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韓帰範

韓帰範 かんきはん

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唐末の宦官。大順元年(890)七月、昭宗が河東節度使の李克用を討伐することになると、宰相張濬を河東行営兵馬招討制置使に、京兆尹孫揆を昭義節度使として副官とし、朱全忠らを招討使とした五万の軍が編成された。朱全忠の将軍朱崇節は潞州を守備していたが、孫揆が朱全忠軍への掣肘のため潞州への進路を進むと、韓帰範に節を持たせて孫揆に与えた。しかし長子県の山谷中で李克用の将軍李存孝の伏兵により孫揆と共に捕らえられ、孫揆は惨殺されたが、李克用が勝利に乗じて講和のための上書する際に、上書を持参して朝廷に帰還した。

列伝・史料

『新唐書』巻一百八十五 列伝第一百一十 張濬
『旧唐書』巻二十上 紀第二十上 昭宗 大順元年七月乙酉朔条、同月戊申条、十二月壬午朔条

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最終更新:2026年10月01日 00:10
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