李戒丕

嗣延王李戒丕 りかいひ

?-897
唐末の宗室。景福二年(893)昭宗が諸王に親軍を率いさせ、安聖軍・捧宸軍・保寧軍・安化軍を創設して、「殿後四軍」と呼び、嗣覃王李允(李嗣周の誤り)と嗣延王李戒丕に率いさせた。乾寧三年(896)李茂貞が長安に侵攻してくると迎撃したが、婁館で大敗したため、昭宗が逃亡することとなった。昭宗によって嗣丹王李允とともに李克用のもとに往還させられたが、韓建の怒りをかい、乾寧四年(897)八月、他の十六王とともに韓建に殺害された。

本紀・志・列伝

『新唐書』巻十 本紀第十 昭宗 乾寧三年六月庚戌・丙寅条、乾寧四年八月条
『新唐書』巻五十 志第四十 兵 天子禁軍
『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 宣宗十一子 通王滋

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最終更新:2024年09月14日 00:15
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