李承嗣 りしょうし
866-920
唐末・五代の武将。代州鴈門の人。
李克用の部将で、中和二年(882)先鋒となって黄巣討伐にあたり、汾州司馬、榆次鎮将を授けられた。
秦宗権の討伐に参加し、
朱玫の乱では一万人を率いて鄜州に向かい、渭橋で車駕を迎えた。乾寧二年(895)
朱宣・
朱瑾が
朱全忠の攻撃を受けると、李克用は救援に向かったが、魏博節度使
羅弘信に突如襲撃されて
李存信は敗北し、李承嗣は朱瑾・
史儼とともに淮南に逃れた。李承嗣・史儼はともに李克用にとっての左右の手にあたる驍将であったから、李克用は帰還を求め、淮南節度使
楊行密は許可したが、朱全忠が
龐師古・
葛従周に淮南を攻撃させると、朱瑾が淮南軍三万を率い、李承嗣は伏兵を率いて迎撃して、大いに打ち破り、龐師古を戦死させた。楊行密はその才能をよしとし、ついに留めて戻さず、奏上して検校太尉に任じられ、鎮海軍節度使となった。その後楚州節度使となった。『旧五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻五十五 唐書三十一 列伝第七 李承嗣
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最終更新:2024年05月18日 21:07