李納 りのう
759—792
中唐の藩鎮(第3代淄青節度使)。淄青節度使
李正己の子。
李師古・
李師道の父。建中二年(781)父の死により継承したが、徳宗は認めず、そのため魏博節度使
田悦とともに唐に反抗した。部将の
李洧・
李士真・
李長卿が次々と唐に帰順して窮地に陥り、李納も帰順を願ったが聴されなかったため、田悦・盧龍軍節度使
朱滔・成徳軍節度使
王武俊と同盟を結んで、建中三年(782)各自が王号を称し、李納も斉王を称した。興元元年(784)唐の態度が緩和されたため帰順し、隴西郡王に封ぜられ、
李希烈討伐にあたった。貞元八年(792)に死ぬと、子の
李師古が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月16日 00:08