孫揆 そんき
?-890
唐末の官人。
孫嘉之の五世の孫で、曽祖父の孫遹は
孫逖の弟。その世系は
孫希荘→
孫嘉之→孫遹→孫会→孫公乂→孫瑝→孫揆である。母は李氏で、
李福の外孫にあたる。進士に及第し、中書舎人・刑部侍郎・京兆尹となり、京兆尹の時に
秦宗権の処刑に立ち会った。大順元年(890)八月、
昭宗が河東節度使の
李克用を討伐することとし、孫揆が副招討使、昭義軍節度使となったが、
李存孝率いる騎兵三百騎の伏兵により大敗。捕虜となって、李克用の降伏勧告を無視して罵ったから、鋸引きの刑で処刑された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月28日 23:53