張彦弘 ちょうげんこう
?-903
唐末の宦官・権臣。鳳翔軍
李茂貞の監軍となり、長安に戻ると内枢密使となった。天復元年(901)
劉季述が誅殺されると
韓全誨を左神策軍中尉に、張彦弘を右神策軍中尉に任じ、それぞれ驃騎大将軍となったが、宦官の一掃をはかる宰相
崔胤と対立し、対抗のため李茂貞と結んで兵を長安に呼び寄せ、一方の崔胤も
朱全忠と結んで兵を長安に呼び寄せたから、一触触発状態となり、
周承誨・
董従実・
李継筠と結んで
昭宗を拉致して李茂貞の鳳翔に連れ去った。これによって鳳翔は朱全忠の包囲を受けることとなり、天復三年(903)窮した李茂貞により韓全誨・張彦弘・枢密使の
袁易簡・
周敬容ら二十二人は誅殺され、首は朱全忠に送られ、昭宗は長安に帰還した。朱全忠が宦官を撲滅したことによって、唐で極めた宦官の専横は終焉したが、間もなく唐自体が滅亡した。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年09月18日 19:58