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欧陽詢

欧陽詢 おうようじゅん

557-641
初唐の官人・儒者・書家。潭州・臨湘(湖南省臨湘県)の人。字は信本。欧陽紇の子。隋の煬帝に仕えて太常博士となった。唐の高祖が即位したとき, 以前から高祖と親交があったので、選ばれて給事中となった。624(武徳7)年高祖の命令を受けて『芸文類聚』100巻を修撰した。太宗のとき、太子率更令となり、弘文館学士を兼ね、渤海男に封ぜられ、銀青光禄大夫を授けられた。若いときから書をよくし、その名は遠く高句麗にまで聞こえた。飛白・篆・隸・楷・行・章草・草の各体を自由に書いたが、なかでも楷書がもっともすぐれていた。その書風は、王羲之以来の正統派の流れを受けたうえに、新時代の精神をもりあげて、清勁峭抜たぐいのない典型美を創作し、後世ながく楷法の模範となった。虞世南褚遂良とともに初唐の三大家と仰がれている。作品では「皇甫誕碑」「化度寺邕禅師塔銘」「九成宮醴泉銘」「温彦博碑」が現存している。子に欧陽通がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十八 列伝第一百二十三 儒学上 欧陽詢
『旧唐書』巻一百八十九上 列伝第一百三十九上 儒学上 欧陽詢

参考文献

『アジア歴史事典』2(平凡社,1959)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』欧陽詢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E9%99%BD%E8%A9%A2

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最終更新:2026年03月01日 03:19
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