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雪が降る

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雪が降る ◆L62I.UGyuw



雪だ。

雪吹く朝の丘に、オレは独り立っている。

凪いだ風。

分厚い雲。

荒涼たる山々。

まばらな木々。

そして地に突き立つ無数の剣。

世界の果て。

眼前の景色は、そう呼ぶに相応しい。



いつからここにいるのか。

何処からここに来たのか。

何もかもが胡乱だ。

知っていることは唯一つ。

オレは、誰かを待っている。

生まれるよりも前から、待っている。



陽が昇る。



雪の原と同化した剣の一振り。

その白刃が、幻の陽光に煌いた。

これは墓標だ。

オレという幻想の、墓標。

もうすぐ、オレの最後の一片が砕けて消える。

何故かそう確信していた。



ずしゃり。

遥か遥かに遠くで、聞こえるはずのない音が響いた。

雪を踏み締める重い音だ。

揺らぐように、オレの形をしたモノの視線が、幾千の剣を越えて行く。

そして、密やかに笑みを形作った。

全てが曖昧な白の丘で――あいつの黒だけが、鮮やかに世界を縫い止めていた。


**********


酷い天候だ。

鳴海歩は舌打ちをして、雪に霞む山の頂を見据えた。
刻一刻と強くなる雪をまともに浴び続け、歩の着る青い学生服は水を吸ってどんどんと色濃く重くなって行く。
彼の背には大腿部から脚を失ったグリフィスの体が括り付けられ、両腕には二人分のデイパックが抱えられていた。

二人分の重量を受けて、ともすればバランスを崩して落下しそうになる体を必死に支えながら、彼は森の上をのろのろと飛行していた。
同じ条件でもグリフィスは楽々と飛んでいたのだが、基礎体力のない歩にとって、これは重労働だった。

だが何にせよ、もう少しで山頂の神社だ。
悪戦苦闘しながらもひたすら飛び続ける。

実のところ、当初歩が目的地としたのはF-4に存在するとされている研究所、そこにあると思われる医療棟だった。
だが地図に表記されている場所の付近をいくら上空から見渡しても、何も見付からなかったのだ。
地図が正確でない可能性も考慮して、周辺を何度か往復してみたものの結果は空振りだった。
歩は特段目が良い訳ではないが、それでもただの民家ならともかく、医療棟が存在するような研究所を見落とすとは考え難い。
にも拘らず見付からないとすると可能性は唯一つ。研究所が地下にある場合だ。
ただそうであったとしても、地図に記してある以上、入口は何処かにあるのだろうと推測出来るが――それを降りて探すのは、時間の損失が大き過ぎる。

そうこうしている内に雪が降って来て、飛んでいるだけでも辛い状態になってしまった。
そこで一か八か、彼は目的地を神社に変更した。

数時間前、グリフィスと共に神社から飛び立ったときに、西へと伸びる道を歩は確認している。
道の先に何かがあるようには見えなかったが、研究所が地下にあるとすればその道が研究所へと続いている可能性は高い。
少し前に山頂付近で謎の爆発があったことが気に掛かるが、危険を恐れて躊躇していてはグリフィスの命は失われてしまう。

いや。
本当は。
本当のことを言えば。
どちらにしてもグリフィスが助かる望みは薄いだろう、と思っていた。
違う。
今だってそう思っている。

だが。
死なせないでくれ、と。
あの真紅のコートを着たガンマンは、絞り出すような声で自分にそう頼んだのだ。
死なせるな、ではない。死なせないでくれ、だ。
彼にとってグリフィスは見ず知らずの他人だろうに、まるで無二の親友の身を預けるかのような台詞だった。

その様子を目の当たりにして、諦観の混じった見方をしていた己を恥じた。

『何かをできる力があるなら、それで救える人を救え』

始まりの教会で、弱気を見せる安藤をそう諭したのは他ならぬ自分ではないか。
まだ出来ることがあるというのに諦めるようでは、彼に、何より自分自身に申し訳が立たない。
だから、絶対にグリフィスを救ってみせる。可能性の低さなど知ったことではない。
肩の矢傷から服に血が滲む。歯を食いしばりながら、真っ直ぐに飛ぶ。

そうして何とか神社の上空へと辿り着いたとき――いきなり、何かが破裂したような乾いた音が歩の耳を叩いた。


**********


深々と降る冷たい雪が、体の芯に沁みて行く。

音も無く、天と地の境を溶かして行く。

世界に、色の無い幕が下りて行く――。



神社の境内。朱い鳥居の下。
ゆのは白い息を吐きながら、虚ろな眼を鈍い色の空へと向けてへたり込んでいた。
体温で融けた雪の水分を吸い、薄いワンピースは身体にべったりと貼り付いて透けている。
ワンピースの前面は外も内も吐瀉物に塗れ、そこに髪から赤い滴がぽたぽたと垂れて滲む。
白かったであろう布地が、肌と吐瀉物と血の色で、前衛芸術のような色分けになっていた。

大分長い間、彼女は自らの吐いた物の上で抜け殻同然の姿を晒していた。

不意に、糸が切れたようにがくんと頭が下がった。血と吐瀉物に塗れたパックの死体が視界に入った。
命を失ったそれは、既にただのグロテスクなオブジェだった。

「ごめん、なさい……」

謝る意味などないと解っていても、口を突いて出る言葉は止められなかった。
どうしても、パックをそのままにして行くことは出来なかった。
デイパックから自分のスカートを取り出して遺骸を丁寧に包み、そしてそっと戻した。

まだ――まだ殺さなければならない。
耐えられる気がしなかった。でも――やらなければ、死ぬ。
きっと今度は自分が握り潰される番だ。

それは、絶対に嫌だった。
最低だと解っていても、やっぱり死にたくなどなかった。
自分の身体を眺める。
汚物に塗れたその姿は、今の自分にはとても相応しいように感じた。

デイパックを背負い直してよろよろと立ち上がる。
足元でべちゃりと気持ちの悪い水音が鳴った。
濁った水がワンピースの裾から脚をだらだらと伝い落ちた。



びしり。



唐突に、足元の石畳が砕けた。
直後、乾いた破裂音が耳に届く。

「え?」

何が起こったのか。
ゆのは口を半開きにしたまま、体を強張らせた。
砕けた石の破片が転がって、彼女の足に当たる。

左耳の傍で空気を引き裂くような音がした。
再び乾いた音。同時に、左の肩紐がぷつりと切れた。

怯えた表情できょろきょろと周りを見渡す。
何も不審な点はない。視界に入るものは雪の降りしきる境内のみ。
薄っすらと積もった雪を、風が巻き上げた。

「おいっ! 隠れろ、そこのあんたっ!」

突然、後ろから鋭い声が響いた。ゆのはびくりと体を震わす。
振り返ると、学生服の少年が木の陰から体を半分出して何事かを叫んでいた。

だがその内容よりも、ゆのの視線は彼に背負われた物体に釘付けになった。

人だ。
頭が見える。
特徴的なウェーブが掛かった銀の髪。

見紛うはずがない。
グリフィスだ。
だが何があったのか、彼の美貌は無残にも潰されている。
そして、どうやら、脚が無い。

あのときだ。
旅館のあのときだ。
きっとあのときに、私がやっちゃったんだ。

言っただろう。罪からは逃れられない。

やにわに耳元でざわめく声が聞こえた気がした。
白スーツの男のもののようでも、腕だらけの女のもののようでも、宮子や沙英やヒロのもののようですらあった。
全身ががくがくと震える。

殺せ。
殺さなければ、お前が殺されるぞ。

後ずさる。
少年はまだ何かを訴えている。しかしゆのにとっては無意味な音の羅列にしか聞こえない。
更に一歩、後ずさる。

そのとき、石畳と全く同じようにゆのの脇腹の肉が爆ぜた。

「ぎゃっ!」

三度乾いた音。焼き鏝を当てられたような痛みに、思わず体をくの字に曲げる。
そこでようやく、ゆのは攻撃を受けていると悟った。辛うじてその場で踏ん張り、転倒を避ける。

逃げないと――。
頭蓋の中で警報が叫びを上げた。
ほとんど本能のままに、振り向いて駆け出す。

後ろから呼び止める声。

無視する。
逃げる。逃げる。逃げる。がむしゃらに逃げる。
何から逃げているのか、ゆの自身にも判然としない。
それでもただ逃げる。逃げ続ける。

そして彼女は色を失った世界へと溶けて行った。

しばらく経って。
人影の消えた雪の境内に、男が一人。
学生服姿で、手には小型の拳銃だけを持っている。

「慣れない狙撃銃に悪天候、体調もあまり良くない。悪条件が重なり過ぎだな。無抵抗の雑魚一匹仕留められないとはね。
 ま、元々殺せればラッキー、ってくらいのつもりだったから別にいいんだけど」

銃の癖も把握出来たしね、と言いながら微笑む。
その笑顔は凪のように穏やかで、良く出来た人形のようだった。


**********


何だこれは――。
医療棟のカードキーを使って分厚い扉を開け、その奥の区画に足を踏み入れた鳴海歩の頭にまず浮かんだのは、そんな陳腐な感想だった。
扉の先には消毒用だろうか、壁に小さな穴がいくつも開いた円筒状の小部屋があった。
更にその先の、やはり分厚い扉の向こうには廊下が一直線に続いていた。
そして、廊下の先は『医療棟』という単語のイメージからは掛け離れたものだった。

入ってすぐ右手の『01』とだけ書かれたプレートが掛けられた部屋には、確かに医療棟らしくベッドがいくつか配置されていた。
消毒薬や包帯などの簡単な医療品もその近くの棚に置いてあるようだった。
複数のPCが設置されているのも見えた。
そこまではいい。
しかし廊下の更に先にある他の部屋は、異様としか言いようがなかった。

最初の部屋の斜向かいに『02』、更にその斜向かいに『03』……と書かれた部屋が延々と続いている。
一つ一つの部屋の大きさは、ちょうど学校の教室程度だろうか。
どの部屋の床や壁も、一枚のタイルのような白く滑らかで硬い物質に覆われている。
そしてそれぞれの部屋の床には、同心円の周囲や内部に幾何学模様と文字やシンボルを配置したような紋様が所狭しと描かれていた。
小さいものは掌程度、大きいものは人が一人収まるくらいの大きさで、一つ一つ細部が異なっている。

歩の知識の中には、当然ながらこれらに類するものは無い。
強いて近いものを挙げるとすれば魔法円、などと呼ばれるものだろうか。
しかしいずれにせよ医療に関係あるとは思えなかった。

呆然と廊下の先に視線を送る。
突き当たりに両開きの扉が見えた。その扉にも部屋にあるものと同じような円形の紋様が描かれている。

「おいおい、何の冗談だ? こいつは」

引き攣った声が、誰もいない廊下に木霊して消えた。
不自然なまでの静寂が不安を煽る。

それにしても。
思わず頭を押さえたくなるのは、血が足りないためだけではないだろう。
グリフィスのこと以外にも、先程の少女の行方や雪輝達との交渉、安藤達への連絡に、この研究所の状況など、気掛かりはいくらでもある。
そして本来ならば、どれも無視していい事項ではない。

だが、状況は切迫しており、時間は僅少であり、両手で抱えられるものは有限である。
グリフィスの命を救いたいのならば、ただその一事だけに集中すべきだ。

とにかく――呆けていても仕方がない。まずは医療棟内部を詳しく調べる必要がある。

一旦廊下を引き返して、入口手前の部屋に入った。
ベッドとPCの他には特に装飾も調度品も見当たらない殺風景な部屋だ。

ベッドの脇にデイパックを一旦置く。
グリフィスをベッドに寝かせ、ボロボロになった服を全て脱がせた。

優男風の容姿とは裏腹に、服の下から現れた彼の肉体は恐ろしく鍛え上げられていた。
それもただ力だけを求めて筋肉の鎧を纏った不細工な身体ではない。
しなやかさを失わない程度に適切に絞り上げられた筋肉が、身体の各所を覆っている。
彼はまさに稀代の彫刻家が悪魔に魂を売り渡して彫り上げた聖像だった。
顔が半分潰れ、脚を失った今ですら、ミロのヴィーナス像の如き不完全さ故の美を湛えていた。
彼を抱いた男色家の貴族に、等量の黄金に等しい価値があるとまで言わしめたのも頷ける。

軽く身体を拭いて毛布を掛ける。
そして脚を持ち上げ、その下に枕を置いた。そして止血帯代わりの布地の上からガーゼと包帯を重ねる。
一瞬だけ苦痛を訴えるようにグリフィスの蒼い顔が歪んだ。
しかしその身体は僅かに緊張しただけだった。動くだけの力が残されていないのか。

真紅のガンマンの適切な処置のお陰でかなりの延命に成功しているのは確かだ。
だがそれでもかなりの血液が失われていたし、今もじわじわと脚からは血が滲んで来ている。
いずれにせよ、それほど時間は残されていない。
迅速に、かつ冷静に行動しなければならない。

歩はまず自らの上半身の服を脱ぎ、左肩の傷口に改めて包帯を巻き直した。
雪に濡れ血の滲んだ学生服は、デイパックに適当に放り込んだ。

それから、他の部屋は全て無視して、廊下の突き当たりに見えた扉へと突き進む。
いかにも何かがありそうな意匠が凝らされた扉だ。明らかに怪しい。
罠――という単語が頭を掠めたが、即座に振り払う。そんなことを考慮している余裕は今はない。

扉を押し開く。黴臭い、しかし何となく落ち着く微かな匂いが鼻孔をくすぐった。
奥を覗く。暗い。廊下の白い光が、くすんだ赤色の絨毯を照らし出している。
目が慣れていないため、光が直接届かない奥の方はよく見えない。

入口の脇を探ると、スイッチがいくつかあった。それらを纏めて切り換える。
天井の蛍光灯が一斉に点き、辺りの闇を追い払った。

「やっぱり図書室、だな」

部屋に入ったときの匂いから予想していた通りだった。
他の部屋よりも遥かに広く、分厚い本の詰まった本棚が整然と並んでいる。
図書室というより小規模な図書館といった風情だ。

歩は近くの本棚から本を一冊抜き取り、表紙を眺めた。
表紙には簡素な円形の紋様が刻まれており、その中心にシンプルな書名が書かれていた。

『錬丹術概論Ⅰ』

「……錬丹……術……?」

そんなものは知らない。しかし似たような響きの単語に聞き覚えはある。

「これは……『錬金術』と、何か関係がある、のか?」

ペラペラと最初の方のページを捲ってみる。
いかにも専門書といった、簡にして要を得た説明や定義が並んでいた。
中には歩も知っているような医学用語も見受けられる。

顔を上げる。
改めて本棚を眺めると、通常の医学書に混じって、錬丹術という単語が入った本が他にも多数並んでいた。
少なくとも医学と無関係という訳ではないらしい。

しかし――と顎に手を添える。

「ここは一体何を……研究所……単眼の死体……生命科学……医療……まさか。いやそうだとすると――」

厳しい顔で目に付いた錬丹術関連の本を適当に数冊引っ張り出し、急いで最初の部屋まで取って返した。

PCを立ち上げる。
立ち上がるのを待つ間に、携帯電話を取り出す。圏外だった。

PCが立ち上がると、すぐ手当たり次第に様々なファイルにアクセスする。
十分強の間、PCと図書室から持って来た本とを交互に見比べていた歩だったが、やがて唐突にくそ、と悪態を吐いた。

『錬丹術』とはやはり錬金術の一種で、特に医療分野に特化した技術であるらしい。
PCに残っていたデータを調べたところ、錬丹術は戦場における緊急医療技術として将来性が高いだろう、といった内容のレポートも見付かった。
他にも様々なレポートが――公表すれば人倫に悖ると非難されるであろうものも含めて――大量にあった。

つまり、医療棟というのは名目上のものに過ぎない――と結論出来る。
錬丹術の実験場。それがこの区画の正体だった。

椅子を引いて天を仰ぐ。

しくじった――。
痛恨のミスだ。白い天井を睨んで、歩は歯噛みした。赤茶けた泥を呑み込んだ気分だった。
安全策を採ったつもりが完全に裏目に出た。ここではグリフィスの治療は出来ない。

ならば――ならばどうする。
これからもう一度、病院か診療所までグリフィスを抱えて飛んで行くか――。

「……無理だ。どう甘く見積もっても――」

浅く速い呼吸を繰り返すグリフィスを見遣る。
彼の容態は安静にしていてもあと二時間保てば良い方だ。すぐに治療しなければ命は無い。
この雪の中をまた数キロ先まで抱えて行くなど、彼の体力が持つはずがない。それは間接的な殺人に等しい。

「くそ……どうにかする方法は……」

部屋の入口の方に目を遣る。
何もない。

もう一度、グリフィスに視線を戻す。

縛った脚の断面から、重ねたガーゼにじわじわと血が滲んで行く。
逡巡している間にもグリフィスの命は着実に削られている。

眼を瞑る。
救う手立ては、ある。
ただしそれは針の穴を通すよりも細い可能性だ。
ほとんど無謀と表現してもいい。
そもそも医療棟入口の扉を破って殺人者が侵入して来てしまえば全てご破算だ。
だが、それでも、

「やるしか――ないか」

何もしなければ、グリフィスに待っているのは確実な死だけだ。手を拱いている訳には行かない。
自身の知力とグリフィスの生命力、そして少しの運に賭ける。
無為に残された時間を過ごすよりは、そちらの方が億倍マシというものだ。

決断するやいなや、歩は即座に身を翻して足早に図書室へと向かった。
扉を開ける。
書籍の山が、無限に続く墓場のように、再び歩を迎え入れた。


**********


同じ頃、金属質のドームの片隅で。
カノンは医療棟の扉の前で腕を組んで考え込んでいた。

「さて……弱ったね。これはちょっと計算外だったな」

呟いた言葉が、だだっ広い空間に空しく吸い込まれて行く。

研究所の外から点々と続く真新しい血痕は、ほとんど迷わずここまで続いていた。
研究棟の内部は、破壊された設備やら死体やらが転がった異常な状況だったにも拘らず、だ。
普通なら、カノンがそうしたように慎重に慎重を重ねて進むべき場面だろう。

言うまでもなく、歩も危険は十分に感じていたはずだ。
それでも彼が危険を無視したということは、彼が背負っていた人物――すなわち血痕の主が、一刻を争う容態だったのだろうと推測出来る。

そして状況からすると、歩は初めからここ――医療棟を目指していたとしか考えられない。
ならば。

「銃声を鳴らしたのも無意味――いや、むしろ失敗だったということになるかな? 参ったね。
 歩君を空から下ろしつつ邪魔者を排除する一石二鳥の作戦のつもりだったんだけど」

困ったような表情を作って頭を指で掻く。どこか他人事のような態度だった。

おもむろに、眼前で沈黙を続ける扉を軽く拳で叩く。ゴンと重い音がした。
ちらりと横を見る。研究棟の入口と同じタイプの認証装置がある。
この扉を開くにもカードキーを必要とするらしい。
念のため研究棟のカードキーを通してみたが、やはりエラーが返って来た。

カノンならば、例えばカードキーの認識装置を破壊して内部回路に細工することで扉を開けられるかもしれない。
都合の良いことに、妙な機械人形の残骸から取った部品もある。出来ないことはないはずだ。
しかしそんな強引な開け方をすれば、歩に決定的な疑いを持たれてしまうだろう。
それは少々面白くない。
歩に取り入るなら、偶然を装って彼の目の前に出て行くのが理想だ。

「まあ……どうせ天気も悪いことだし、焦ることもない。
 まずは一通りここを見学してから改めて考えようか」


**********


静謐な空間に、時折床を擦る音と小さな声が響く。

「ここに、こいつを足して……構築式はこう、か」

歩は『05』と記された部屋の中央付近で、備え付けられていた筆記具を使って床の紋様の一部を書き換えていた。

一時間近く資料を読み漁った結果判ったことは、錬丹術とは非常に高度な自然科学の結晶であるということだ。
一見適当に描かれているように見える模様や記号にも、実はその一つ一つに深い意味がある。
歩がいくら卓越した頭脳を持っているといっても、流石にその深遠な理論の詳細を理解することは出来ない。
故に、一から式を組み上げることは、たとえ丸一日あっても不可能だ。

しかし――何も理論の全てを理解する必要などないのだ。
そう、ここには既に組み上がった実験用の練成陣が山ほどある。これを利用しない手はない。
すなわち、部屋にあった練成陣の一部を変更して、目的の治療に適したものに書き換えればいい。
おそらくはこれが現時点で歩が取り得る最上の策だ。

「…………これで完成――だな」

最後に三角形のシンボルを中心に足して、構成し直した練成陣に間違いがないかをもう一度注意深く確認する。
しばらく練成陣を凝視した後、歩は軽く眼を閉じて緊張をほぐすように細い肩を下げた。

「さて、さっさとやるとするか。あいつも、もう待ちくたびれてるだろうしな」

そして不安を押し退けるように、軽い口調で一人ごちた。



数分後。
歩はグリフィスの身体をガラス細工を扱うように慎重に『05』の部屋まで運んで来た。

グリフィスの呼吸は深く静かで、一見容態は落ち着いているように見える。
しかし無論のこと、これは落ち着いているのではなく命の灯が消えかけているのだ。
彼の顔からは既に冷汗すら引き、色は蒼白を通り越して土気色に近い。
今、辛うじて命を繋いでいるのも、彼の強靭な生命力あってこそだ。

歩が構築し直した練成陣は、血管を繋ぎ直し、筋繊維を束ね、切断面を皮膚で覆う錬丹術を発動するためのものだった。
脚の再接合は完全に捨てている。
それどころか神経組織のことなども全く考慮の外であるし、他の部分の傷を治せるような汎用性もない。
それでも歩の計算通りに術が成功すれば、とりあえず命だけは救うことが出来るだろう。
今はそれで十分――とはとてもいえないのだが、欲を出せるだけの余裕はない。

練成陣の中心付近に両脚が来るように慎重に寝かせる。

「頼むから――上手く行ってくれよ」

練成陣の横に屈み込んでゆっくりと床に手を付けた。
目を瞑る。
集中する。
円のイメージを形作る。
すると練成陣の外円にエネルギーが循環し始め――、

「ぐあっ!」

放電を思わせる乾いた光と音が走った。歩の体は弾かれて背中から床に落ちた。
両腕には内側から切り裂かれたような傷がいくつも生じている。
大きめの傷口からは鮮やかなピンク色の肉が覗いていた。

「ぐっ……これが、リバウンド――」

リバウンド――錬金術の失敗時に術者へと返る反動。
大掛かりな術のリバウンドは命に関わることもある、と資料には書いてあった。

失敗か――痛みを堪えながら、歩は悔しげに呟く。

確かに失敗ではある。
しかし実のところ、出鱈目な練成陣や理解ではそもそも何も起こりはしない。
リバウンドが発生するまでに錬丹術を発動出来たことが、既に奇跡とも呼べる偉業なのだ。
だが、そこまでだ。
いかに彼が卓越した頭脳を持っていたとしても――錬丹術というものは一朝一夕で、ましてや一時間足らずの座学で習得出来るような技術ではない。
四則演算を習得した小学生が、いきなり微分方程式を解こうとする以上に無謀と言える。

「いや――いや、まだだ。諦めて堪るか――まだもう一度――!」

無謀なのは初めから判っていたことだ。
もう一度錬丹術の資料を読み直す時間は無い。
無理でも無茶でも無謀でも、今ある条件で成功させるしかない。

だが、焦っては駄目だ。
焦れば出来ることも出来なくなる。

呼吸を整える。
平静を心掛ける。
両の腕が焼け付くように痛んだ。
ばっくりと開いた肉の裂け目から、ぼたぼたと血が流れ落ちる。
見た目ほど重傷ではないが、しかしこれからの行動に支障がないというほど軽傷でもなかった。
もう一度リバウンドが起これば、この腕は――いや、それは考えるべきではない。
既に他の選択肢は無いのだから。

意を決して、床に手を付く。
掌にひやりとした感触が伝わった。

そのとき、グリフィスの形のいい唇が動いた。

「ぃ…………い……」

はっとして、歩はグリフィスの顔を覗き込んだ。

「もう、いい……」
「あんた、起きたのか!? いいから黙って寝てろ! 今から怪我を治してやるから――」
「もう、いい……やめろ。己の、死期くらい……判るさ……」

すう、と潰れていない方の眼が見開かれた。彼の瞳は何処か遠くを映している。

「助けようとしてくれたことには、感謝する」
「何を――ふざけるなっ! まだ死ぬと決まった訳じゃない。まだ、可能性は――」
「無い」

小さな、恐ろしく冷たい声だった。
それが宇宙の法則であるかのように、グリフィスは自身の死を宣言した。
何を、と言い掛けた歩を視線だけで制して続ける。

「無駄だ。お前の言葉には、真実がない」

不可能だと悟っているんだろう、とグリフィスは続けた。
まるで神託だった。

歩は言い返そうとして、しかし結局険しい表情で黙った。
図星だったからだ。
歩には失敗の理由が朧気にしか解っていない。そして朧気にすら解っていないミスもあるだろう、と理解している。
錬丹術は人知の及ばない神秘ではないのだ。
可能なことと不可能なことは厳密に別たれており、道理は捻じ曲げられない。
理解が不十分なままもう一度錬丹術を実行したとしても、同じ結果に終わるに違いない。
そのことを歩は内心で認めてしまっている。

「あれが、あれが……オレ。オレの――果てか」

押し黙る歩に構わず、グリフィスは淡々と語り始めた。

「夢だ――夢の中でオレは、一羽の――鷹だった――」
「おい、こんなときに何を」
「オレは飛んでいた。眩い闇を従えて、飛んでいた。飛び続けて、いた――。
 世界は、オレの眼下に、あった。運命はオレと、共にあった。物語は、全てオレの、手の内に、あった。
 オレに不可能は、なかった。望みのままに、世界を、塗り替えることだって、出来た」

意識が混濁しているのか。一瞬そう思った。

しかし。
彼の眼には、死に瀕した人間のものとは思えない輝きがあった。
彼の言葉には、ただのうわ言とは思わせない不可思議な力があった。
彼の聖なる訴えを、歩はただ観ることしか出来なかった。
彼の聖なる訴えを、歩はただ聴くことしか出来なかった。

「夢のためなら、何でも、しよう。体も、売ろう。泥も、食もう。
 世界の全部を、敵に回しても、構わない。仲間の、屍を、踏み拉いても、構わない。
 あいつに、憎まれたって――構わない。そう、思っていた」

けれど。
掠れる声で続ける。

「あいつに憎まれても、何も感じなくなることだけは――それだけは、絶対に――耐えられない」

――だから、これでいいんだ。
はっきりとそう言って、グリフィスはまるで何か得体の知れないものを拒むかのように、僅かに身体を震わせた。
その途端――ずっと彼を包んでいた妖しげな輝きが、霧が晴れるように消え去った。歩にはそう感じられた。

そして。
床に横たわっているのは、子供だった。夕暮れ時の路地裏で遊び疲れた、ただの子供だった。
胸板が一際大きく上下した。そこに本来あるべき『鍵』は存在しなかった。

「ああ、雪、だ」

――雪が、降っている。

はらはら、はらはらと。

オレが、雪に溶けて行く。

全てが、雪に溶けて行く。

千の味方も、万の敵も、何もかもが溶けて行く。

溶けて行く。

そして。

一つだけ。

黒い点だけが、最後に残った。

全く。

しぶとい奴だ。

思わず苦笑する。

そうだ。

そういえば。

面と向かって言ったことはなかったか。

オレに夢を忘れさせた、唯一人の男――。

「ガッ、ツ――お前、は――オレ――の――…………」





夜が来る。





【グリフィス@ベルセルク 死亡】


【F-5/研究所(医療棟)/1日目/夕方】

【鳴海歩@スパイラル~推理の絆~】
[状態]:疲労(中)、貧血、左肩に深い刺創(応急手当済み)、両腕に複数の裂傷
[服装]:上半身裸
[装備]:小型キルリアン振動機“チェシャキャット”(バッテリー残量100%)@うしおととら、雪輝日記@未来日記、風火輪@封神演義
[道具]:支給品一式×3、医療棟カードキー、破魔矢×1、社務所の売り物(詳細不明)×0~3、錬丹術関連の書籍、
    手錠@現実×2、警棒@現実×2、警察車両のキー 、詳細不明調達品(警察署)×0~2(治癒効果はない)、
    No.11ラズロのコイン@トライガン・マキシマム、居合番長の刀@金剛番長、月臣学園男子制服(濡れ+血染め)、グリフィスの脚
[思考]
基本:主催者と戦い、殺し合いを止める。
0:……。
1:放送の内容を検討する。
2:結崎ひよのに連絡を取り、今後の相談をしたい。
3:天野雪輝に連絡。協力関係を模索する。
4:島内ネットを用いて情報収集。
5:首輪を外す手段を探しつつ、殺し合いに乗っていない仲間を集める。
6:安藤と東郷が携帯電話を入手したら、密な情報交換を心がける。第三回放送の頃に神社で、場合によっては即座に合流。
7:カノン・ヒルベルトの動向には警戒。
8:『砂漠の星の兄弟(姉妹?)』に留意。
9:『うしおととら』と、彼らへの言伝について考える。
10:神社の本殿の封印が気になる。
11:リヴィオや或の死について――?
12:神社から逃げ出した少女と狙撃手に留意。
[備考]
※第66話終了後からの参戦です。自分が清隆のクローンであるという仮説に至っています。
 また時系列上、結崎ひよのが清隆の最後の一手である可能性にも思い至っています。
※主催者側に鳴海清隆がいる疑念を深めました。
 また、主催者側にアイズ・ラザフォードがいる可能性に気付きました。
※会場内での言語疎通の謎についての知識を得ました。
※錬金術や鋼の錬金術師及びONE PIECEの世界についての概要を聞きましたが、情報源となった人物については情報を得られていません。
※錬丹術(及び錬金術)についてある程度の知識を得ました。
※安藤の交友関係について知識を得ました。また、腹話術について正確な能力を把握しました。
※未来日記について、11人+1組の所有者同士で殺し合いが行われた事、未来日記が主観情報を反映する事、
 未来日記の破壊が死に繋がる事、未来日記に示される未来が可変である事を知りました。
※考察に関しては、第91話【盤上の駒】を参照。


【F-5/研究所/1日目/夕方】

【カノン・ヒルベルト@スパイラル~推理の絆~】
[状態]:疲労(小)、全身にかすり傷、手首に青痣と創傷、掌に火傷、“スイッチ”ON
[服装]:月臣学園男子制服
[装備]:理緒手製麻酔銃@スパイラル~推理の絆~、麻酔弾×16
[道具]:支給品一式×4、M16A2(24/30)@ゴルゴ13、M16の予備弾装@ゴルゴ13×3、パールの盾@ONE PIECE、
    大量の森あいの眼鏡@うえきの法則、研究所の研究棟のカードキー、
    五光石@封神演義、マシン番長の部品、不明支給品×1
[思考]
基本:全人類抹殺
1:鳴海歩と合流。折を見て内部からの崩壊を狙う。
2:研究所内部の探索。
3:十分なアドバンテージを確保した状態であれば、狙撃による人類の排除。
[備考]
※アイズ・ラザフォードを刺してから彼が目覚める前のどこかからの参戦です。
※剛力番長から死者蘇生の話を聞きました。内容自体には半信半疑です。
※みねねのトラップフィールドの存在を把握しました。(竹内理緒によるものと推測、根拠はなし)
 戦術を考慮する際に利用する可能性があります。
※森あいの友好関係と、キンブリーの危険性を把握しました。


【E-5/1日目/夕方】

【ゆの@ひだまりスケッチ】
[状態]:疲労(大)、貧血、全身吐瀉物まみれ、頭部に爪による切り傷、脇腹に銃創、後頭部に小さなたんこぶ
[服装]:吐瀉物まみれの濡れた白いワンピース、髪留め紛失
[装備]:混元珠@封神演義
[道具]:支給品一式×2(一食分と水を少々消費)、イエニカエリタクナール@未来日記、制服と下着(濡れ)、パックの死体(スカートに包まれている)
[思考]
基本:死にたくない。
0:逃げる。
1:人を殺してでも生き延びる。
2:壊れてもいいと思ったら、注射を……。
[備考]
※二人の男(ゴルゴ13と安藤(兄))を殺したと思っています。
※切断された右腕は繋がりました。パックの鱗粉により感覚も治癒しています。
※ロビンの能力で常に監視されていると思っています。
※イエニカエリタクナールを麻薬か劇薬の類だと思っています。


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