周道務

周道務 しゅうどうむ

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初唐の武将・駙馬。周範の子。隋の大将軍の周法尚の孫。乳幼児の時、功臣の子であるから宮中にて養われた。周範が卒すると、邸宅に戻り、喪に服して身が衰える様子は成人のようであった。再び宮中に戻り、十四歳の時に宮中を出た。太宗の第十二皇女臨川公主を娶って、二人の間に周季童、嗣濮王李欣妃周氏、義陽王李琮妃周氏を生んだ。営州都督となる。調露元年(679)単于都護府管内で、大酋の阿史徳温傅と奉職との二部が反乱をおこし、阿史那泥孰匐を立てて突厥可汗とし、二十四州の酋長が呼応してそむくと、裴行倹の指揮下の将となって泥孰匐を殲滅した。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 太宗二十一女 臨川公主

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最終更新:2024年11月03日 22:40
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