劉客奴
?-756
唐代の軍人。平盧軍節度使。初名は客奴、後に劉正臣。
劉全諒の父、
劉悟の祖父。幽州昌平の人。幼い頃から武芸に秀で、平盧軍に従軍した。開元年間、室韋の首領の段普恪が攻撃してきたが、節度使の
薛楚玉が客奴に勇気があるから普恪を攻撃させ、客奴は単騎で攻撃して斬首して献上した。平盧軍先鋒使となったが、
安禄山が叛乱すると、部将の
董秦により安禄山側に立った節度使の
呂知誨を殺した。至徳十五載(756)柳城郡太守、摂御史大夫、平盧節度支度営田陸運、押両蕃渤海黒水四府、経略及平盧軍使に任じられ、名を正臣と賜った。范陽で
史思明と戦ったが、潰滅して妻子や軍資はすべて陣没した。逃げ戻ったが、
王玄志に毒殺された。後に至徳功臣に数えられ肖像画は凌煙閣に祀られた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝・史料
外部リンク
最終更新:2023年03月23日 23:42