李憕 りちょう
?-755
盛唐の官人。并州文水県(山西省呂梁市文水県)の人。
李希倩の子。明経化に及第して成安県の尉となった。
張説の妹婿である陰行真の娘を娶り、武功県の尉から主簿、長安県の尉となった。優れた事務能力を有し、
宇文融が括戸政策実施の際に調査のために監察御史に任じられた。給事中となったが、
李林甫に嫌われ河南少尹となり、さらに清河太守、襄陽・河東採訪処置使を歴任。京兆尹となったが、今度は
楊国忠に嫌われ、光禄卿・東京留守となった。
安禄山が叛くと、
封常清率いる防衛軍は崩壊する中、
盧弈とともに洛陽を守り、反乱軍に処刑された。子に
李源・
李彭がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年07月17日 23:09