孝明皇后
?-865
中唐の妃嬪、皇太后。
憲宗の寵姫。丹楊県の人。姓は爾朱氏、後に鄭氏に改めたという。弟に
鄭光がいる。元和年間(806-820)、人相見に天子を生むと予言されたため、淮南節度使の
李錡が囲った。李錡が誅殺されると掖廷に入れられ、
懿安皇后の侍女となったが、
憲宗のお手つきとなって
宣宗・
安平公主を生んだ。宣宗が光王に封ぜられると光王太妃となった。宣宗が即位すると皇太后となった。
懿宗が即位すると太皇太后となった。咸通六年(865)崩。
景陵の傍園に葬られた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十七 列伝第二 后妃下 憲宗孝明皇后鄭氏
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 憲宗孝明皇后鄭氏
外部リンク
最終更新:2025年01月17日 15:41