李回 りかい
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中唐の宗室・宰相(在任845-846)。本名は李躔、本字は昭回であったが、武宗の避諱により改め、字も昭度と改めた。その世系は、
李禕→
李叔良→
李孝協→李思忠→李建成→李峻崿→李如仙→李回である。牛李の朋党では李党に属した。進士に及第し、賢良方正科に進み、義成節度使・淮南節度使の属吏から監察御史、起居郎、中書舎人と進み、刑部侍郎、御史中丞となった。
劉稹を討伐にあたって、
何弘敬・
王元逵を唐に引き込み、また
張仲武も同調させ、さらに
王宰を督戦した。李徳裕と親しく、戸部侍郎、判戸部事に任じられると、会昌五年(845)中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)に昇進した。会昌六年(846)
武宗が崩ずると、李徳裕は失脚し、李派も次々解任され、李回も宰相を解任されて剣南西川節度使となった。湖南観察使に貶され、さらに過去の職歴を譴責されて賀州刺史に貶された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年10月11日 23:31