楊嗣復 ようしふく
783-848
中唐の宰相(在任838-840)。字は継之。または慶門。
楊於陵の次子。
楊授・
楊損の父。進士、博学宏辞科に及第し、中書舎人となった。政治的に牛派に属し、
牛僧孺・
李宗閔に引き立てられるも、李宗閔が罷免されると剣南東川節度使、後に西川節度使に遷った。戸部侍郎として京師に召還され、諸道塩鉄転運使となり、
李珏と同時に同中書門下平章事(宰相)を拝命し、弘農伯に封爵された。
文宗の信任あつく、
鄭覃・
陳夷行が宰相を罷免されると専権を握った。
武宗が即位すると誅殺されかけたが、政敵の
李徳裕の取りなしで潮州刺史に左遷された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年01月19日 18:30