薬子昂 やくしごう
?-?
中唐の官人。殿中監。宝応元年(762)安史の乱において回紇が
史朝義につこうとするのを、回紇軍を出迎えて労いと視察を行い、説得して回紇を唐につかせることに成功した。この功により御史中丞、左廂兵馬使となったが、雍王(後の
徳宗)の無礼を咎めた回紇がその部下を杖殺するのに立ち会わされた。右武衛大将軍となり、同年、
代宗は権臣の
李輔国の軍権を奪うため、薬子昂を判元帥行軍司馬に任じて、李輔国と代わらせようとしたが、固辞した。
列伝
最終更新:2024年08月30日 01:25