呉王李恪 りかく
619-653
初唐の宗室。
太宗の第三皇子。母は隋の
煬帝の娘
楊妃。長沙王、後に漢王に封ぜられ、貞観二年(624)蜀王に封ぜられ、斉州都督となった。貞観十年(636)呉王に改められた。乳母の子の賭博に連座して、都督を罷免され、封戸三百を削られた。一時期皇太子候補にあげられたこともあった。
高宗が即位すると司空・梁州都督となる。
房遺愛の謀反事件に連座して処刑された。鬱林王に追封された。子に
李千里・
李瑋・
李琨・
李璄がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十 列伝第五 太宗諸子 鬱林王恪
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 呉王恪
外部リンク
最終更新:2024年08月12日 02:25