花萼楼
長安、
興慶宮の西南の隅に位置した楼。「花萼相輝之楼」の額が掲げられた。開元二十四年(736)十二月に西南隣の
東市東北角と南隣の
道政坊西北角を取り込んで楼の前面が拡張された。
玄宗は兄弟愛の厚い皇帝として有名で、西隣の坊内に彼の兄弟である寧王
李憲、申王
李撝、岐王
李範、薛王
李業に邸宅を与え、この楼上より常に身近に眺めやるとともに、しばしば兄弟諸王を花萼相輝楼に招いて歓楽を共にした。本楼の名は『詩経』小雅・鹿鳴の周公旦の作とされる常棣篇に、花が萼(がく)を覆い萼が花を受け相助け合って輝くことを歌い、かばい合いしたい合う兄弟の情愛を称えているのに因む。
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2025年04月14日 02:42