アットウィキロゴ

張薦

張薦 ちょうせん

744-804
中唐の官人・儒者。字は孝挙。張鷟の孫。『周礼』『春秋左氏伝』をよくし、顔真卿に称賛された。母の喪があけると史館修撰に任じられた。顔真卿が李希烈に捕らえられると、救出のための上奏を行ったが果たせなかった。朱泚が叛くと、姓名を偽って城中に隠れ、『史遁先生伝』を著し、乱が平定されると左拾遺となった。陳京趙需らと共に盧𣏌の再任用に反対。貞元元年(785)太常博士となり、燕国襄穆公主の回紇降嫁に際して判官となって派遣された。工部員外郎、諌議大夫となる。その間、史館修撰は二十年にわたって兼任したが、裴延齢の弾劾に失敗して恨まれ、秘書少監となって史館修撰は罷免された。さらに回鶻の毘伽懐信可汗を冊拝、吐蕃の賛普への弔祭使となり、その間、秘書監、工部侍郎となったが、吐蕃の途中赤嶺で病没した。子に張又新張希復が、孫に張読がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百六十一 列伝第八十六 張薦
『旧唐書』巻一百四十九 列伝第九十九 張薦

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』張薦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%96%A6

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年12月29日 00:45
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。