具]:支給品一式×3(一食分とペットボトル一本消費)、イエニカエリタクナール@未来日記、制服と下着(濡れ)、パックの死体(スカートに包まれている)、エタノールの入った一斗缶×2
[思考]
基本:死にたくない。
0:休みたい。
1:人を殺してでも生き延びる。
2:壊れてもいいと思ったら、注射を……。
3:宮子の遺体は……。
[備考]
※二人の男(ゴルゴ13と安藤(兄))を殺したと思っています。
※切断された右腕は繋がりました。パックの鱗粉により感覚も治癒しています。
※ロビンの能力で常に監視されていると思っています。
※イエニカエリタクナールを麻薬か劇薬の類だと思っています。



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