薛懐義 せつかいぎ
?-695
初唐・武周の僧。
武則天の愛人。本姓は馮。小字は小宝。もとは薬商人であったが、
安定公主の愛人となり、公主の推薦で武則天の寵愛を得て、禁中に出入りし、そこで得度して僧となり、士族ではなかったから、薛と改姓し、
太平公主の婚家の一族と同族ということになった。朝廷に内道場をつくって念誦した。
白馬寺の寺主となり、
建春門の内部に敬愛寺の別殿をつくり、仏授記寺と改名した。垂拱四年(688)乾元殿を壊して
明堂をつくり、その北に
天堂を建造して、その功績によって左威衛大将軍、梁国公となった。清平道大総管となって突厥征伐にあたり、輔国大将軍、右衛大将軍となり、鄂国公に封ぜられた。法明らとともに『大雲経』とつくって、武則天が弥勒下生であるとの理論的根拠をつくった。後に御医の沈南璆が寵愛を得ると、薛懐義の寵愛は衰えたから、明堂・天堂に放火した。次第に驕慢となったから武則天に嫌われ、
太平公主に力のある婦人数十人を集めさせ、絞殺させた。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百八十三 列伝第一百三十三 外戚
武承嗣 薛懐義
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最終更新:2024年11月29日 00:23