傅仁均 ふじんきん
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初唐の官人。滑州白馬県の人。暦算、天文の術に詳しかった。武徳年間(618-623)初頭、太史令の
庾倹、太史丞の
傅弈の上表による推薦を受け、
高祖はそこで旧暦の改修を命じた。数ヶ月で暦は完成し、戊寅元暦と名付けられ、武徳元年(618)七月、詔して新暦を頒布し、員外散騎常侍に任じられ、絹二百段を賜った。後に中書令の
封徳彝が暦の誤りを上奏したから、吏部郎中の
祖孝孫に勅して調査させた。また太史丞の
王孝通が甲辰暦法によって論駁してきたが、祖孝孫は傅仁均の言を正しいものとした。貞観年間(623-649)初頭、益州の人である
陰弘道もまた王孝通の旧説によって論駁してきたが、傅仁均を論破することができなかった。
李淳風が傅仁均の暦の欠点を十八条に渡って指摘してきたから、大理卿の
崔善為が両者を考察すると、七条が李淳風が正しいものとし、残る十一条は旧来のままとしたが、結局李淳風の麟徳暦に改められた。後に太史令に任じられ、在官中に卒した。『旧唐書』に伝があるほか、『新唐書』に極めて短い伝がある。
列伝
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最終更新:2025年03月20日 21:46