竇懐貞 とうかいてい
?-713
盛唐の宰相(在任711、712-713)。字は従一。
高宗の宰相
竇徳玄の子。竇氏は唐の外戚であった。清河県令、越州都督・揚州長史を歴任、神龍年間(707-710)、左御史大夫兼検校雍州長史となった。
中宗の命により
韋皇后の乳母の王氏を娶り、乳母の婿を阿㸙というため、自ら「皇后の阿㸙」と自署し、また「国㸙」と称された。
宗楚客・
安楽公主らに従ったが、竇懐貞の名声だけ用いられて謀議には預からなかったから、韋皇后・安楽公主らが誅殺されると妻を殺害して首を献上して自らの身の保身をはかった。濠州司馬に貶され、再び益州長史、殿中監となり、景雲二年(711)四月、左御史大夫・同中書門下平章事(宰相)となり、中山県公に封ぜられた。九月に守侍中に遷った。同年十月、宰相の地位にあって半年したが、何もなさなかったから、
睿宗により宰相を罷免されて、左御史大夫となった。当時権勢を誇った
太平公主に従い、先天元年(712)正月に同中書門下三品(宰相)、兼太子詹事、監修国史となり、七月に尚書右僕射、兼御史大夫、軍国重事宜共平章となり、八月に守尚書左僕射に遷った。先天二年(713)七月、
玄宗と
太平公主の対立が激化し、先天の変がおこって太平公主が誅殺されると身を投じて水死し、玄宗はその死体を誅戮して姓を毒氏に改めた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年06月23日 15:58