朱珍 しゅちん
?-889
晩唐の武将。
朱全忠の部将。徐州豊県の人。若くして
龐師古らとともに
朱全忠に従って盗賊となり、将軍となって兵士を選抜した。朱全忠が宣武節度使となると、軍制を創立して、とくに将を選んで兵を訓練させるなど、後方での将兵の育成に力を発揮した。朱全忠が
黄巣を破ると、
李克用を酒席の後に襲撃するのに参加。李克用は取り逃がしたが、その麾下の兵をことごとく殺害した。
秦宗権が大軍で襲撃してくると、軍規を整えて兵を大量募集して反撃して、秦宗権を滅ぼすのに力があった。朱全忠により
朱宣攻撃のため派遣され、曹州を奪取して刺史の丘弘礼を捕虜とし、また濮州を奪取して刺史の
朱裕を鄆州に逃亡させた。鄆州を攻撃したが、朱裕の偽装降伏にはまり、甕城(虎口)に入ったところで軍が壊滅し、身を以て逃れた。魏博の軍乱で
楽彦貞が捕らえられると、魏博に出兵したが、楽彦貞が殺害されたため、引き返した。
時溥を攻撃中、李唐賓と争ってこれを斬殺したため、朱全忠の怒りを買い、処刑された。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻十九 梁書十九 列伝第九 朱珍
『新五代史』巻二十一 梁臣伝第九 朱珍
外部リンク
最終更新:2024年05月17日 20:06