韋陟 いちょく
697-761
盛唐の官人。字は殷卿。
武則天・
中宗の宰相
韋安石晩年の子。
韋斌の兄。礼部侍郎、吏部侍郎を歴任したが、当時の宰相
李林甫・
楊国忠に嫌われ、たびたび貶された。永王
李璘の反乱が発生すると、御史大夫、江東節度使に任じられ平定に力した。宰相候補となったが、結局任じられず、
杜甫が
房琯を弁護した際に審理を担当したが、
粛宗の意に沿わなかったから、疎んじられ、左遷の後、礼部尚書、東京留守となり、
史思明が洛陽を攻撃する最中に没した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年01月28日 02:09