任知古

任知古 じんちこ

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武周・盛唐の官人・宰相(在任691-692)。宰相となる前の経歴はほとんどわかっていなし。朝議郎、行麟台郎を経て、天授二年(691)六月、鳳閣侍郎、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となる。天授三年(692)一月、裴行本狄仁傑らとともに謀反を謀ったと誣告され、江夏県令に貶された。この時武承嗣霍献可来俊進・張知黙らは死罪を求めたが、武則天が許可しなかったため、死刑を免れた。侍御史となり、先天二年(712)、先天の変で李範らが鉄騎で睿宗のいる承天門にいたると、睿宗は任知古に数百人を朝堂に集めて入らせなかったが、玄宗がやってくるとようやく入らせた。朝廷においては権勢をたのんで、朝廷で官吏を罵ったため、厳挺之に不敬で訴えられたが、かえって厳挺之を御史台に弾劾して左遷させた。

本紀・表・列伝・史料

『新唐書』巻四 本紀第四 則天順聖皇后 天授二年六月庚戌条、長寿元年(692)一月庚午条、
『新唐書』巻六十一 表第一 宰相上
『新唐書』巻一百一十三 列伝第三十八 徐有功
『新唐書』巻一百一十五 列伝第四十 狄仁傑
『新唐書』巻一百二十一 列伝第四十六 王琚
『旧唐書』巻九十九 列伝第四十九 厳挺之

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最終更新:2024年12月04日 10:58
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