無名(夢影) ◆aOl4/e3TgA
――駆ける、不忍。
その速度は完全に人間のそれを超えており、誰が見たところでまともな肉体をしていないことを窺わせる程のものだ。
これだけの力を有する人間が、殺し合いに積極的になっているという事実は、敬虔な一般人からすれば由々しき事態だろう。
そんな彼が、今もなお一人の戦果すら挙げられていないのは、このバトルロワイアルの妙、というべきか。
『主人公』と呼ばれし少女と二度も交戦し、敗北することなく逃げ延びているのは流石と言えるが、彼にそんな誉め言葉を贈ったところで――いや、そもそも彼にとっては誉め言葉ですらないのかもしれないが――、彼が喜んだりすることは有り得ないだろう。
不忍の仮面で面を隠匿し。
心は鉄(くろがね)の仮面で凍らせる。
静寂と苛烈を両立させる凄腕の暗殺者、それが左右田右衛門左衛門という男だ。
彼の足が向かう方向は、他の参加者の心臓ある場所ではない。
確かに参加者を減らすことも彼の目的の一つではあるのだが、それと比較すら出来ないほどに大きな目的が、存在している。
――否。
正しくは、存在して《いた》。
その真実は、主君の命ずるがままに凄腕のしのびですらも抹殺してきた有能な暗殺者でさえも、察することの叶わぬものであった。
察することが叶わない程度なら、どれほど良かったろうか。
無感情を徹頭徹尾貫く不忍の暗殺者。
これまで決して大きな失敗を犯さずに疾駆してきたその足は、《策士》の少女が告げた残酷なる真実の前に、静止する。
静止して、仮面の男は呆然と空を見上げた。
「――――……姫さま?」
落ち着け。
落ち着かなければ、自分は戦いを続けられなくなる。
そんなことはあってはならない。
そんなことは、《あの方》への冒涜だ。
生きる意味を与えてくれたあの姫さまを、貶めるなど言語道断。
此の世に存在するどんな罪状よりも、いっとう罪深い十字架だ。
――だが。
だが、それを評価する者はもう。
此の常世には、亡い。
「……………、」
言葉を失う。
言葉を喪う。
童子であろうと冷徹に殺す右衛門左衛門が、動きを止めていた。
そんな失態を貶す者は、いない。
二度と自分の前には顕れない。
誰かに責任を押し付けるような真似をしようにも――、この失態の責任はすべて、守りきれなかった自分にある。
自分がもしも、もっと迅速に行動できていたのならば。
参加者の殲滅など、考えるべきではなかったのだ。
左右田右衛門左衛門すら底を測り得ない怪物の跋扈する地で、第一にすべきは紛れもなく、姫さまを発見することだった。
今更悔やんでも、もうなにも戻りはしない。
右衛門左衛門は一つの大切なものを、されど彼という存在の全てを費やしても比類し得ぬ価値あるものを、取りこぼしてしまった。
――――ぐらり、とその肉体が揺れる。
それでも、彼は忠義を誓いし有能なる否定の姫君の臣。
みっともない醜態を晒す無様はせずに、静かに頭を垂れる。
そんな程度で許して貰える道理などないが。
開き直るなんて真似は、どうしても出来そうになかった。
「申し訳在りません――姫さま。わたしはあなたを、守れませんでした」
申す訳など、ある筈もない。
そんなもので自らの罪を誤魔化そうなど、笑止千万。
潔く右衛門左衛門は罪を、最も醜悪かつ甚大なる罪を認めた。
比喩抜きで、銀の十字架に射抜かれたような感覚さえ覚えた。
だがその動揺も、彼らしい思考回路の元長続きはさせない。
とはいえ、もしも交戦の最中だったら危なかっただろう。
万全の状態でありながら、数十秒を無駄にしてしまったのだ。
戦闘時のような余裕のない状況であったなら――考えたくもない。
自分はどれだけ失態を重ねるつもりなのかと、自嘲する。
自嘲してもしきれないほどに、まるで死んだ姫がするように、自分を嘲って嘲って、卑下し続ける。
「さて」
右衛門左衛門は面に右手を軽く当てつつ、気持ちを切り替えるようにそんな短い台詞を口にした。
いや、そんなもので振り切れる訳もない。
ただ、止まっている訳にもいかない。
だから彼は立つ。自分の為すべきことを遂げるために、存在し続ける。
「このまま狗で終わる訳にもいくまい」
左右田右衛門左衛門の目的は、すぐに決定された。
姫さまの後を追う。
姫さまの死をきっかけに心機一転対主催になってみる。
姫さまが死んだ。だから殺す。
全て答えとしては下の下、地に這う虫よりもなお下劣だ。
「《願い》。そんな不確かなものに縋るなど甚だ不本意だが、仕方ない。事態が事態だ、躍らされてやるとしよう」
右衛門左衛門の選び取った回答は、全てを殺すことだった。
不知火袴が口にした言葉を、彼は忘れていない。
あの老人は確かに、願望の成就を口にした筈だ。
正直信用に値するかは怪しいものだと思っていたが、こうなっては最早選ぶ余地など他にある筈もないだろう。
果たせなかった忠義を、取り戻す。
姫さまを蘇らせて、この殺し合いより帰還する。
それで十全だ。不知火袴のような不気味な輩に躍らされるという事実にも、別段不快感を感じるようなことはなかった。
元より矜持など捨てている。
もしもこれで願いの話が虚偽だったなら、あの老人たちを根絶やしにした後に、この心臓を穿って償うしかない。
そんな終わりは恥もいいところなので、それ以前に自分の全てを捧げると誓った姫さまをこんな下劣極まる遊戯で喪うなど、あってはならないため――なんとしても、願いの話が真実であることを祈るばかりだった。
「そうと決まれば、うかうかしている暇などないな」
殺す。
冷酷非情の猟犬にでも成り果てよう。
そう思い立ち、左右田右衛門左衛門がその俊足を用いて走り去らんとした丁度その瞬間であった。
彼の研ぎ澄まされた五感が、感じ覚えのある気配を感じ取ったのだ。
それは彼にとって、間違いなく有益でないもの。
災害にも等しき再会。
再会にも等しき災害。
災禍にも等しき開花。
開花にも等しき災禍。
出会いたくなかった、出来るなら適当にのたれ死んでくれることを願っていた青年が、そこに悠然と佇んでいた。
否、佇むというよりは、《存在していた》というのが正しいだろう。
彼は人間でありながら、人間ならざる存在なのだから。
「――……不禁得」
右衛門左衛門の声は、苦笑に近かった。
自分の不運を呪うような声だった。
それを聞いた《人ならざる青年》は、
「左右田右衛門左衛門――久し振りだな」
馴れ馴れしく、手を挙げてのけた。
鑢七花。その姿形を、まさか見誤るような道理があろうか。
伝説の刀鍛冶・四季崎記紀の十二本の変体刀集めという難行を、同行者の手腕があったとはいえ異常な短期間で遂げた、奇策士の刀。
そして、右衛門左衛門に引導を渡した存在である。
全力で撃ち合い、打ち合い、その末に不忍が敗れて散った。
まさしく化け物じみた存在だと、右衛門左衛門は認識していた。
そんな奴と、よりによって折角覚悟を決めた矢先に再会するなんて。
どれほど運がないのだろうなと、軽口の一つでも叩きたくなる。
「鑢七花か。
黒神めだかに敗北したと聞いているが」
「――ああ、負けたよ。どんな形にしろあれはおれの負けだ」
彼のことを貶す気などない。
確かに、黒神めだかが異常な存在であることは確認できた。
二度の邂逅を経て、全くその性質を反転させていながら、肝心などこかが狂っていることは変わっていないような、そんな存在だった。
――いや、今やそんなことはどうでもいい。
「否定姫が死んだな」
「ああ」
それだけで回答としては十分だ。
かつて目の前の男の大切なものを壊した彼が今度は喪う番とは、因果応報という四字熟語を連想させるものがあった。
眼前の刀は振るい手を喪い。
不忍の者は存在意義を喪った。
喪った者同士がこうして向かい合っている以上、どうなるかは明白だ。
七花の目は、あの時と同じだ。
十一人の手練れを歯牙にもかけずに撃破し、炎刀を装備した右衛門左衛門をも滅ぼしてのけた刀の瞳がそこにはあった。
すぐに分かった。
この刀は、最早妖刀にも等しい。
担い手を喪って、刃だけになりながらも戦い続ける、妖刀。
「不良。此方としては、貴様と激突するのは避けたいのだが」
「無理だな。おれは刀だから、そういう細かいことは考えねえよ」
右衛門左衛門の足でなら、逃げ延びることは難しくない。
七花は強いが、流石に元しのびを凌駕する超速には達していまい。
だが――、素直に逃がしてくれる気は無さそうだ。
当然。刀は斬る相手を選ぶことをしない。
故に、左右田右衛門左衛門の言葉に耳を貸す理由がない。
「おれはあんたを斬る。あんたもおれを殺せばいい。――――あの時と同じだよ、右衛門左衛門」
「――――そう、だな」
同じではない。
違う。違いすぎている。
姫を喪い、目的は忠義を果たすことから老人の甘言に頼るような惨めなものに変容してしまっている。
あの時とは違う。
「不笑。笑えんよ、鑢七花」
「そうかよ。じゃあ、おれは精々あんたの分も笑ってやる」
鑢七花が構える。
戦う準備は整ったとばかりに、有無を言う余地すらなく、構える。
右衛門左衛門も応じるように構える。
戦う準備は整っていないが、有無を挟む真似をせず、構える。
「――ただしそのころには、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな!」
戦いの火蓋は、それを皮切りとして落とされた。
七花が掌底を打ち込まんとするのを、右衛門左衛門は持ち前の身のこなしでかわしつつ、メスの一本を彼の額めがけて投擲する。
当たれば脳髄まで届くは必至の速度だが、相手は鑢七花。
四季崎の完了形変体刀『虚刀・鑢』と呼ばれるだけあり、この程度の攻撃は虚刀流の前では児戯にも等しい。
大体、その程度の輩であるなら如何に落ちぶれたとはいえ、真庭忍軍の連中も彼の前に悉く散るようなことはなかった筈だ。
瞬、と飛んだ銀刃を。
粛、と虚刀が叩き落とす。
真ん中で破砕した刃とは裏腹に、彼の手に一切の傷跡はない。
「虚刀流・薔薇ッ!」
轟と空気を切り裂いて、空中で逃げ場のない右衛門左衛門へと前蹴りが炸裂せんと進んでいき、それは直撃の軌道かと思われた。
しかしだ。虚刀が並大抵の輩には討ち果たせぬように、この左右田右衛門左衛門――『不忍』もまた、生易しい手合いではない。
炎刀が無くとも、七花に負けるとも劣らぬ身体能力がある。
速度でならば、此方に長があるといっても過言ではない程だ。
首筋を破壊する筈だった前蹴りは、空中で錐揉み回転をするように身体を捻らせた右衛門左衛門により易々と回避された。
が、これで終わりではない。
七花の回し蹴り――虚刀流・梅が無防備な右衛門左衛門を休む暇を与えないまでの速度で、その胴へと放たれている。
「不悪(あしからず)――だが!」
右衛門左衛門はそれを華麗なまでのバック転でかい潜ると、避けた後の空中滞空時間に、抜き出したメスを数本、投げつける。
これだけの数を捌くことは、並の剣士では不可能だ。
が、この鑢七花という男を前にそんな道理は通じない。
これで仕留めきれる訳がない。
「よっと」
横薙ぎの一閃で、七花は放った細くしなやかな刃を全て捌く。
砕けた刃の破片が宙を舞う。
七花は今度こそ右衛門左衛門へと攻撃を打ち込もうと勢いよく踏み込もうとし、そこで初めて鋭い痛みに呻いた。
散る破片に覆い隠されるようにして飛来した真庭忍軍の棒手裏剣が、七花の脇腹を抉っていたのだ。
こういう手は、やはり暗殺者の得意技である。
様々な相手と、様々なしのびを相手取ってきた鑢七花であっても気付けぬ一撃を放ってのけるは、流石は否定姫の腹心というべきか。
内臓はやられていないから、まだ良かった。
そう七花が僅かに安堵した時には、彼は術中にはまっていた。
右衛門左衛門の姿が、視界から消失している。
慌てて振り返ると、そこには案の定仮面の暗殺者の姿。
突き出されたメスの冷たき刃が、またも彼の肉体を貫く。
「……ちっ!」
七花の攻撃が届くよりも前に、右衛門左衛門は既に素手のリーチから脱出していた。
如何に絶大な威力でも、届かなければ意味がない。
今のところ、戦況は左右田右衛門左衛門へと傾いているようだった。
「――万全ではないようだな、虚刀流」
「ほざけ!」
悪態をつく七花だが、冷静さを欠いてはいない。
欠けているとすれば、それは刀の造形だ。
右衛門左衛門には分かる。
一度はぶつかり合い、敗北した相手だ、分からない方が無理な話。
あの城で拳という刀と、銃という刀を交えた時の彼は、大袈裟な比喩の一切を抜きにして命を省みていなかった。
言葉通り、殺して貰う為に挑んでいた。
腕利きの御側人達を悉く撃破してのけた彼はこれまでの旅路の成果か怜悧かつ屈強、まさしくそれは無双と呼ぶが相応しい技前だった。
しかし今の鑢七花は、どこかが鈍い。
左右田右衛門左衛門はそれが、自らが悪評を広めた少女により負わされた手数であると知らぬままに、唯無情にそこを狙う。
腐っても元は闇夜を舞う忍。
現在だって職業は暗殺者のようなもの。
今は亡き主君の命令とあらば誰でも殺し、幾らでも壊す冷血漢。
しかも今や、主の復活という大望を胸にしている彼に、真っ当な誇りを期待することがまず不毛の極みだった。
――拳が舞って、銀が飛ぶ。
虚刀の紅が宙を舞い、不忍は自らの有利に口許を歪める。
しかしながら、そこは現日本最強の剣士。
打ち合う中で彼もまた、確実に右衛門左衛門へと疲労を与える。
目に見える傷と、見えない傷の違いだ。
互いに致命傷にはなり得ぬギリギリの境界線を突き詰めていく、いわば終局間際の将棋の如き攻防が繰り広げられる。
完全なる少女により、刀は病魔という錆に冒された。
それによる倦怠感と、更に疲労が彼をどこか鈍らせる。
虚刀・鑢は完全なる刀だが、鑢七花はあくまで人間に区分される。
刀は砕けても繋ぎ合わせることだって可能かもしれない。
少なくとも、伝説の刀鍛冶が――七花を奇妙な刀集めの旅へと導いた当の本人が知る、未来の技術でなら容易いことだ。
だが人間はそうはいかない。
気合いで不治の病は治せない。
胴体から両断されたら、それでおしまいだ。
「不笑」
右衛門左衛門は笑わない。
七花の胴体には所々に赤い線が生まれ、そこから血液が漏れている。
メスや棒手裏剣が刺さったままの箇所さえあるほどだ。
なのに、ちっとも勝てるという確信を得らせてくれない。
これが虚刀流か、と。
覆面の男は、改めて笑えない、との評価を下した。
「笑えねえのはこっちの方だよ。……くそっ、あの女。ホントに邪魔なもんを残してくれた」
やはりあの少女。鑢七花をどんな手段か知らないが、打ち破った少女。
彼女のおかげでこの戦況があるのかもしれないと考えると、少しは感謝の情も湧いてくるというものだった。
炎刀を持たぬ今、手持ち無沙汰なのは間違いなく自分である。
これで相手が万全であれば、逃げるに徹するより他無かった。
右衛門左衛門がまたも刃を投じる。
何度繰り返されたか分からぬ動作を、七花は億劫とばかりに払った。
あの刀の間合いに入るのは愚策。
だが、遠距離からでは確実な決着に繋がる一手を打ち出せない。
現にこれまでの攻撃で、まともなダメージになったのはたった数発だ。
地面はいつからか、金属の破片ばかりになっていた。
手持ちの武器があと幾つあるか数えていれば、相手に先手を許す。
少なくとも、悠長にやっている暇はない。
鑢七花を殺すのに武器を使い切るのはいいが、戦っている最中に武器を使い切るのだけはあってはならないことだ。
勝負を決める。
そうと決まれば、真庭の棒手裏剣を使うのが最も堅実だろう。
メスの切れ味はしなやかで悪くはないものの、一撃の破壊力でならばこちらの方が遙かに勝るのだから。
「右衛門左衛門、あのさ」
いざ動かんとした時に、七花が口を開いた。
彼もまた、決着の訪れを感じたのだろう。
もしくは、決着を無理矢理にでも訪れさせるということか。
「おれは情けねえよ」
情けない。それは、彼の現在の本心だった。
鑢七花を鈍らせているのが、肉体の重みのみである。
そんなのは、戯言に過ぎない。
彼を真に鈍らせているのは、紛れもなく敗北の重みだ。
「おれは失うものなんて、もうなんにもないんだ。とがめはあんたが殺しちまった。おれは何もないんだよ」
七花は決して生涯無敗を貫いている訳ではない。
双刀を振るう怪力使いの一族の、その唯一の生き残りに。
錆び付いた刀、生涯を通して一度しか勝てなかった実の姉に。
剣を扱えない、その欠点を突かれて誠実なる剣士に。
敗北し――しかしながらも立ち上がり、全てその手で倒してきた。
彼には目的があったからだ。
惚れた女の為に、立ちはだかる敵を倒す。
単純にして明快、されど絶対にして最高な理由があった。
「それなのに黒神の奴に負けて、薫ってたんだろうな。ああ、認める」
願いを懸けた殺し合いはまだ半ばであるというのに、だ。
言うならば、本戦を待たずに中途半端なところで敗北した。
立ち上がらせてくれる理由も曖昧になって、それが七花を錆びさせた。
心も錆びて体も錆びた。まさしく、情けない限りだ。
「だから、ありがとよ。右衛門左衛門――あんたと此処で再会出来なきゃ、おれは案外その辺で野垂れ死んでたかもしれねえ」
「不笑。わたしは再会など、望んでいなかったぞ」
「そうかい」
七花は苦笑するように微笑して。
その一瞬後、先程までとは明らかに異なる冷たさを纏い、構えた。
それは覚悟完了の徴。迷いを断ち切った証。
先に駆けたのは右衛門左衛門だった。
メスを右手の指の間に挟み、もう片方で棒手裏剣を持つ。
速さはまさに超速。忍ぶことを捨てたとしても、腐ってはいない。
一瞬に近い時間で間合いを詰めた彼は、右手に鉤爪のように装着したメスで、情け容赦なく七花の肉体を切り裂いた。
浅い。だが、確かに通った攻撃だ。
続いて棒手裏剣を打ち込まんとするが、その瞬間には七花の蹴り上げが手裏剣を砕き、次なる動作を無意と変えた。
速い。切り返しでなら、彼もまた超速のそれだった。
追撃が、鉤爪を模した右手へと及ぶ。
「――――…………っ!」
飛び退かんとするにも、一瞬驚きで時間を喰われた。
それは致命的な隙、あるべきでない異分子。
不覚にも時間にして一秒にも満たぬ空白が、彼を追い詰める。
されどそこは否定姫が腹心だった男。
凄腕のしのびを次々と暗殺してのけ、神の通り名を与えられし男とも互角に渡り合える手練れ。
鑢七花の旅の中でも、一二を争う実力者。
速やかに彼は速断し、肉を切らせて骨を断つことを選ぶ。
即ち、右腕を捨ててでも有効打へ繋げる。
どうせ失うことが避けられないのなら、成功できるかも分からない悪足掻きに賭けるのではなく、現実を受け入れた上で次へ活かす。
がいぃぃぃいいん――――と、鈍く大きな衝撃。
右腕は千切れこそしなかったがその形状をあらぬ方向へと曲がらせ、一目で使い物にならないことを覚らせる。
次は七花が顔をしかめる番だった。
視界が、赤色に包まれたのだ。
投げ込まれる何かを打ち落とした、それが原因らしかった。
破片は苦にならないが、大きく視界を書いてしまった。
目潰し――右衛門左衛門は、病院で手に入れた曰く付きの小瓶を、事もなさげに使い捨てたのだった。
英断だと、七花は思う。右衛門左衛門も信じている。
どうせ使い物にならない物ならば、せめて最大限の使い方で使い潰すのが最善に決まっているのだから。
更に、視界を潰された七花の背後へ、彼は瞬身する。
――相生拳法・背弄拳……!!
背後にいるものは攻撃しにくいというメリットを最大限に活かし、常に相手の背後を取る、忍者の動きあってこその拳法。
それはひどく単純で、それゆえに攻略が難しい。
視界を封じられている七花では、気付くことさえ遅れる。
「さらばだ、鑢七花!」
繰り出すは絶技。
虚刀を砕くに相応しき一撃。
「――――不忍法・不生不殺――――!!!!」
そして。
鮮血が激しく咲き乱れ。
虚刀流と不忍の再戦の決着は着いた。
――風が吹いていた。
◆ ◆
「――――が、は…………!!」
左右田右衛門左衛門は、倒れていた。
あの時と同じく、その胴体に致命傷を穿たれて。
血液の湖を作りながら、避けられぬ死の訪れを感じさせられていた。
一方の鑢七花は、全身各所に細かな傷を作りながらも立っている。
二本の足で地面を踏みしめ、自らの貫いた敵を黙って見下ろしている。
――あの時、右衛門左衛門は確かに勝利の一歩手前にいた。
不忍法・不生不殺を決められていれば、勝利は間違いなかったのだ。
仕留めきれずとも視界を封じられた七花では、動きは当然鈍る。
その隙で十分。もう一度必殺を叩き込めば、確実に彼が勝っていた。
なら何故左右田右衛門左衛門は負けたのか。
それはひとえに、偶然だった。
視界を奪われると同時に、七花もまた考えた。
考えるというよりは、ほぼ直感に近かっただろう。
右衛門左衛門が確実に命を取りに来ると、確信することができた。
迎え撃たなければ殺される。それも、此方も必殺で応じるしかない。
――虚刀流・一の構え。鈴蘭。
更に、それから繰り出される虚刀流最速の奥義・鏡花水月。
そうやって、突撃してくる右衛門左衛門を迎え撃とうとした――が。
彼が背後へと回ったことを、まばらとはいえ微かに見えた視界の様子から察することができた。
それがあとほんの一秒遅ければ、七花は死んでいた。
型のなき、無名の一撃。
振り返ると同時に放たれた、他の奥義のどれにも当てはまらない攻撃。
虚刀流の奥義に属されるほど、それは上等ではなかった。
あまりにお粗末で、けれども鑢七花の全力を込めた一撃。
それは左右田右衛門左衛門の一撃が自らに届くよりも前に、彼の胴体を刺し貫き、この因縁の戦いへと終止符を打った。
ただ、それだけのことだった。
「……おれの勝ちだ、左右田右衛門左衛門」
「や、すり……しちか……!」
右衛門左衛門は立ち上がろうとするが、叶わない。
やはり前回と同じく、死は免れない致命傷であるようだった。
一分どころか、あと十数秒保つかどうかも分からない状態だ。
当然、如何にしのびの如き速さを持つ右衛門左衛門でも、それほどの短時間で優勝を勝ち取ることなど到底不可能である。
彼は、敗北したのだ。
何も為さずに、無意味に無価値に死んでいく。
「虚刀流」
はっきりとした語調で、彼は言う。
無価値の誹りを受けるくらい、何でもないことだ。
けれども、無意味で終わることなどあってはならない。
それではあのお方の――姫さまの腹心として、あまりに無様すぎる。
だから彼は最期に遺すことにした。いや、託すことにした。
自分の遂げられなかった願望を。
恨み言のように、皮肉るように、人間らしく笑って、伝えて逝った。
「姫さまを任せた」
――――それっきり。
ただ一度だけ吐血して、左右田右衛門左衛門は今度こそ完全に死んだ。
その光景を見つめて、七花はぽつりとつぶやいた。
「そういや、”一人”とは言ってなかったっけな――――」
ばたりと、彼は地面へ仰向けに倒れ込む。
致命傷は負っていないが、如何せん、疲れてしまった。
ようやく一人の戦果を挙げたところだというのに、どうにも眠い。
一度休んだほうがいいか。
――そういや、右衛門左衛門を殺した、あの一撃。
あれなら、虚刀流の新しい奥義に出来たかもしれないな。
まあ、どうやったのかなんて、もう忘れちまったけど――
彼はそれ以上睡眠欲求へ逆らうことをせずに、緩やかな眠りへとその意識を落としていった。
【左右田右衛門左右衛門@刀語シリーズ 死亡】
【一日目/真昼/C-3】
【鑢七花@刀語】
[状態]疲労(大)、倦怠感、覚悟完了、全身血塗れ、全身に無数の細かい切り傷、刺し傷(致命傷にはなっていない)、睡眠中
[装備]奇野既知の病毒@人間シリーズ
[道具]支給品一式(食料のみ二人分)
[思考]
基本:優勝し、願いを叶える
1:……………………。
2:起きたら本格的に動く。
3:名簿の中で知っている相手を探す。それ以外は斬る。
4:姉と戦うかどうかは、会ってみないと分からない。
[備考]
※時系列は本編終了後です。
※りすかの血が手、服に付いています
※りすかの血に魔力が残っているかは不明です。
※浴びると不幸になる血(真偽不明)を浴びました。今後どうなるかは不明です。
最終更新:2013年05月15日 23:06