陳儒 ちんじゅ
?-885
晩唐の官人・藩鎮。江陵の人。代々節度使の軍政官を務めた。荊南節度使
段彦謩と荊南監軍
朱敬玫の関係が悪化し、中和二年(882)朱敬玫が段彦謩を殺害して実権を握ると
李燧を留後とし、同年十二月、陳儒を領府事(節度使政務代理)に任命した。中和三年(883)二月、検校工部尚書に遷り、荊南節度使となり、検校右僕射に昇進した。光啓元年(885)朱敬玫の私軍「忠勇軍」を申屠琮に殲滅させ、武貞軍節度使
雷満の攻撃も撃退した。
張瓌・
韓師徳が復州・岳州を占領すると、張瓌を行軍司馬に、韓師徳を節度副使に任命し、共に
雷満を攻撃しようとしたが、韓師徳の兵は掠奪して去り、張瓌は兵を率いて陳儒を捕縛した。
秦宗言が来襲すると、馬歩使の趙匡が陳儒を推戴して城から出ようとしたが、
張瓌に発覚し、趙匡を殺して陳儒の食事を絶やし、七日して陳儒は死んだ。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年08月29日 18:24