プロダクション・ダイアリー
Silent Hill プロダクション・ダイアリー (英語) より。映画「サイレントヒル」で監督を務めたクリストフ・ガンズ氏がインタビューに答えています。
サイレントヒル未クリアの方・映画の内容を全く知りたくない方の為に、少しでもネタバレになりそうな部分を隠していますので、そこは
絶対に
読まないことをお勧めします。
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ゲームファンにとっての映画の魅力について
2006年4月21日 (金) 公開
——— 映画が遂に公開されましたが、ゲームファンは本当にこの映画に満足すると思いますか?
映画が成功した暁には何か計画を持っていますか? 続編等ありえますか?
−Rob L
私は客観的な立場には立てないので、この映画がサイレントヒルファンの全てを満足させる、とはなかなか言い辛いところがあります。
フィルムを見たファンの何人かについては、彼らのコメントに注意深く耳を傾けました。
総体的に見て我々はとても敬意を払っており、彼らはそれにがっかりしないだろうと思います。
サイレントヒルのファンは自分たちが敬意を持てる映画であると共に、中で色々な話が出てきて、解釈や知識を互いに交換できるようなフィルムを求めています。
私は映画がゲームで語られているカルトやその中での知識 / 情報を補強するものになることを望んでいます。
もしフィルムがファンの目から成功と見るなら、喜んで続編を作るでしょう。
ただファンが私の脚色を快く思わないならば、続編に臨むのは私には難しいと言えます。
私は'信者'としてではなく、2時間という枠の中で物語を語らねばならないディレクターとしてこのフィルムに取り掛かりました。
それを実現する為にはゲームで鍵となる要素を犠牲にしなければなりませんでした。
しかし、そのひと時は十分なもので、キャラクターもいて、何よりそこでは私の愛する探索するという冒険があります。
映画制作のプロセスというものは人々を仲間として構成していくという事です。
その中には俳優や技術者、そしてアーティスト達がいます。
彼らはその活力と才能を存分に映像に注いでおり、私は彼らをとても尊敬しています。
サイレントヒルの世界を巡る旅路を続けるのに私は彼ら全てと共に戻ってきたいと望んでいます。
#clear
映画のキャスティングについて
2006年4月21日 (金) 公開
——— 寒いフィンランドからです、こんにちは。私の質問はキャスティングについてです。
サイレントヒルのキャストは本当に素晴らしいと思います。
私が見たコミックやゲーム等をベースにした映画の中でも、それはオリジナルと最も調和したものでした。
例えばローリー・ホールデンはシビルにとても良く似ていて、まさに彼女はその役の為に生まれてきたような印象でした!
あなたはどうやって彼らを見つけたのでしょうか?
オーディションをしたり、その役の俳優や女優を一人一人明確に決めていったのでしょうか?
もしそうなら素晴らしい人選ですね!
すごく楽しみに (そしてじれったく思いながら) 映画を待っています!
素晴らしいです、最高!
−Nonnu P
私は見てくれでキャスティングしようとはしませんでした。
私はむしろ俳優の質とその質をいかにゲームの役に関連付けるかに最も関心があります。
シビルには私がローリーの中に見るものと基本的に同じ質があります。
私が最初にローリーを見たとき、彼女はシビルに似ても似つかないと思いましたが、彼女のその自然な動きや内に秘める強さや美しさを知るうち彼女は完璧ではないかとわかりました。
私がものを書いているとき自分が欲しい俳優をどうするかに関してとても良い考えが浮かびます。
私の主なオーディションの方法は実際に映画を見ることです。
私はサイレントヒルのキャストの為に実際にオーディションをする必要は全くありませんでした。
彼らの演じる仕事を通して彼ら皆の事をとても良くわかっていました。
#clear
ゲームでのリズムとペースを映画に表現することについて
2006年4月20日 (木) 公開
——— ゲームでのペースをフィルムにどう表現できるのか興味があります。
サイレントヒル2を例にすると、(それぞれの間にある町での行き来を除いて) アパートから病院、刑務所、そしてホテルへと移っていきます。
ゲームの世界ではどれくらい時間を取ろうがそれは自由で、2時間という枠に縛られませんよね。
−Nick G
とても良い質問ですね。
ゲームとしては勿論、そこに放り出され、それからの自分の行動を見つけていかなくてはなりません。
そうして、マップのような助けとなる道具を与えられたりします。
そのマップを何度も見ながら自分の行くべき所を見定める事になります。
私が思うに、ローズがマップ無しでもサイレントヒルの町で次の行動を取る様子が旨く表現出来たと思っています。
我々は物語を伝えるのに (ゲームと) 同等の道理を見つけなければなりませんでした。
物語の語りの部分の複雑さ具合と豊かさがペースを定めることになります。
もしその部分をあまりに早く進めていたなら、それは反サイレントヒルになったことでしょう。
我々が意識していることで、フィルムのリズムを確立していくもう1つの要素はサウンドであると考えています。
ゲームではそれは単にスピードや動きの問題ではありません。
私はあのゲーム特有のペースと言うものはサウンドから来ていると思います。
それは音と静寂です。
ゲームをしている時、私はヘッドホーンをつけて暗闇の中座っています。
そのテンポは山岡晃のサウンドデザインの素晴らしい作用により大きく変化します。
幸運にも映画において彼は我々に協力する事が出来たので、あなたはそれに絶対失望しないと思います。
#clear
サイレントヒルのモンスターの解釈とゲームの雰囲気の維持について
2006年4月18日 (火) 公開
——— こんにちは。
多くのサイレントヒルゲームのファンはそこでのモンスターとは元々何なのか怪しんでいます。
彼らはモンスターに変わった人間なのか、又はキャラクターの心の内にあるものがそういう形で発現したものなのかどちらなのでしょう?
映画を見ればその答えがわかりますか?
それともクリーチャーについては今まで通り謎のままにされていますか?
−Rebecca M~
様々な解釈が出来ると思います。
(SH1、3、フィルム中の具体的クリーチャーに関わる話↓)
#region(ここから先はネタバレです...) ありがちで基本に沿った解釈としては、当然ながらモンスターはアレッサの復讐による犠牲者というのがあります。
悲運の人々をグロテスクに表現したもの。地獄にいる人々。
他には妄想であるとするものがあります。
主人公の精神から来たモンスター。
例えば、マンブラー、小さな子供の様なモンスター (映画ではグレー・チルドレンと呼んでいます)、ハリー・メイソンは幼い娘を探しているとき、ローズと同じく彼らに出会うことになります。
彼らはサイレントヒルに宿る奇怪な形象というだけでなく、彼ら両親たちの心配する心や恐れを反映させたものでもあります。
唯一クリーチャーの起源で私が明かせるものは、新しく創ったモンスターであるジャニター (Janitor) に関するものです。
我々は彼を (以前は) 人間として見ています、ところが (霧深いその世界では) 死者に見え、(暗闇の中では) モンスターとして見えています。
これは我々の成したことの中で言える1つの解釈です。
私はサイレントヒルは幾つかの次元が交差する場所であると何度も言ってきました。
あなたはその中でそれぞれ異なった表現世界に存在することができます。
ジャニターはそのコンセプトを示す良い例です。
——— ローズに関して、フィルムでより恐ろしい雰囲気を出す為、あえて彼女に色々な武器を持たせないようにしていますか?
ショットガンを抱えて走り回らない方がより現実味があると思います。
−Rebecca M
サイレントヒルがアクションゲームでないのは周知の事です。
SHは雰囲気を味わうゲームであり、心理的な描写を楽しむゲームです。
ゲームの中であなたが銃を見つけられること自体は素晴らしいと思いますが、同時に弾は十分には見つかりません。
我々はそのSHで慣例となっている事に対してフィルムの中でも敬意を払っています。
銃を携えたキャラクターとそのすぐそばにいるモンスターという状況を与えられると、それはそのモンスターが敵であるという意味になります。
それは殺し尽くさなねばならぬ何かしら邪悪なもの。
私の見解ではそれらの行為は彼らのアイデンティティを消し去り、’一次元’の脅威にまで引き下げるという事だと思います。
サイレントヒルのモンスターにはユニークな性質があって、彼らを撃ち殺せはしてもまさに消し去るという事が出来ません。
これらの状況は彼らをより捉えどころのないものとし、更に陰鬱なものとしています。
赤三角、プロダクション・デザイナーのキャロル・スピア、ホラーフィルムにおける社会の掘り下げについて
2006年4月6日 (木) 公開
(SH2核心部分、フィルム中のクリーチャーに関わる話↓)
#region(ここから先はネタバレです...) ——— ガンズ殿、多くの人々は赤三角がフィルムに出てくる事が道理にかなっていないと感じています。
なぜなら彼はジェイムス特有の妄想であったからです。
私は完全に道理にかなっていると考えますが、このことに関して少しでも明確に説明してもらえませんか?
そうすれば世界中全てのサイレントヒルフォーラムに言い争いのない平和が戻ってくるかもしれません。
−Jared S
(SH2核心部分、フィルム中のクリーチャーに関わる話↓)
+ ここから先はネタバレです...
——— クリストフ、私はデザインを学んでいる学生です。
何故プロダクション・デザイナーにキャロル・スピアを選んだのでしょう? 非常に興味があります。
サイレントヒルの環境をうまく再現することはあなたにとって最大の挑戦のひとつに違いありません。
−Mia
私の映画において’デザイン’と’環境’は重要性として大きな位置を占めるものです。
特にサイレントヒルではこの事が言えます。
私は女性の観点からものを捉える事の出来るキャロル・スピアをプロダクション・デザイナーとして選びました。
それに彼女はプロダクション・デザイナーとして世界トップ5の一人です。
女性の視点に重きを置かずしてどうやってサイレントヒル世界の本質を正確に表現出来るでしょう?
私には協力者として’女性の目’がどうしても欲しかったのです。
なぜならサイレントヒルというものはまさに女性を主体とした世界であるからです。
彼女はデヴィッド・クローネンバーグのプロダクション・デザイナーとしても活躍しており、このジャンルのフィルムで必要とされる類稀なる知的な才気を与えてくれます。
——— サイレントヒルのゲームには現代の社会で掘り下げられるテーマや問題点が何かしら含まれています。
それはゲームを衝撃的なものとした大きな要因であり、(ゲームでの) 目に見える恐怖や生き残ろうとする意志をも超えるものです。
私の質問です。この映画はキャラクターの物語を通してそのような要素、グローバルな問題やテーマを巧妙に含んでいますか?
−Vasia T
社会の疑問に答える事はどんなホラー映画にも言える共通の責任です。
それはそのジャンルでの目的であると思います。
社会において危機があれば、どんな時でもホラー映画が出てきます。
なぜならそれは我々の恐怖の反映であるからです。
私が最も重要と見なすホラーフィルムは、どんな時でも社会に関するとても強い声明を含んでいるものです。
それらの多くは政治的フィルムとさえ見なす事が出来ます。
それら偉大なジャンルのフィルムの多くは70年代からあり、ジョージ・ロメロ、ジョン・カーペンター、デヴィッド・クローネンバーグにより監督されました。
それらは重要な芸術的功績というだけでなく、我々自身の恐怖への対処となる困難な社会問題にも取り組んでいます。
サイレントヒルの世界に元来からある恐怖をうまく表現するつもりなら、現代世界に見られる恐れを扱わねばならない事は私には明らかでした。
ゲーマー達は皆サイレントヒルの恐怖というものが、何かこれと定められる様なものでは無い事を知っています。
それは内なる本質的な恐怖と外見的な恐怖との組み合わせです。
我々が脚本に取り組んでいた時、単にゲームのイラストを作るつもりはなく、ゲームをあれほど衝撃的なものとした複雑な要素を捉えて取り入れねばならないと解っていました。
私の望むフィルムの製作、舞台としてのウエスト・バージニア、モンスターのコスチュームについて
2006年4月3日 (月) 公開
フィルムの編集、ミキシング、そして評価と終始夢中に過ごした数週間も終わり、帰ってきた事をここにお知らせします。
私はサイレントヒルのファン達がMPAA (アメリカ映画協会) やスタジオが課す制約の為に自分が望むようなフィルムを製作できないでいるのではと心配している事を読みました。
この先登場するフィルムにはディレクターズカットがあり、そこでは本編の長さや内容に妥協していないという事だけ明確にしておきます。
トライスター・ピクチャーズでのサイレントヒル全製作過程を通して、私はチームから受けた寛大さと信頼に圧倒されました。
皆サイレントヒル世界の描写を成功させる事に関心と敬意を寄せており、私と志を同じくする彼らと共に仕事が出来る事は大変楽しいことです。
The only person who is disappointed that it is my cut is the guy doing the DVD.
——— どんな理由から映画の舞台としてウエスト・バージニアが選ばれたのでしょう?
−Lee S
ロジャー・エイヴァリー (脚本) は人が住まなくなった街の調査していて、ペンシルバニアにあるセントラリア (Centralia) での話を見つけ出しました。
そこでは炭鉱の地下貯蔵庫が火災を起こし、今もゆっくりと燃え続けており制御できない状態にあります。
それで街には有毒ガスが立込め、めちゃめちゃに破壊され壊滅してしまいました。
セントラリアはサイレントヒルの完璧な実世界バージョンの様に思えます。
セントラリアと言う名前を維持する意図は全くなかったもののその正当な理由から州をウエスト・バージニアに変更し、街とその歴史を’実世界’のサイレントヒルの基礎として利用しました。
——— IMDb.comのトリビアによるとこの映画にはコンピュータ・アニメーションが殆ど使われておらず、多くのモンスター達はラテックスのコスチュームを着た人間であったとされています。
私は一般的な映画製作方法からの逸脱を高く評価していますが、コンピューター・アニメーションと比べコスチュームの使用はどんな点が優れている、又は怖さをよりうまく演出できるのでしょう?
−Vince G
様々な次元、法則、現実と向き合うサイレントヒルの様な複雑な映画では、俳優にああいう奇妙なモンスターに出会った場面をイメージするよう頼む機会が余りに多すぎると思います。
ゲームの中でそうであるように、我々は絶えず狭くてクリーチャーと隣接する様な状況下にキャラクターを送り込んでいました。
そういう場所では彼らのアクションに対する反応や立ち回りをリアルに再現しなければなりません。
そこで単にCGを使ったなら、キャラクターとモンスター間の直接的な肉体のぶつかり合いから来るそのごたごた感を失っていたと思います。
そもそも最初から、パトリック・タトプロス (特殊メイク) と私は俳優とクリーチャーを同じショットに収めるという考えをとても気に入っていました。
私はアクションフィルムのジャンルから来ていて、そこでコリオグラファー (振りつけ師)、アクロバットをする人達、ダンサーと共に仕事をするのに慣れています。
個性的なパフォーマー達各々がクリーチャーの肉体的世界でのユニークな演技を提供してくれます。
サイレントヒルではクリーチャーは生きた彫刻、つまり人間性の異様でグロテスクな部分で構成されたものです。
モンスターを現実の人間に演技させることで彼らに命を吹き込むことができました。
勿論、幾つかの動きや彼らの外見にCGを使って磨きをかけました。
#clear
サイレントヒルでの体験の本質を取り入れること、クリーチャーの象徴性について
2006年3月17日 (金) 公開
——— あなたはサイレントヒルファンのブログやフォーラムを読んだと言っているので、ファンがオリジナルのゲームと今見れるフィルム中の細々とした部分を比較するのにスクリーンをキャプチャしそこを拡大してあれこれ議論したり、完全に再現されていない等彼らの期待に沿わない部分を列挙してめまいを起こしているのを見たかと思います。
その様な熱狂的で確立されたファンベースのある材料を脚色する場合、必ず付いて回るその種の期待についてどう感じますか?
−Bogart S
Bogart、私が以前触れたように、ゲームの脚色というのはそれを元に本を書くのとは違います。
それは外国へ旅行するのに似ています。
我々は皆各々異なった旅行の記憶を持ちますが、我々は (旅行に行った者は) 皆同じだという共通の認識があります。
例え完全に異なる体験を持ったとしても、我々は皆同じ場所行った事をその詳細をもって話す事が出来ます。
ニコラ・ブークリエフ (原案) と私は絶えずゲームにおける自分たちの記憶と印象を比較し合い、我々が共有する共通の認識を見極めようと努力しました。
廊下や通り、対話時のセリフ — サイレント・ヒルにいる事を私たちに知らせる特質とは何でしょうか?
ファンとして私はオリジナルの材料に敬意を持たなければならない事は分っていますが、同時にフィルムメーカーの観点からキャラクターと物語のアーチに焦点を合わせねばならない事も分っています。
ゲームのファンとゲームをしないファンの両方の為、これが脚色を成功させるのに私が採れる唯一の方法でした。
私の脚色が西洋人の目を通して成されたものであり、東洋の誰かの目を通してでは無いことも覚えて置かねばなりません。
私はサイレントヒルの体験の本質を捉え取り入れる事が出来たと願っていますが、映画はただ少し異なったものにしなければなりませんでした。
——— サイレントヒルは主人公に適したものをクリーチャーや環境の内に巧みに取り入れ表現する事で知られています。
そのような象徴主義は映画へも受け継がれていますか?
はい、それは勿論。
ゲームのサイレントヒルのクリエイター達は非常に知的で、クリーチャーを創るのに数多くの抽象的で興味深い参照物を用いました。
ですから、それらを模写することは勿論我々にとって大変なチャレンジとなりました。
ゲームのサイレントヒルはその多くの部分を現代アート、特にフランシス・ベーコン (Francis Bacon) の絵から拝借しています。
フランシス・ベーコンのアートにおいて、彼が絵に表現する異形のものは実のところ彼らの魂を反映させたものです。
それらは不安や恐れ、そして自滅が具体化したものであり、残虐性が無条件に受け入れられる世界に存在しています。
それ故、事実、サイレントヒルのクリーチャーは完全に類の無いものです。
それらはコーナーの陰に隠れてあたなを待ち受け、飛びついて脅かす様なよくあるタイプのものではありません。
彼らはでたらめで哀れな程不器用、そして疎ましい...通りや部屋の真ん中に一人ぼうっと立っている。
(SH1、3に関わる話↓)
#region(ここから先はネタバレです...) サイレントヒルのファンであれば最初のゲームにおいてクリーチャーが子供によって想像されたものだという事を知っています。
彼らはアレッサの心からの創造物です。
彼らは子供だけが持つことの出来る残酷さからくる奇妙でナイーブ、そして遠慮の無い意識が具体化したものです。
古典的テキスト「ダンテズ インフェルノ (Dante's Inferno)」の中での事の様です。
ダンテは地獄へと向かいその忌まわしき者達をじっと見つめ、それから人間の異常な境遇を悟った。
そのようにして我々はサイレントヒルの中のモンスターを感じ取らねばなりません。
本当のモンスターというのは人間なのです。
サイレントヒルの伝承の脚色、赤三角、一時的なフィルムタイトルとして"セントラリア"を使用する事について
2006年3月15日 (水) 公開
——— クリストフ、サイレントヒルの伝承で目立って興味を持ったものはどんな内容ですか?
またどの様にそれをフィルムの中で使いましたか?
−Michael V
恐らく全シリーズのサイレントヒル世界共通の繋がりはそこが現実性と人格 / 強い個性とを分け合う場所であるという概念だと思います。
私のお気に入りはそこが多くの次元が相交わる場所であり、そのどの段階にも身を置く事が出来るという事実です。
数ある現実の間で’裂ける’ということは、人格の内側で’裂ける’事として反映されます。
(SH1、2、3の核心部分に関わる話↓)
#region(ここから先はネタバレです...) サイレントヒル2のメアリーとマリア、SH1のアレッサの様に人格は複数となって存在することが出来ます。
これはその様に何とも抽象的な概念の為、ゲームを脚色する上で最も挑戦となる部分でした。
最初のゲームは二人の少女としても存在する一人の大人の女性の驚くべき物語を見せてくれます。
それは彼女が傷付けられれば誰になるのかを表現する道徳的善と悪との二様でもあります。
我々がサイレントヒルの中で否応無しに悟らされるのは、我々が自身の神と同時に自身の悪魔になり得るという事です。
こういうまさしくアジアの認識とも言えるものは、各々切り離された存在として神と悪魔を扱うアングロ / クリスチャンの概念とは完全に異なるものです。
(SH2、フィルム中のクリーチャーに関わる話↓)
+ ここから先はネタバレです... −Ryan M
(SH2、フィルム中のクリーチャーに関わる話↓)
+ ここから先はネタバレです...
——— 映画のサイレントヒルが最初にアナウンスされた時仮のタイトルが付けられていました。
タイトルは”セントラリア”というものでした。
これって本当ですか? もしそうなら理由はなんでしょう?
−Mark M
この質問を大変気に入っています。
私はこのタイトルに対する人々の反応にとても驚かされました。
我々がそれを”セントラリア”と呼んでいた最も重要で明白な理由は、撮影する物を謎のままにして置きたかったからです。
我々はサイレントヒルという名前をどこにも出したくなかったのです。
セントラリアを選んだ理由はそこがアメリカで大変有名なゴーストタウンで、実際に我々の脚本の基礎となる場所だからです。
ロジャー・エイヴァリーは石炭の火災で破壊され完全に居住不可能となったこの街を見つけ出しました。
ゲームではサイレントヒルも”霧深い”世界と”暗闇”との狭間に捕らえられた鉱山の街です。
セントラリアは我々が3番目の次元である”現実”を創りだす為の参考として利用されました。
多くのファン達がそれが (撮影する映画の謎を解く) 手がかりであると発見した事実をとても気に入っています。
ゲームの中の神話の維持とそれに貢献する事について
2006年3月10日 (金) 公開
——— こんにちは、クリストフ。
全ての記事から思うにあなたは私達をかなり満足させてくれそうです。
そしてあなたのゲームへの情熱は私達同様強いように見えます。
あなたが’教団’の神話とゲームの本質を本当に忠実に再現している事は既に明らかです。
変更したものはありますか?
−SilentHylian X
映画をサポートしてくれてありがとうございます。
ゲームファン達がプロジェクトを支持していると感じるのは本当に素晴らしい事です。
それは私にとって本当に重要な事です。
サイレントヒルの背景にある物語はアレッサの物語というだけでなく、大魔女ジェニファー・キャロルが初めて火刑に処されたことに関するとても古い物語でもあります。
その火刑によりサイレントヒルは’善の知覚’と’悪の知覚’との間の太古の闘争の為の特別な地となりました。
我々はちっぽけな物語を扱おうとしているのではなく、全年代記を扱おうとしているのだと直ぐに自覚しました。
プロデューサーのサミュエル・ハディダのサポートの元、シリーズの最初のフィルムになるものを書く事に決めました。
その後我々はこの広大な物語のほんの一部分を徹底的に探るというとても贅沢なひと時を得る事となりました。
ゲームとは違って、我々はキャラクターを展開させたり、彼らをより複雑なものとしたり、全ゲームの神話から取捨選択して一つの分りやすい物語へと編制する事ができます。
これがフィルムとゲームの間の最も大きな違いです。
私が思うにファン達はどのバリエーションに対しても我々が意欲的である証しと捉えるでしょう。
山岡晃とサイレントヒルチームは初期の頃からこのプロジェクトを監修しており、我々がゲームの真の神話に続くことに成功した、そして彼ら一人一人が皆そう思ってくれていると信じています。
——— 映画は大部分がSH1に基づいており、SH2と3からも少し取り入れている事を知っています。
ところで.....同様に’少しでも’SH4を参考にした部分はありますか?
例えば三角頭やナースの様に全てのモンスターはゲームから持ってきていますか、それとも何か映画専用に創り出しましたか? 宜しくお願いします。
−Guillermo C
私にとってSH4は映像と構造の観点から全ゲーム中で最高のものの1つです。
そういう意味で私は確かにSH4から幾つかの部分を使っていると言えます。
(フィルム中のクリーチャー、具体的シーンに関わる話↓)
#region(ここから先はネタバレです...) 我々は事実ジャニターと呼ばれる新しいモンスターを作り上げました。
映画のシーンで「キャラクターの一人が休憩室に行き、個室で何かの泣き声 (/叫び声) を聞きます。
彼女はそれが何処から来ているのか調べようとドアを開けますが、そこには何もいない」というものがありました。
このシーンを撮影する予定日の2日前に、私は個室の中に何か衝撃的なものを登場させるべきだ、そうしようと決めました。
私はポール・ジョーンズ (特殊メイク) と彼のSPFXチームと話をする為に足を運び、新しいモンスターをどうやって創り出そうかと話し合いました。
勿論大きな論点は”この男は何を’した’からその代償としてモンスターになったのか?”というところです。
この問いは彼の外観を決定していく上で中枢となるものでした。
私はこの件に関して実際少しナーバスになっていました。
なぜなら全てのモンスターについて山岡晃とコナミの承認を得る必要があったからです。
それで晃が我々を訪ねて製作所に来た時私は彼にそれを示し、幸いにも彼はそれを大層気に入りました。
事実、彼はそれを将来のゲームで使えるか尋ねてきました。
ジャニターはまだゲームには存在していない唯一のクリーチャーです。
彼はサイレントヒル神話への私のささやかな貢献です。
ハリー・メイソン、WonderConのFootage、ゲームの恐怖を取り入れる事について
2006年3月6日 (月) 公開
——— サイレントヒルはこれまでのところ大変良い感じです。
でもガンズ殿、私は聞かねばなりません。
何故あなたはストーリーに忠実なまま父親のハリー・メイソンを使わなかったのでしょう?
インタビューではハリーが素質的に女っぽいと思ったのでメインキャラクターを女性に変更したと言っていました。
けれど子供を守り大切にする事は (母親特有のもので無く) それぞれの親の務めではないでしょうか?
−Stuart A
ロジャー・エイヴァリー、ニコラ・ブークリエフと私がプロジェクトに執りかかった時、我々は皆ゲームのファンであったので、当然主役としてハリー・メイソンで書き始めると想定していました。
ハリーが全く男っぽい個性を持って振舞っていないのが直ぐに明らかにとなりました。
絶えずふらふらと当惑し、気弱で卒倒し、独り言を呟き、悲鳴を上げ、彼は実際はとても傷つきやすい人です。
我々はキャラクターの感情や動機付けを変更してゲームの本質に背きたく無かったのです。
それで女性主人公に変更しそれらに見られる彼の重要な特質を維持するのが一番ではないかと感じました。
ハリーからローズに変更した事で私が”政治的に正しい”配慮をしたとは思って欲しくはありません。
サイレントヒルにおいて’政治的な正しさ’ (性差別への配慮) というものは全くありません。
——— WonderConのfootage − あれが非常に衝撃的だったのは意図的なもので何か効果を狙っていましたか?
−Christian W
あれは意図的にスーパーショッキングにしました!
トレイラーは一ヶ月かそれくらい前に映画館へと行きました。
勿論使えるイメージの強烈度と暴力性に関しては多くの制限がありました。
ゲームのファンにはこのトレイラーが少しおとなしく映るのではないかと心配していました。
映画はおとなしいなんて事は絶対にありません。
映画はかなり残忍で激しくそして不穏なものです。
私は映画は完全に驚きで一杯になるというメッセージを送りたかったのです。
WonderConの後、我々がゲームとその緊張感に対して敬意を払っている事を確信するファン達をウェブの至る所で見る事が出来ました。
確かに我々は望む結果を受け取りました。
——— サイレントヒルの大ファンとして、このフィルムにかなり期待しています。
あなたはゲームの心理的な恐怖を本当に取り入れたいと望んでいる様です。
それはゲームの一番の特徴なのですばらしい事だと思います。
しかしサイレントヒルのゴア (血のりを使った表現) でも同じような試みをしていますか?
詰まる所 (SHは) 大人向けのシリーズで、ゲームではその事を本当に分って欲しい時はパンチを引いて手加減する様な事は絶対にありません。
あなたのフィルムにもこの要素に関して同様の事が言えますか?
−Allen W
Allen、サイレントヒルの恐怖とは心理的なもの、という考えに忠実でありたいと思ったのは事実です。
これに忠実である事への我々の鍵は良いキャスティングとデザインでした。
キャスティングがシリアスな映画を作る我々の意志を反映する事は私にはとても明らかでした。
よくわからない見てくれの良いティーンエイジャーをキャスティングする代わりに、我々のキャストは独自、本物、ハイ・クラス映画からの強力な俳優で構成されました。
我々は各キャラクターの独自のアーク (arc) を当てはめ、それらとゲームの神話を適切なペースをもって探る時間を見越していました。
雰囲気、美的感覚、色のパレット、サウンドデザイン、音楽は全てとても不穏なものです。
ゲームの美学とその不穏な質はこのフィルムを監督するよう私を最初に引き付けたものです。
それにしてもサイレントヒルの映画を創っておきながら恐怖やおっしゃる通りゴアをスクリーンに出さないというのは不可能な事です。
#clear
ようこそ
2006年2月24日 (金) 公開
編集室と音響ステージからこんにちは。
今そこではサイレントヒルは終盤を迎えています。
我々がWonderConで放つシーンのトレイラー、画像、レポートへのファンのリアクションを見るのにとてもわくわくしています。
私はチャットルームの会話やフォーラムで多くのライターが複雑な仮説を組み立てたり、非常に多くの疑問が次から次へと持ち上がるのを見ました。
このページは私がその議論に参加する場所を与えてくれます。
勿論我々はフィルムを完成させる為血眼になって働いており、サウンド・ミキシングとビジュアル・エフェクトを行っている最中です。
ですから質問に答えるのに時には何日もかかるのを許して貰わねばなりません。