虚構推理 ◆xR8DbSLW.w
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あなたの見落とした道はどちらですか?
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陳腐な話ではあるが、人の死に関して考えたことはないだろうか?
考えようと思えば、幾らだって考える機会はある。
家族が死んだ時、もはや長くないペットを眺める時、何かの縁で葬式に出た時。
ドキュメント番組を見た時、著名人の訃報を聞いた時、立てこもり事件のライブ映像を流している時。
仮死体験をした時、誰かに殺されそうになった時、ふとした切っ掛けで自殺を図ろうとした時、などなど。
人間、あまり考えたくないだけであり、この
戯言遣いたるぼくが言うのもなんだけれども、死と言うものは身近に溢れている。
意図的だろうが、偶発的だろうが、縁がある時は、自ずと縁は結ばれたりするものだ。
どうしても生きている以上、死と無縁ではいられない。
《死なない人間》であろうとも、運命に貪られるように死んでいく平生の世。
《吸血鬼》も、特性(キャラクター)虚しく命を果たす救いのない地平の上。
誰にでも訪れる。同時に、誰しも避ける術など取得していないのだ。
《未来》を知り、《物語》を読んだ軽佻浮薄な占術師とて、呆気なく死んでいる。
何故人は死ななければいけないのか?
立証できない《ただそうであるから》という意味や概念以前の絶対領域。
人の死に様について語ることは実に容易い。
火刑、斬首、絞首、首吊、磔刑、食人、――――数え上げたらきりがない程に飽和している。
だが、それを列挙して何になるのだろうか。
何故人は死ぬのだろう。それに対する答えはまるでない。
哲学の学問を学べば、倫理の学問を学べば、生物の学問を学べば、或いは答えは見いだせるのだろうか。
少なくとも、ぼくはそれに対する答えも、対処法も、知識としても、理解し得なかった。
無意味だから。
戯言でさえない、無為な知識。
ぼくはぼくなりに、今まで殺してきた人の分だけ、相応に死と言うものを知っている。
だけど、だから、何も感じないし、巫女子ちゃんの一件のように、ぼくは幾度も人の命を踏み越えてきた。
無自覚に、無意識に、他人を踏み台にして、生きてきて、今を迎えている。
こんな愚鈍なぼくにとって、人の死を学ぶことなど意味を成さなかったし、恐らく一生涯本来の意味を見出すことはできないだろう。
今だからこそ、
正義の味方なんて真似事をやっているけれど、果たしてぼくが幾許ほど人を理解できているか、甚だ疑問である。
仮に人の死が絶対的なものでなかったとしたら、ぼくにも前を向く勇気が持てたのかもしれないけれど、生憎現実は甘くない。
過ぎたものは過ぎたもので、どこか諦観を抱いているぼくがいることは、諮らずとも察しの付く話だった。
狐面を中心とし、《世界の終わり》をキーワードとしたぼくの物語上、ぼくはその辺りの認識に改革を経ているが、しかしだからといって、易々と価値観が揺るぐことはない。
人の死を見て驚かない代わりに、そいつはもう、《終わった存在》であることをぼくは理解出来る。
巫女子ちゃんのような、姫ちゃんのような、あまりにもイレギュラーな死体を除くのであれば、ぼくは平静を装い探偵の真似事に興じることも不可能ではないだろう。
《終わった存在》の遺志を代弁する、正真正銘の戯言を繰り出すことに精を出すだろう。
ここで誰かを生き返そうだなんて考えれない辺り、ぼくの思想が貧困なのもさることながら、死は絶対的であるとぼくは知っているのだろう。
その《死》というものを詳しく理解もしていない癖に、ぼくは《死》というものを感覚として知っていた。
ところで。
のうのうと能書きを連ね、それらしくぼくの死生観を論じてはみたものの、
反して、ぼくの中で死の絶対性とやらは大分薄まってしまった。
それは喜ばしいか嘆き悲しむことなのか。
いずれにしたところで、ぼくの知り合いの中では《生死の境》などに拘泥する人間の方が、或いは少ないのかもしれない。
曰く一度死んでいるはずの狐面の男。
そしてぼくは死に様をこの目で見たはずの
想影真心。
この二人は、どうしようもなく死んでいたはずなのに、どうしてかぼくたちの前に立ちはだかった。
顧みれば死の絶対性が薄まりはじめたのは、四月の事件が皮きりなのかもしれない。
誰が死んだか分からない。
推理し、解き明かし、犯人を暴きだし、その上で犯人と被害者がごちゃごちゃだったあのクビキリ事件。
誰でもなかった彼女は、結局誰だったのか。クビキリ死体は誰だったのか。今のぼくなら断固として言えるのだろうか。
そう言う意味では、裏返しにして相似のオルタナティヴ、《害悪細菌(グリーングリーングリーン)》を巡る一件においても、また同じことが言える。
しかし。
そんな簡単に人は生き返っていいものなのかと問われたら、ぼくは首を傾げる。
例えぼくの価値観が末期的に破滅を迎えていようが、死は死。そんなホイホイ代わっていいものではないだろう。
仮に論理的にも合理的にも究極的に終末的に完璧で完全な証明を述べようとも、変わるわけがなかった。
世間一般的な常識に違いないし、間の抜けたぼくには今でも、死とは絶対であるという認識は抜け切れていないのである。
だからこそ。
ぼくは考えたい。
考えてもいいと思う。
こんな曖昧模糊に満ちた世界の中で、疑うべきは何なのか、信じるべきは何なのか。
常識か、現実か。
結局、人の死とは何なのだろうか。
人は、生き返るのか――。
実に戯言。
他愛もない無意味な話。
突き詰めればただの次に繋げるための話でしかない。
今回の物語はただそれだけの物語。
欺瞞と怠慢に溢れたぼくのこれまでを振り返り、改めて戯言遣いを問いかける物語。
青色サヴァンや死色の真紅の手を煩わせるまでもなく、自己矛盾を露見させるだけである。
生きることさえも矛盾を共有するぼくにとって、ほんの僅かに残った一握りの常識を崩しにかかる世界。
表舞台に立たされたぼくらには知りえない、ナニカを追い求める夢想を描こう。
いつかの為に。
《家》に帰れる、その時の為に。
だからぼくは――
2
舞台は自由に動き得る限りで最南の座標。明確に表記するならば、G-2。
鳥取砂丘よりも広大なのではないかと思わせる因幡砂漠を走り抜け、いよいよぼくたちは最初の目的地に着いた。
そもそも砂丘と砂漠にはれっきとした違いがあり、何故そんな傲慢にも砂漠と格好つけるのかは定かではないが、そういう名称なのだろう。
名称なら致し方ないのかもしれないけれど、だからと言って確か、因幡は鳥取の旧名である。
ネタかぶりだとかオマージュだとか言う話のレヴェルじゃない気もするんだけどなあ、良いのだろうか。
まあ深い追及はしないし、言ってみたはいいものの、特別ぼくに、これ以上何かを判別できるほどの測量技術は身についていない。その場限りの戯言だ。
名前に名前以上の意味なんてないしね――なんて。こっちの方が余程戯言だな。
「ふーむ」
突き刺さるような暑さの波はぼく達を船へと急がせるために鼓舞している。ご苦労様なこった。
幾らマゾと揶揄されようが、生理的に嫌なものは嫌なので、ていうか真宵ちゃんが若干可哀相だしぼくたちは本能に任せ客船へと足を進める。
流石は最南。
よほど参加者間で人気(にんき)がないのか、辺りには真宵ちゃん以外の人の気配など一切感じない。
ザァーザァーと海岸に寄せる小波の哀愁が、ぼくのシンパシーを誘う。
そもそもこうして海を見たのは何時振りか。もしかしたら四月、鴉の濡れ羽島に訪れた際に風景として眺めた程度か?
だとしたら、随分と久しぶりと言うことになる訳だ。
しかし残念ながらぼくは海に対する思い入れは特別ないため、引き続きこうして物思いに耽ることにしよう。
「……」
「……」
奇妙な沈黙が流れる。
そりゃ二人しかいない上、ぼくが喋らなきゃ真宵ちゃんが話さない以上会話があるわけない。
然るべき沈黙であり、当たり前のサイレントである。
海風に当たりながらぼんやりとそんな事を考えた。考えただけ。
「……」
「……」
沈黙は続く。
真宵ちゃんが何を考えているかは、ぼくの与り知る話ではないが、彼女もまたこの海に共感めいた同調を感じたのだろう。
真宵ちゃんの意味深なその瞳は、暗にそのことを示しているのだ。「わたしに話しかけたら――その時には八つ裂きになっているでしょうけどね」と。
さて、冗句は程々にして。
気配を感じないとはいっても、鳳凰さんと対峙した時のように思わぬ闖入者が何時現れるかは分からない。
加え、そろそろいい加減隣で佇む真宵ちゃんの視線が訝しいものへと変移していったので、行動に移すとしよう。
どうやら見事にぼくは変人扱いされてしまったようである。身に覚えは沢山あったりするからどうにもできなかった。
「じゃあ、向かおうか」
「はい。ところで忘れてましたが車はどうしましょうか」
「あー……」
そういえばどうしよう。
そもそも取り出した時でさえ、吃驚仰天したものだ。
なにせ明らかに容量(スペック)外の物質が、小型な鞄から出てきたんだから驚かないわけがないのである。
よくもまあ、あの日之影空洞だったか、筋骨隆々な推定・高校生はオンボロビルの中で、この車をディバッグからディバッグに移し替えるなんて言う所業をやってのけたものだ。
まあ、この車をディバッグに仕舞い直すということが出来ると言うことは判明しているのだけれど、
反面、ぼくはこのディバッグにどのように車を仕舞い直すか、方法がわからない。
ディバッグの口に、車を当てれば、自動的に掃除機よろしく吸収していってくれるのか。
仮にぼくがその様な行動をして、何も起きなかった場合、とんでもない事故が起こる。それは避けたいのが正直なところだ。
真宵ちゃんがやって失敗する分には、ぼくは「残念だったね」の一言で済ませる気はあるけれど、どうやら真宵ちゃんも同じ心境なもので。
ディバッグを大口開けて構えた結果、なにも効果が表れない居た堪れなさを、想像で感じ取ったのだろう。
絶対いやです。と首を大きく横に振り、ツインテールが華麗な舞を興じている。
ここに臆病者二人がいた。
誠に遺憾ながらぼくたちのことである。
「……まあ、このままにしとこうか」
「そ、そうですね」
ぼくらの仲は臆病の名のもとに深まった。
真宵ちゃんとの仲が進展した気がする……。
車と言う尊い犠牲が出たが、止むを得ない。ていうか戻ってくる時無事ならそれでいいし。
仮に放置して問題が出てくるのであれば、他者に破壊される可能性が出てくること。
しかしそんな手間を掛けるぐらいなら即刻ぼくらの命を潰しにかかるだろうことは簡単に推測できるので、さしあたって問題という問題はない。
剣呑剣呑。相変わらず剣呑と言う言葉の意味がいまいち記憶に薄い中、ぼくはそのように呟く。
「じゃあ、改めて」
「はい」
そういうわけで、船から架かっているタラップを目指し、ぼくらは砂を踏んだ。
砂の感触は、どこか懐かしく――頭の隅で、砂場の光景が思い浮かんだが、ぼくはその光景を静かに閉ざした。
「しかし戯言さん」
「なんだい」
「何でドアが全部開かれているんでしょうね」
「さあ。先客がいたんじゃない。きっと人を呼び寄せる招き猫でもいたのかな。豪華客船は」
タラップから豪華客船に乗りこんだ後、ぼくたちの第一印象は豪華だ、というよりも先に、そちらの所感を抱いた。
可能な限り、全部のドアが開かれている。場合によっては勢い任せに引きすぎたのか、外れているドアさえある。
およそ人為的なものでしか考えられないこの行為に、ぼくたちは考えあぐねていた。
まあ、そんな時間も僅かなもので、ぼくたちは瑣末な疑問を一旦頭の隅に置き、船内の探索に駆りだすことにした。
(余談だが、第一印象は両者共々、「涼しい」である。現金な話だ)
豪華客船。
地図に堂々と記されるに恥じない、「なるほどこれが豪華か」と言わしめる大規模な客船である。
外装は潤さん好みの真紅で覆われ、昨今大衆向けに開発される、アニメキャラクターなどが描かれたカラフル模様とはまるで正反対であり、庶民を寄せ付けないオーラを放っていた。
ぼくのように現実貧乏でしがない庶民が乗ると、思わず場違いなような気がして、周りの人間から好奇な目で見られているような気がして、何処か興奮できる。そんな船。
豪華の権威は外装だけに留まらない。
内装とて、きっと名だたる匠が技巧を光らせ、一々手間を掛けたような無駄な手間暇と権力が窺えた。
少なからず「素朴とは何か」をあらん限りに体現したぼくのよく知る骨董アパートとはまるで違う。あそこもあそこでいい場所なんだけどなあ。みいこさんいるし。
それにぼくが一番驚いたことは、豪華な船には本当に、プールと言うものが設備されている、という点である。
間違っても泳ぎたいとは思わない――ていうか泳げないから入ろうとは思わないけれど、これには素直に感動した。
おお、と思わず感嘆の声すら漏れてしまったようである。真宵ちゃんに「情けないですねえ」と指摘されてしまった。
その当の真宵ちゃんはと言うと、「プールと言うと千石さんの領分ですね……!」と生唾を飲んで静かに、鬼気迫る顔で語っている。
だから誰だよ、おまえは。
つまるところ全身ブルジョワで塗り固められた当豪華客船。
中々広大で、全部見回るのは非情に骨が折れる作業ではあったが、ぼくたちは豪華客船を遊覧して回った。
どうやら一時間もしないで見て回れたらしい。放送には間に合った。
とはいっても一々部屋の中を調べ回ったり、プールなど始め娯楽施設を利用したわけではないので、ある種当然でもある。
その中でぼくが気になった点は。
一つは、真宵ちゃんが先ほど言ったように、可能な限りほぼすべてのドアが開いていた点。
とはいえこちらは、ただ単に誰かがここにやってきて、豪華客船を調べ回ったというだけであろうから深いことを言う気はない。
こんなところに、思わぬ伏線が貼ってあったとするならば、ぼくはそのストーリーライターを虐げれる自信がある。
二つ。
こちらは今後の物語を、大きく左右するかもしれないし、しないのかもしれない。
いずれにしたところで、《操縦室》であろう部屋が見つからなかった。及び、堅牢に錠をかけた部屋があったということ。
もしも、その錠がされた部屋が操縦席であったのであれば、脱出等含め大きな一歩になる。
大きな声では言えないが、哀川流《泳いで何とかしろ!》論をもしかすると実行に移さなくてもよい可能性が浮かんだということだ。
そんなうまい話が実際あるかと言うと、ぼくとしては快い返事は返せないが、希望ぐらいは見てもいいんじゃないかと思う。
「まあ、どっちにしたって戯言だけどね」
呼吸をするようにぼくは言う。
すると意外なことに、隣の方から返事が返ってきた。
「思ってたんですけど戯言さん」
「どうかしたかい」
「うーん……。お伝えするのも憚られるんですけどね」
腕を組むようなポーズで思案している。
いや、言いたくなけりゃ言わなきゃいいものの。
ぼくは思いはしたが、どうやら真宵ちゃんの意志は固まったようで、ぼくはそちらを尊重することにした。
真宵ちゃんはぼくに対して、残酷な指摘を下す。
「あなたの《戯言だね》って口癖、どうかと思います!」
「酷え!!」
酷え!!
言葉と精神のシンクロニシティ。
いや、散々言われてきたけども。良い言葉ではないけども!
まさかこのタイミングで言われようとは。
名前が噛みづらいという無茶苦茶な難癖つけたことといい、良い印象ではないのだろうか。
「これは新たな口癖を開発する必要があるようですね」
「いやいやないからないから!」
変なベクトルにやる気が向かった真宵ちゃんを大慌てで止める。
真宵ちゃんは瞳を爛々とさせて、まずぼくの口癖第一案を繰り出した!
「『……おまえはもう、死んでいる』を語尾に付ける」
「パロディにしても不謹慎だ!」
そして何故そのチョイスだ。認知度が高くて、ほぼ誰にも分かるネタだが、口癖としては逆に誰も使えないぞ。
「『ふるえるぞハート! 燃えつきるほどヒート!』を台詞の合間合間に」
「入れないから」
しかももう既に使われてる気がする。不思議と。
「セーラームーン、おジャ魔女どれみ、プリキュア――と少女向けのアニメですら格好いい決め台詞のあるこのご時世ですよ。
恥ずかしくないんですか? 《戯言だね》だなんて。クールでドライを売ってるつもりかも知れませんが全然そんなことありませんよ?」
「……」
絶句。正しくは呆れてものも言えず。
勘違いしてもらっちゃ困るがぼくはそんなキャラで売ってるつもりはない。
冥土のことであれば小一時間はおそらく語れるであろう情熱をもっている。パッションだ。
どうでもいいんだけど何故例に上がったのが、少女向けのアニメなのだろう。性転換や女装をする気はさらさらないのだが。
「戯言さん。メディアミックスを狙うのであればやはり感じのいい決め台詞の一つや二つありませんと。
なんと会話だけしかしてないわたしたちでもゲーム化できる容易い時代とはいえ!」
「妄言は程々にね」
真宵ちゃんはこのように時折不思議なことを言う。
多少電波なのは、生憎ぼくは最初から知っていたので、今更ショックは受けない。
恐らくぼくたちは生まれた畑が違うのだろう。例えば推理小説とコメディノベルぐらい。
ならばぼくはこの電波を受け流すのも一つの仕事と言えるのだ。危ない橋を渡るわけにはいかないのである。
唯一つツッコムのであれば、容易いとか言うな。
さて、そろそろぼくも彼女との雑談を一旦締めくくろう。
もうそろそろ放送の時間だ。流石に二回も連続で聞き逃すわけにはいくまい。
「しかし真宵ちゃん。ぼくの口癖が変わっちまったら、ぼくの名前はどうするんだい?
意味がわからないと言えばいいのか、老翁の意外な親切に感謝すべきなのか、ぼくの名前はこの場に限って言うなら一般的に《戯言遣い》だ。
そう考えると、今この場で口癖を《戯言だね》以外にすると、些か不便と言うものじゃないか?」
「むむ、それもそうですね……」
聞きわけはよろしい。
自らがイエローゾーンに踏みこんだと察したら、案外あっさりと身を引いてくれる。
とは言ったものの、彼女にとっては捨てがたい話題なのか(これはこれで意外と悲しい)、苦肉の策と言った感じで
「でも最後に一つ、とっておきの決め台詞を考案したので聞いてください!」
「……まあいいけど」
今更だ。
「では」
と、大袈裟に咳払いを一つ。
先ほどの《勇気》の話の時も感じたが、彼女の雰囲気作りは素晴らしいと思う。
「――『そのことをぼくは、認識という人間の感覚機能をキャパオーバーした不可思議に、困惑の色を浮かべようとする』」
おそらく口癖に繋ぐための前文、前置きだろう。
これはぼくの真似なのだろうか。だとしたら今ぼくはとても複雑な心境にあった。
真宵ちゃんはぼくの心境など、認識という人間の感覚機能をキャパオーバーしたかのように、華麗に無視してぼくの口癖案を提言する。
「『ただしその頃には――八重咲きになっているだろうけどな!!』」
「なんか違え!」
なにが八重咲きになるの。戯言が開花でもするのだろうか。もしくは頭か。
せめて先ほど(ぼくの想像内で生きていた)真宵ちゃんの言う、八つ裂きの方が格好いいと思う。
「これぞ時代を超えたクロスオーバー」
「……」
ぼくはさらりとスルーをした。
第一この様なクロスオーバーで、パロディネタは揚々と使っていいものではないんだ。
真宵ちゃんもおおよそ満足いったのか、それ以上深い追求をせず、ぼくの隣でキョロキョロとしている。
……。
しかしどうだろうか。
仮にぼくが戯言を遣わなくなったとして、世界はどれだけぼくに優しくなるのだろう。
ぼくは誰も殺さなかったかもしれないし。
ぼくは誰も失わなかったかもしれないし。
あいつは悲しまなかった。どいつも嘆かなかった。
狂うことのない人生で、何事もなく平凡を享受した人生を過ごすことが出来たのだろうか。
凡庸な日々を送り、退廃的な日課を越し、誰にも恨まれることなく変哲もない日常を過ごす。
だとしたらそれはどれほど。
ぼくはどれほど――
ぼくは――。
『時間になりましたので二回目の放送を始めます』
3
死は覆る。
そのような怪奇談をおよそ一般人なら即刻妄言として切り捨てることが出来るだろう。
世の中、様々な《些細な不可思議》を神様だの仏だの、亡霊だの妖怪だのに例えたがる。
だからといって、殊のほか《死者を蘇生する》ものは少ないと思う。ぼくが知ってるところで言うと、キョンシー辺りはメジャーだろうが、あれも厳密に言えば蘇生ではない。
理屈は簡単で、《死者を蘇生する》と言う行為は《些細な不可思議》ではない。――どう捻じ曲げたところで、説明して納得を煽ることは難しいのである。
敢えて神で例えるのならば、かのイザナギとて、亡くしたイザナミに会いたいからと言って《蘇生》を行わず、《黄泉の国》に出向いたほどだ。
数多の神々を産み落としたとされる彼でさえも不可能、だと思われる現象を、果たしてどのように説明すればいいのだろう。
百物語でも傾聴すれば、答えは導かれるのだろうか。
かつて耳に入れたのかもしれないが、その内容を覚えていられるほどぼくの記憶力はよろしくない。むしろ悪いと言えるだろう。
まあ。
かくいうぼくは、実を言うと死者蘇生を幾度か見聞きしている。
そうは言っても、ぼくが今まで知っている二人は、どちらもどちらがイレギュラーだった。
人類最悪と人類最終。
何がどうなっても、例え死人が生き返るなどと言う推理小説にあるまじき愚行を行っても、最悪ぼくとしては頷くことぐらいはできる。
人類最強の請負人にしたって、また同じことが言えるであろう。
規格外は規格外として。想定外なら想定外で、ぼくは受け入れることは、曲りなりともやってきた。
しかし、だからと言って。
ぼくのような戯言遣いであろうとも、認めれないものは確かに存在する。
特別怖いだとか言う感情を抱いたわけじゃないが、しかしそれでも無感動でいられるほど、日常茶飯の事象でもない。
「……は。」
船内プールを見た時とはまた違う、一つの声。
発信源は考えるまでもなくぼくのものだった。
ぼくは果たして放送の中身をちゃんと脳内に通しただろうか。
ここは素直に、正直に白状しよう。
まさか、子荻ちゃんまで関わってきているとは思わなかった。
いや、もっと言ってしまえば、重要なのは子荻ちゃんという点ではない。
ぼくがしっかりと、《死んだ》と認識している人間が、ぼくに分かるように再び喋っている事実が、酷く違和感であり、甚く気持ち悪く感じる。
元々欠落に崩落を重ねてきたぼくの常識であったが、容易く死者が口を開いているのは、どうしようもなく頭を揺さぶられた。
探偵稼業もたじたじである。
……ただ。
ここまで動転する話の内容だろうか。
繰り返すようだが、死者の蘇生に立ち会ったこともあった。
ギャグパートだったとはいえども、いつだったか潤さんは姫ちゃんを永遠の眠りから蘇生させたことがある。
勿論その時は気持ち悪さなど感じなかったし、むしろ安堵の様な気持ちに満たされたのではなかったか。
オーケーオーケー。少し落ち着け。
焦りを表に出すのは禁物だ。一からもう一度考えよう。
そもそも。
ぼくが今イメージしている蘇生方法とは、俗に言う魂を屍に戻すような行為。
つまりはゾンビのようなイメージに近い。心肺が動かなくとも、自動行動に律する蘇生。
血が爛れ、肉は腐り、髪は屠られ、骨は砕け、眼球は潰え、見るも無残なものになっていると考えていた。
死んでいるのだから、心臓に衝撃を与えたところで、意味はなさないであろう。と中途半端に現実的に考えている。
中途半端は大好きだ。
まあ、そういう想像をしたのは暦くんの話を聞いた後だから。
というのもある。文献によってもまちまちだが、吸血鬼は眷属を作る際、その眷属は腐食しどうたらこうたら、と聞いた覚えがあるような。
相も変わらず絶不調の自己記憶管理能力がソースとなるため、確実な知識としては語れないが、そのような術があるとかないとか。
大前提の想影真心は、イレギュラーのハイエンドであるため参考にできそうになかった。
ぼくがER3にいた時代の真心ならともかく、今の真心なら全焼しても生き残ってるぞ、なんて報告されても素直に信じれそうである。
さておき。
ぼくの想像通りとするならば、今頃子荻ちゃんは口と呼べるものはなく、ご自慢の策を弄することもできないだろう。
なのに今、ぼくたちに聞こえるように、子荻ちゃんの声が辺りに反響した。
この時考え得る可能性は二つ。
まず一つに、ぼくの考えている前提が間違っている。
これは大いにあり得るだろう。
さながら『なにもなかった』かのように、死から生を奪還したのかもしれない。
そして二つ目。
子荻ちゃんの《時系列》がぼくのそれとは異なる場合だ。
これは先ほどの零崎との会話、および真宵ちゃんとの確認を経て、それなりの推定材料の揃っている仮定である。
零崎との会話以降――といってもそれほど時間が経っているわけでもないが――
ぼくは出夢くんや玉藻ちゃんが死んでいたのにも関わらず、ここに存在していた理由を、《時系列》が違うからと考えた。
荒唐無稽だと笑われるような話の種だが、如何せん馬鹿に出来ないのが現実である。
《殺し名》や《呪い名》の全てを知っている訳ではないけれど、中にはそう言う《時》に関する技術を有する者もいるかもしれない。
そうでなくとも、真宵ちゃん曰く《怪異》。ツナギちゃん曰く《魔法》。案外世の中には常識離れなことも多いらしいのだ。
《時系列》をずらす、だなんて偏った能力とて、有ってもおかしくない。
少なくともぼくよりは《暴力の世界》に詳しいであろう零崎も、特に違和感を抱いている訳ではなかったのでぼくもそれに倣おうと思う。
欺瞞や疑心はぼくの得意分野だが、必ずしもしなきゃいけないことではない。
閑話休題。
いずれにしたところで、《それらの可能性を肯定する》だけの根拠はあれど、《どれか一つを特定する》根拠は不足している。
下手な推測は後々の自分の思考を狭めてしまう恐れがあるので、今回はこの辺で切り上げよう。
例の如く、一度なにかに気がつくことが出来れば、連鎖的に全てを解き明かすことも不可能じゃないだろう。
一は全。全は一。
ぼくのサスペンスとは基本的にそのように作られている。
「……」
「……」
だから一旦。
真宵ちゃんの反応を窺うとしよう。
ぼくからは特に言うことはないし。また零崎や阿良々木の一人が死んだか。その程度。
ここで劇的な何かがあったのならば、ぼくはこうして冷静に語ってたりはしてないだろう。どうだろうね。
「……七人、ですね」
「そうだね」
「阿良々木さん……
阿良々木暦さんを含めて、どれほど亡くなったんでしょうか」
「十七人。
第一回放送前には十人死んでいたんだろう?」
「……」
真宵ちゃんは黙す。
過酷な現実を受け入れ難いのか、俯き、木目調の床を見る。
むろん見つめている場所に何かがあるというわけではなかった。
真宵ちゃんは暫しその場所を眺め、思案を巡らせている。
ぼくは読心術やESPなどを会得している訳ではないので彼女が何を考えているかは分からなかった。
一頻り、思考の整理はついたのか、彼女はぼくの方を向いて一言言う。
「……これからも、頑張りましょう。戯言さん」
「……。……そうだね、頑張ろうか」
頑張れなんて言葉にどれほどの意味があるかは分からないが、ぼくはとりあえず頷くことにした。
前向きなのはいいことだ。過剰な前向きは褒められてことじゃないんだけども。
これでも彼女なりに、決意を果たそうと奮起している。無下にする必要はない。
「じゃあ、放送も聞き終えましたし、次に行きますか?」
「そうだね。これ以上ここに居てもしょうがないしね」
探索してれば違う発見はあるかもしれないけれど、今のぼくは新たな発見とやらを第一の目標としていない。
あくまでぼくの最優先の目的は人探し。探し人がいなければ長居する理由はないだろう。
「確か次は診療所だね。大丈夫?」
「大丈夫です」
「そりゃ息災だ」
なんであれ、一先ずなにかイベントが起こるわけでもなく。
静かに今回の話は締めくくろう。毎回毎回大波乱が起こったら、流石にぼくらの身が持たない。
別にそれならそれでもいい気はするが、こちとらうっかり死んでしまったら哀川さんに何を言われるか分かったもんじゃないし。
まだ玖渚の奴に、会ってないしね。何か手掛かりがあればいいのだけれど。
いやいやおいおいまさかまさか。
前座でも前振りでもないよ。とてもじゃないが、ぼくたちにそんな流れは皆無。
ここでぼくが「ヒャッハー」とでもいいながら機関銃に火を吹かせる真似する道理がない。
そんな漫才のような展開なんてたまったもんじゃない。そんなものは他所のバトルロワイアルでも眺めてくれ。
こればっかりは戯言でも傑作でもなく、ただの本意だ。
「そういやジャル事さん」
「人を航空会社の名前みたく呼ばないでくれ」
「失礼、噛みました」
「……。そうか、気をつけてね」
「なんてことでしょう!」
ノリの悪いぼくに対して、八九寺ちゃんは糾弾を始めた。
放送終わったばっかだぞ。もっとなんかあるだろう。
尤も約十三行前のことを想うと、ぼくにそんなこと思われるのは、真宵ちゃんとしても不本意だろう。
「いやいやそこは《違う、わざとだ》でしょう! 何をサボってるんですか!」
「もう、いいかなって」
「よくないですよ! ヒロインとの会話を投げ出すなんて《主人公》やる気あるんですか!!」
こんなところで、《主人公》を否定された。
ツッコミの一環としてもそれは酷いんじゃないか。
自分の事をヒロインと言いだした彼女。ぼくはどうすりゃいいんだ。
「まあ、いいです」
いいんか。助かった。
哀川さんの苦労を理解した気がする。楽しいので止めるつもりはないけれど。
「話を戻しますが、もう携帯を掛けることはしないんですか? 運転中にかけるぐらいなら、今パパッと済ませるのも一つの手だと思います」
ああ。携帯電話。
「いや、止めとくよ。幸い今回の放送はぼくたちには影響の薄いものだったけど、みんながみんなそういうわけではないからね」
暫しの逡巡の後、真宵ちゃんは言葉を返す。
「それもそうですね。今電話を掛けるというのは空気が読めてませんね」
戯言遣いは戯言を手繰るが、下手な慰めはむしろ逆効果であることも多い。
今亡き――じゃないな、まあ、子荻ちゃん曰く、ぼくの存在はトラブルメーカー。
《なるようにならない最悪(イフナッシングイジバッド)》。《無為式》。
無闇の為にのみ絶無の為に存在する公式(システム)――零式よりも人識よりも、存在するだけで迷惑な絶対方程式。
生かす道を選んだぼくだけれど、いや、ぼくだからこそ、下手に関わるのは避けたかった。
こればっかりは、ぼくの欠点の多さばかりは、覚悟や感情で代わるものじゃない。
目の前にある、救いたい命を守れたら、ぼくはそれだけでも――僥倖である。
なんて。
或いは戯言かもしれないけど
「しかし電話をしないとしても、なにやらこの携帯、もう少し機能があるっぽいですが」
「そうなんだ。しかし残念。ぼくは戯言ならともあれ、機械には疎いんだ」
そもそもぼくはハイスペックな携帯電話の扱い方と言うものをいまいちよくわかっていない。
ぼくが持っていたのは電話機能オンリーの、誠に使いやすい前時代の携帯電話である。
その辺りの機能はなくとも今まで通じたし、いざとなったら玖渚便りで済ませていたからなあ。
電話さえかけれればいいかなって。そんなこれまでの怠慢のツケがこんなところで回ってきた。
ER3で何をやっていたかは、四月以降記憶の底に眠っている。ヒューストンの名の通り、ぼくの記憶はストンと抜け落ちている。至極残念。
まあ、とはいえ仮にも鹿鳴館大学でカリキュラムをとってはいたので、できなくはないのかもしれないけれど。
「ま、こんなところで足踏みするより今は先に進んでおこう。車の中で真宵ちゃんが一通り調べてみればいいさ」
「そうですか。では、異論もないですし行きましょうか」
「うん」
真宵ちゃんは一歩踏み出した。
だからぼくも一歩踏み出す。
ただそれだけ。今回の繋話ではそれ以上の描写はしない。
蛇足や脇道は嫌いじゃないが、燻り続けるのを滔々と連ねるのも悪いだろう。
そういうわけで。
機械音痴かもしれない真宵ちゃんに、愛の鞭を叩きつけたぼくはそこそこに真宵ちゃんの対応に期待しつつ、帰路を辿る。
真宵ちゃんも、ああは言ったものの「歩きながらの携帯いじりは厳禁です」と、携帯をスカートのポケットに仕舞いこんだ。
昨今の若者も見習うべきお手本のようなマナー講座を語らいだす。昨今の若者に、きっとぼくも入るのだろう。
お天道様は空高くに姿を現し、砂漠に容赦なく熱線を浴びさせる。
その様子を観望し、ぼくたちは多少げんなりしながら船内を出た。
死にそうになった。
くたばりそうになった。
この世のすべてに絶望した。
一度おいしい目を味わうと、どうにも暑さ耐性などと言うものは一瞬にして溶解したようである。
これが反動(リバウンド)。
これが衝動(インパクト)。
ぼくたちのあまりのだらしなさにつまびらかに語ることはあえてしなかったが、この豪華客船。
空調設備は万全であった。
そのこと自体はポロリと先ほども言ったが、それはもう、筆舌に尽くしがたいほどのありがたさだった。
砂漠のオアシスってあったんだな。と悟りを開いたのも恐らくその時が初めてだろう。
だからこそ、ぼくは室内プールなんぞに感激を得てたのかもしれない。
空調設備などどう足掻いても手に入れることなどできなかった骨董アパートに在住したぼくだが、流石に砂漠の暑さは身体に悪い。
我慢できるかできないか問われたら、耐えることは容易だし、あるいはこの程度の灼熱なら喜ぶぼくもいたかもしれなかった。
しかし問題はそこだけではなかった。
さらなる、いや、真の問題はその先に待ち構えていた。
鉄の馬が嘶きをあげて足踏みするように待ち構えている。
車。
赤。
フィアット500。
ぼく達が置き去りにしたぼくたちの足代わり。
車体に触れた。
熱かった。
火傷したかと思った。
怒り心頭に発している。
後ろからぼくの様子を見ていた真宵ちゃんが、深く息を飲んだ。
言わずとも、ぼくたちは今共通理解を得てる。
ぼくたちはそれほどまでに仲良く、互いが立たされた現実を思い知った。
ぼくは思いきって、ドアを開ける。
それだけで参りそうになった。倒れそうになった。
車内から襲いかかる熱と言う毒。
立眩みと言う実に分かり易い症例。極度の蒸れにぼくは蜃気楼さえ夢に見た。
焼売(シュウマイ)になる。
小籠包(ショウロンポウ)になる。
全身中華になった。アルだとかは使わないけれど。
……。
……んー。
とはいえなあ。このまま立ち止まったところでしょうがないしなあ。
「真宵ちゃん。行こうか」
「……」
返事がない。ただのしかばねのようだ。
屍ならば何をしても文句は言われないだろう。
ぼくは黙したまま、真宵ちゃんの手をとり、強引に助手席に座らせた。
変な呻き声を上げて最後、白目を剥いて昇天を味わっている。
椅子もそこそこの熱を吸収しているだろうに。電気椅子と言う拷問道具は有名だが、こちらの方がよほど生殺し。
場合によっては苦痛は大きいのかもしれない。
なんてことを思いながら、ぼくも運転席に座り、背面焼けるような思いを抱きながら、キーを挿し、アクセルを踏み込んで車を走らせた。
4
次回予告というか、今回のオチ。
人が本当に生き返るならば。
時空を言う絶対認識を歪曲させること能力を用いることが可能ならば。
表面的に、偽善的に全ての人間を生き返らせ、この殺し合いを『なかったこと』にすることもでき得るだろう。
ドラゴンボール理論。
週一で超(スーパー)サイヤ人にトランスするらしい哀川さんはどう思うのか。
奇を衒うのが大嫌いで、王道街道をまっしぐらに邁進す哀川さんが、その理論にどう野次を飛ばすのかは興味がわく。
大方、心の底から常識人を体現する人間であれば倫理的に毛嫌いするかもしれないが、上っ面だけならば、褒められた行為だろう。
なにせ人が生き返る。
もう一度声を聞けるのだ。
特に、さながら魔人ブウが全人類をチョコレートだかアメやらお菓子されて食べられたような、
そんな理不尽な死に方をしているここにいるほとんどの諸君を、偽善だろうが生き返らすのは悪くはないはずである。
龍球頼りな超絶理論にして超越理論。
ぼくは狐面の男に誓った。
ぼくは自分に言い聞かせるように、何度も何度も、言葉にした。
――ぼくは《主人公》を目指す。
これまではたくさん殺してきたけれど、これからは生かす道を往く。
本を糺せば、そんな宣言をしなければいけないほどに、ぼくは人を《殺》してきた。
裏を返せば、ぼくはそれほどまでに《死》を知らなかった。
贖罪も徒労に終わるぐらい。
断罪も途方に暮れるぐらい。
きっと恐らく、この場に居る誰よりも浅ましく、罪深い人間はぼくであろう。
今現在、十二時間ほど経過した今、十七人の人間が死んでいった。
正直さほど多いとは感じない。
常軌を逸しているとは思うけれど、それまでだ。
今までぼくが築いてきた墓標を前にしたら、霞むぐらいほどの瑣末な量。
不幸自慢にすらなれない、ただの恥。過失。欠点。負け様。
そして同時に、事実である。
《正義の味方》だとか、《主人公》だとか。
散々名乗りをあげたぼくだが、欠けた人間である。
間違いと埒外の欠算を繰り返すぼくにとって、《全員を生き返らせる》ことに対する倫理的罪悪感は、ないのかもしれない。
そう。
ぼくはもう、誰も失いたくない。
大切な人を、大好きだった人を失う辛さをぼくは知っている。
だからこそ、誰も失いたくない。
ならば一回全員殺してでも、真宵ちゃんも玖渚も哀川さんも孫ことも全て壊して殺して。
――『なかったことに』。
本よりぼくは、《生》かすことよりも《活》かすことよりも、《殺》すことの方が特異だ。
情欲で人を殺す人間なんか興味わかないけれど、生憎とて自分自身には初めから興味なんてない。
《正義の味方》は《正義そのもの》ではない。味方をしているだけ。
――みんなをお家に帰す《主人公》。いいじゃないか。
「なんて戯言。頭が八重咲きだ」
暑さで頭がやられたのかもしれない。暑さで咲く花なんていうのは、小波と同じでぼくのシンパシーを誘いそうだ。
考えたところで、主催がどのような能力を有しているのかさえ判別できていない。
よもや主催陣が本当にぼく達の願いをかなえさせてくれるとは断言できない。それは鳳凰さんに、戯言なりにも言ったことだ。
自棄になり人を殺し、躍起になり人を殺し、百鬼になり人を殺し、最終的に優勝の名誉を頂戴したところで首輪がバーン。
今だって事実そうなるかもしれないと思うぼくがいる。
否定しない。否定できない。
確かに子荻ちゃんは現在を《生》きている。
策を弄することと胸が大きい以外には、お世辞にもそこまで特筆する様な長所のなかった彼女がわけなく《物語》に復活した。
それは主催陣が願いをかなえようとしていることかと言うと、同義ではないだろう。
命をインスパイアしたところで、それはそれ。他は他に違いない。
だけど。
あくまで身分不相応な希望を抱くのなら。
仮に《殺》すことと《死》なせることが同義でないのならば、ぼくは――。
「変わろうと思う気持ちは自殺――なのかな」
過去のぼくが断言した台詞を、疑問に直す。
真宵ちゃんは暑さに悶え苦しみ、ぼくの台詞なんぞ聞いちゃいなかった。
「変えようと思う気持ちは他殺――なのかな」
言葉にして、沈黙した。
答えなんてない。あったところでぼくは知りえない。
ぼくは一旦全てを忘れ、酷暑よりも哭暑をその身を浴びつつ、前を見る。
砂漠は相変わらず地平線を描いており、しばらくはその様を変えることはないだろう。
「まだまだ先は長いかな」
でも。
その内、そう遠くない内に、景色が変わるような気がした。
【一日目/真昼/G-2 豪華客船】
【戯言遣い@戯言シリーズ】
[状態]健康
[装備]箱庭学園制服(日之影空洞用)@めだかボックス(現地調達)、巻菱指弾×3@刀語、ジェリコ941@戯言シリーズ
[道具]支給品一式×2(うち一つの地図にはメモがされている、水少し消費)、ウォーターボトル@めだかボックス、お菓子多数、缶詰数個、
赤墨で何か書かれた札@物語シリーズ、ミスドの箱(中にドーナツ2個入り)
[思考]
基本:「主人公」として行動したい。
1:真宵ちゃんと行動
2:玖渚、できたらツナギちゃんとも合流
3:診療所を探索して、ネットカフェを経由し、向かう
4:不知火理事長と接触する為に情報を集める。
5:展望台付近には出来るだけ近付かない。
[備考]
※ネコソギラジカルで
西東天と決着をつけた後からの参戦です。
※第一回放送を聞いていません。ですが内容は聞きました。
※夢は徐々に忘れてゆきます(ほぼ忘れかかっている)
※地図のメモの内容は、安心院なじみに関しての情報です。
※携帯電話から
掲示板にアクセスできることには、まだ気が付いていません。
※携帯電話のアドレス帳には
零崎人識のものが登録されています。
※参加者が異なる時期から連れてこられたことに気付きました。
【
八九寺真宵@物語シリーズ】
[状態]健康?、精神疲労(小)
[装備]携帯電話@現実、人吉瞳の剪定バサミ@めだかボックス
[道具]支給品一式(水少し消費)、 柔球×2@刀語
[思考]
基本:生きて帰る
1:戯言さんと行動
[備考]
※傾物語終了後からの参戦です。
※真庭鳳凰の存在とツナギの全身に口が出来るには夢だったと言う事にしています。
※日之影空洞を覚えていられるか、次いで何時まで覚えていられるかは後続の書き手様方にお任せします
[豪華客船]
※操縦室の場所…不明
※船内に、錠のかけられた扉がある。詳細不明
※室内プールのほかにも、娯楽施設が内在しているかもしれない
最終更新:2013年03月24日 12:19