宗晋卿 そうしんけい
?-710
武周・盛唐の官人。
宗岌の子。母の武氏は
武士逸の三女で、
武則天の従姉妹にあたる。
宗秦客・
宗楚客の弟。垂拱年間(685-688)以後、武則天に任用され、宮殿・苑地・閑厩の造営にあたった。天授元年(690)収賄のため兄弟全員流罪となった。翌年帰還して司農卿となり、
明堂の造営、九鼎の鋳造にあたり、兄の宗楚客が
武懿宗に誣告されると、宗晋卿も峰州に流された。将作大匠となると、
薛懐義殺害に関与した。唐隆の変で、兄の宗楚客とともに処刑された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月24日 00:56