李周𧬤

李周𧬤 りしゅうとう

?-893
唐末の宦官。李周潼とも。李茂貞が横暴を極めると、景福二年(893)宰相の杜譲能・右神策軍中尉・観軍容使の西門重遂とともに李茂貞の誅殺をはかった。嗣覃王李嗣周を京西招討使として討伐軍が派遣されたが、大敗し、李茂貞は長安に迫ったから、昭宗は西門重遂・李周𧬤・段詡を斬って李茂貞に謝罪した。

本紀・列伝

『新唐書』巻十 本紀第十 昭宗 景福二年九月乙酉条
『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 楊復恭
『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 劉季述

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最終更新:2024年09月14日 00:16
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