劉全諒

劉全諒 りゅうぜんりょう

751-799
中唐の武将・藩鎮(宣武軍節度使)。初名は劉逸淮(劉逸準)。劉客奴の子。劉悟は甥。劉玄佐に仕えて牙将となり、累進して兼御史中丞となった。劉士寧によって宋州刺史に任じられた。宣武軍節度使董晋が卒し、朝廷が後任とした陸長源は軍乱のため殺害されると、監軍の倶文珍は密かに劉全諒を汴州に呼び寄せて知留後とした。朝廷も検校工部尚書、汴州刺史、兼宣武軍節度観察等使に任じ、名を劉全諒と賜った。貞元十五年(799)八月卒。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百五十一 列伝第七十六 董晋 劉全諒
『旧唐書』巻一百四十五 列伝第九十五 劉全諒

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最終更新:2024年07月21日 02:22
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