周岳 しゅうがく
?-893
晩唐の群雄。字は峻昭。陬渓の人。広明年間(880-881)同郷の
雷満が朗団軍を組織した。彼と親しかったが、狩りの獲物の取り分けで争いとなり、雷満を殺害しようとした。乾符六年(879)衆を集めて衡州を襲撃し、衡州刺史
徐顥を追放し、刺史を自称した。
光啓二年(886)、
向瓌と
閔頊が戦うと、閔頊を伏兵で破り、さらに閔頊が殺されると潭州に入り、自ら欽化軍節度使と称した。そのため閔頊の配下であった
鄧処訥に狙われ、景福二年(893)十二月、鄧処訥の侵攻を受けて殺害された。
本紀・列伝
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最終更新:2026年08月20日 22:19