嗣曹王李皋 りこう
733-792
中唐の宗室・武将。字を子蘭。その世系は
太宗→零陵郡王
李明→嗣曹王
李傑→嗣曹王
李胤→嗣曹王
李戢→李皋である。天宝十一載(752)嗣曹王に封ぜられた。母の太妃鄭氏に仕えて孝行によって有名であった。安史の乱で蜀の
玄宗に謁見し、都水使者、温州長史、少府監、衡州刺史、潮州刺史を歴任。建中元年(780)湖南観察使となり、
王国良の乱を鎮定。
李希烈の乱によって江西節度使に赴任して対応にあたり、部下の
伊慎・
李伯潜・
劉旻の活躍によって鎮定に大きな功績をあげ、荊南節度使に遷った。貞元年間(785-805)初頭、
呉少誠対応のため山南東道節度使となった。子に
李象古・
李道古がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十 列伝第五 太宗諸子 曹王明 嗣曹王皋
『旧唐書』巻一百三十一 列伝第八十一 李皋
外部リンク
最終更新:2024年08月11日 15:41