韓旻

韓旻

?-784
唐代の武将・叛将。河東司戸参軍で、至徳二載(757)安慶緒の将崔乾祐が籠もる保蒲津城内にいて、唐軍と内応して勝利に貢献した。涇原兵馬使となり、建中4年(783)朱泚が自立すると従い、奉天の徳宗のもとに精兵三千を率いて派遣され、徳宗を迎えると声明しながらも、実際には奉天を襲撃しようとした。これを知った段秀実は司農印の印符を代用して文書を偽造し、それを見た韓旻は奉天には行かず帰還した。興元元年(784)武亭川で渾瑊および吐蕃の論莽羅(ロンマンラ)の兵と戦ったが敗れ、戦死者一万人を数えた。朱泚が敗北すると朱泚の逃亡に同行し、梁廷芬・朱惟孝に朱泚もろとも殺害された。

列伝

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最終更新:2023年05月19日 12:43
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