薛志勤

薛志勤

837-899
唐末の武将・藩鎮。蔚州奉誠の人。小字は鉄山。李国昌に従い、李国昌が卒すると子の李克用を擁立して留後とし、功によって右牙都校となった。長安奪取の功により検校工部尚書、河東右都押牙、先鋒右軍使を授けられた。李克用に従って陳州・許州を救援して黄巣を平定した。汴州で夜宴を口実に朱全忠に襲撃されると、李克用を救出して脱出した。大順年間(890-891)初頭、張濬が唐軍で太原に侵入すると李承嗣とともに騎兵三千で迎撃してこれを穴埋めにした。韓建の軍を蒙坑で破り、晋州・絳州を陥落させて忻州刺史を授けられた。大順二年(891)に鎮州攻撃に従い、大同軍防禦使、検校司空に任じられた。乾寧年間(894-898)初頭、康君立に代わって昭義節度使となった。光化元年(899)十二月に卒したが、沢州刺史の李罕之がその喪に乗じて潞州を襲撃して、自ら留後を称した。『旧五代史』に伝がある。

列伝

『旧五代史』巻五十五 唐書三十一 列伝第七 薛志勤

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 薛志勤(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%96%9B%E5%BF%97%E5%8B%A4

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最終更新:2023年05月30日 00:30
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