かいきバード ◆wUZst.K6uE



 まったく、いったい何度俺を走らせれば気が済むのか。
 全国を放浪している身であるとはいえ、移動手段のほとんどが飛行機かタクシー、あるいは電車というこの俺が一日の間にこれほどの距離を自分の足で移動するというのは、実のところ生まれて初めての経験だった。
 いや、生まれて初めてというのは嘘だが。
 どっちにしても、長距離をわざわざ徒歩で移動するというのはどうにも性に合わない。そんなことを言うと俺がまるで虚弱体質のように聞こえるが、俺の場合は正確に言うと「金を使わず移動する」ことが性に合わないのだと思う。
 別に浪費癖があるわけではないが、金は貯めるものでなく使うものだという思想を貫いている俺にとって、金を払えば済むところをそれを惜しんで払わずに済ますというのは金を浪費する以上に無駄な行為であるように思えてしまう。
 節約しようとする意識自体を否定する気はないが、使うべき金を使わなかった結果として代わりに何を消費したのかお前は理解しているのかと、倹約家気取りの連中を見るたび俺は問い質したくなる。
 金は万能だが、至上のものではない。それを理解しない連中が多すぎる。
 まあ実際には俺はそんなこと全く思っていないのかもしれないし、徒歩で移動するのに抵抗があるのは単に疲れるからという理由かもしれないし、自分の足で移動するのも実はそれほど嫌いじゃないのかもしれない。
 そもそもここで金の話をするのが間違っている。いちおう江迎のやつと最初に出会ったときに預かっておいた所持金が今の俺の懐にはあるが、ここから脱出した後でもない限り使う機会はまずないだろう。
 つまりはただ言ってみただけだ。
 俺の言うことを真面目に聞くのは、それこそ時間の浪費でしかない。俺が一人称を務めるパートを読む際には、それを十分に心に留めておくことを強くお勧めする。

 「やれやれ……とでも言うべきところなのか、ここは」

 ランドセルランドを去ってからどれくらい経っただろうか。
 哀川潤西条玉藻の二人組からまんまと逃げおおせた俺こと貝木泥舟は、ようやくちゃんとした道路がある場所へとたどり着く。
 地図の性質上、名前の付いている場所以外で道路から外れたところを移動していると、自分がどこを歩いているのかわからなくなって不安になる。コンパスを見ながら歩けばいいのだろうが、どうにも面倒だ。
 後ろを振り返ってあの散切り頭の少女が追ってきていないのを確認し、俺はようやく一息つく。近くの壁に背をもたれ、ペットボトルの水を一口飲む。
 一難去ってまた一難とは言うが、こうも立て続けに厄介そうな相手と遭遇していては心休まる暇もない。
 何事に対しても万難を排してから臨む主義の俺だが、今の調子では万難を排したところですぐに次の万難が怒涛のごとく押し寄せてきそうな気さえする。
 万難排してまた万難。嫌がらせのような言葉だ。
 まあ詐欺師という職を営んでいる以上、心休まる暇などあってないようなものだが。
 犯罪者には常に心の不安が付きまとう。俺も詐欺師として生きる道を選択した時点で一生を不安とともに生きる覚悟はしているし、いつでも死ぬ覚悟はできている。善良な市民を食い物にするような生き方をするからには、そのくらいの覚悟は当然のことだ。
 まあそれも嘘だが。

 「さて、次はどこへ向かおうか」

 俺は地図を開く。ランドセルランドから北東にまっすぐ進んできたはずだから、現在地はE-7とF-7の境界付近あたりだろう。道なりに進めば、南東なら図書館、西方向ならまたネットカフェに戻ることになる。
 ネットカフェに戻る意味は今のところないから図書館に向かうのが順当だろうが、俺の目はもうひとつの場所、図書館とは正反対の方向に位置する施設を捉えていた。
 斜道卿壱郎研究施設。
 ネットカフェでパソコン越しに会話を交わした、あの玖渚友とかいう奴がいると言っていた場所だ。
 すでにそこは禁止エリアに指定されている。とうに下山(「登山」の可能性もなくはないが)は終えているだろうが、問題は竹取山をどっち方向へと抜けていったかだ。
 もし玖渚が俺のいる方向へ下山していたとしたら、位置的に見てまだこの周辺をうろついている可能性は、高くはないがありえなくはない。
 一度は無視しておくことに決めたが、もしこちらから玖渚友を探すとしたら今が好機ではないか?
 しかし会ってどうする? わざわざ会いに行くメリットがあるか?
 いや、一応メリットはある。パソコン越しに会話したとき、あいつはすでに普通では手に入らないような情報まで数多く収集している様子だった。あれからおよそ6時間、新たな情報を入手している可能性はかなり高い。
 情報を得るために会うだけでも有益と言える相手ではある。
 話を聞くだけなら掲示板の連絡フォームを使えばいいのだろうが、重要な情報を聞き出すのが目的である以上、相手の用意したフィールドでの会話は望ましくない。できればこちらから不意打ちで会いに行くというのが理想だ。
 俺から渡せる情報はほとんどないが、そこは俺、相手が喜びそうな情報くらい即興ででっちあげる自信はある。
 バレた時が怖いが、その時はまあその時だ。
 問題は、俺が玖渚友の人となりについてほとんど把握できていないということだ。相手を騙すには、相手について最低限の知識は得ておく必要がある。
 俺が言うのも何だが、玖渚という奴はかなりの食わせ者だ。向こうが設えた場での会話だったとはいえ、俺が騙しきれなかった相手なのだから。
 最終的に名乗っていた「玖渚友」という名前が本名だったのかどうかもまた、未だに明確であるとは言えない。さすがにそこまで疑っていたらキリがないだろうが。
 今更だが、ここの参加者には俺との相性が悪い奴が多すぎる。
 球磨川禊にしても、さっき出会った哀川潤にしても、俺が持つ詐欺師としてのテクがまるで役に立たない。どころか会話を交わす前から本能で「こいつは駄目だ」と直感できるような相手ばかりだというのだから空恐ろしい。
 西条玉藻に至っては会話すらろくに成り立たないという始末。マンション付近で追いかけられた時と比べるとある程度まともな様子ではあったが(哀川潤がそばにいたせいだろうか?)、それでも逃げたのは正解だったと思う。
 最初のときはナイフが役に立ったが、今度はメイド服が逃走の役に立ったというのだから、いやはや、人生何がどう役立つかわかったものではない。
 メイド服に救われる経験など、人生で一度あれば十分だろうが。
 唯一俺の手駒として機能していた参加者といえば江迎怒江だが、あれはあれで相性がいいとは言えない。
 球磨川や哀川潤が「騙しにくい」なら、江迎の奴は「一方的に信じてくる」だ。こっちが騙すより先に勝手に信じてくるというのだから、球磨川たちとは真逆の意味で騙すことが難しい。
 それどころか、たとえこちらから「信じるな」と言ってみたところでおそらく毫ほども意に介さない性格をしているというのだから、基本的に制御のしようがない。
 つまりどちらにせよ扱いにくいことに変わりはない。俺のために働いてくれるぶん、江迎のほうがどちらかといえば重宝するだろうが。
 ここには狂人しかいないのかと言いたくなる。
 そんなことを言うと、まるで俺自身がまともな人間であると言っているように聞こえてしまうかもしれないが、そのとおり、俺は自分のことをまともな人間だと思っている。
 詐欺師が何を言うか、などと言う輩がいたとしたら、それは詐欺師に対する誤解だと俺は言い返す。仮に詐欺師が狂人ばかりだったとしたら、そもそも詐欺という犯罪自体成り立っているはずがない。
 まともな思考ができるからこそ人を騙せる。まともな人間にこそ人は騙される。
 つまりはそういうことだ。
 ゆえに俺は、正常な人間らしくこのバトルロワイアルに臨む。狂人に混じって殺し合いを演じる気は始めからない。まともに人を騙し、まともにここから逃げる策略を練る。

 「そう、『騙す』――俺がやるべきことは、それに尽きるはずだ」

 壁から背を離し、道路に沿って歩き始める。
 足は自然と図書館のほうへ向いていた。今の時点で玖渚友と直接対峙するのは、やはりまだ準備が浅い気がする。
 今まではほとんど逃げに徹してきたが、それもいよいよ限界だ。禁止エリアの数が増え、参加者の数が減るごとに状況は煮詰まってくる。殺し合いに乗る人間もここから更に増えるかもしれない。
 そろそろ本格的に、ここから脱出するための策略を練らなければならない。
 すなわち、主催者側と接触を図るための策略。
 より直截的に言うなら、主催を騙すための策略。
 正味な話、俺が自力で生き残るにはそれしかないと思っている。出会う奴出会う奴すべてを騙し続けていったところで、結局のところその場しのぎにしかならない。
 それにさっきも言ったが、ここには俺にとって鬼門となる奴が多すぎる。一切の謙遜を抜きにして、俺が今生き残っていること自体が奇跡以外の何物でもない。
 逃げ場のないこのフィールドの中にいては、遅かれ早かれ行き詰まることは確定している。ならば必然、外側に活路を求める以外にない。
 主催者側に属する人間が何人いるのかはわからない。ただ、そのうち一人でも接触することができたとしたら、その時こそ俺の詐欺師としての本領発揮だ。
 口八丁手八丁、なりふり構わず手段を選ばず、どんな手を使ってでも主催側に取り入ってみせる。
 この殺し合いを止めさせるだとか、別にそこまでやる必要はない。俺に付いているこの首輪、これの外し方さえ聞き出せたらそれでいい。
 この首輪さえ外すことができれば長居は無用だ。どうにか脱出の算段をつけてさっさとおさらばさせてもらう。
 他の参加者たちを置いて俺だけ逃げるというのは良心が痛むが、さすがに全員まとめて救い出すほどの余裕はあるまい。仮にできたとしても、抱えるリスクがでかすぎる。
 まあ当然、良心が痛むというのは嘘だが。そもそも俺に良心など残っていたか?
 俺は阿良々木暦やその妹のような正義の味方ごっこをするつもりは毛頭ない。俺が誰かを助けるとしたら、それに見合った対価を支払ってもらった時だけだ。支払ったとしても助けるとは限らないが。
 しかし実際のところ、主催者の影すらつかめていない現状においてはそいつらを騙して取り入ろうなどという戦略も机上の空論でしかないわけだが。
 どの道、協力者を得ないことにはどうにもならない。
 主催者にアプローチをかけるための協力者となると、また数が限られてきそうではあるが…………

 「……そういや、掲示板はどうなっているんだろうな」

 ポケットからスマートフォンを取り出し、掲示板のページを再び開いてみる。
 参加者の数ももう20人そこそこまで減ってきているというのに、意外に利用している奴が多いものだ。携帯電話を持っている奴が俺以外にも割といるのかもしれない。
 ……まさかすべて玖渚の自演とかいうオチではないよな?
 若干の不安を抱きながら、新しい書き込みがないかチェックしようとする。

 「――おっと」

 そのとき急に足の力が抜け、前のめりに倒れこんでしまう。スマートフォンが壊れないよう庇った形になったせいで、スーツの袖が泥まみれになってしまった。くそ、ここから脱出する前にクリーニング代を請求してやろうか。
 疲労がたまったせいで足がもつれたのだろうか、などと思いながら立ち上がろうとするが、どういうわけか両足ともにうまく力が入らない。それどころか腿のあたりにじわじわとした痛みを感じる。
 まさか肉離れでも起こしたか? だとしたら厄介だな――と右足にそっと触れる。途端、ぬるりとしたものが指先を濡らすのを感じ、反射的にそちらを見る。
 血だった。
 両の太腿と、そこに触れた指先がじっとりと血で湿っている。
 実は道路に血まみれの死体が倒れていて、それに躓いた際に血が付いてしまったのだった――などということはもちろんなく、正真正銘俺自身の血だった。
 その証拠に俺の脚には、直径3ミリほどの小さな穴が空いていた。左右それぞれに一箇所ずつ、後ろから前へ、何かが突き抜けていったかのように。
 ……銃創?

 「見たところさほど手練というわけでもなさそうだが、一度痛い目を見ているのでな――念のため下手な動きができないようにさせてもらった」

 声のするほうを振り返ると、そこには奇矯な衣服をまとった男が立っていた。
 どことなく怪鳥を思わせる風貌と、全身に巻かれた鎖。両手には一丁ずつ拳銃が握られている。
 それぞれの銃口から立ち上る硝煙が、まさに今発砲されたばかりだという事実を示していた。どこへと向けて発砲されたのかは考えるまでもないだろう。

 「貝木泥舟だな。おぬしに恨みはないが、死んでもらう」

 恐ろしく冷たい目をしたその男は、恐ろしく冷たい声でそう言った。

 「…………」

 やれやれ、どうやら早くも次の一難が大手を振ってご登場のようだ。
 しかも今度の一難は、そう簡単に去ってはくれそうにない。

   ◆  ◆  ◆



 「足を潰されても取り乱す気配を見せぬというのはなかなかに意外だな。貝木泥舟。どうやら我が思うほど、凡庸な人間というわけでもないらしい」

 片方の拳銃をこちらに向けたまま、男は探るような目で俺を見てくる。
 俺は地面に突っ伏したまま、その視線を受け止める。最初に「死んでもらう」と豪語されているだけに今すぐ頭を撃ち抜かれてもおかしくない状態ではあるが、先んじて足を潰した余裕か、会話を交わす気はとりあえずあるらしい。
 こういう余裕は正直ありがたい。
 俺に取り乱す気配がないとこいつは言ったが、そんなもの混乱が表に出ないよう無理矢理取り繕っているだけに決まっている。心中では、あまりに唐突過ぎる展開と焼けつくような両足の痛みで脳がオーバーフローを起こしかねない勢いだった。
 まず、こいつはいったい誰だ?
 参加者の一人であることは当然として、なぜ俺の名前を知っている?
 いや――名前が知られていることに特段の不思議はないのかもしれない。俺のことを他の誰かに聞いた可能性は十分にあるし(又聞きでなければ江迎か球磨川、あるいは戦場ヶ原あたりか)、ランドセルランドで俺がやったように、名簿の名前から類推した可能性もある。
 いきなり初対面である俺を殺そうとしている理由もあえて考える必要はあるまい。「恨みはないが」と前置きしているところからしても、おおかた腕に自身ありで馬鹿正直に殺し合いに乗っている者のうちの一人だろう。
 あえて他の可能性を考えるとしたら、こいつは他の参加者の誰かから――例えば戦場ヶ原ひたぎあたりから俺のことを抹殺するよう依頼を受けていて、今まで俺のことを探し回っていた――という可能性はどうだろう。
 考えられなくはないが、さすがにそこまで愉快な展開を期待するのは贅沢がすぎるというものだろう。そもそもあの女は、殺意を抱くほど憎い相手なら自分の手で殺さないと気が済まなさそうなタイプだからな。
 …………ん?
 冷静に考えてみるとこの状況、不可解な点などひとつもないんじゃないか?
 たまたま行きがかった殺人者が、たまたまここにいた俺を射殺しようとしている状況。
 文章にしてみれば一行でこと足りる。
 なんだ、ならややこしくあれこれ考える必要などない。やはり足を撃たれたショックで混乱していたようだ。
 実のところ、こいつが何者なのかも服装を見た時点で予想できているしな。

 「……初対面の相手にいきなり銃弾とは、随分なご挨拶じゃないか」

 最大限平静を装いながら俺は言う。足の痛みで額には脂汗が浮かんでいることだろうし、地面に這いつくばった姿勢のままなので、どう取り繕ったところで無様にしか見えないだろうが。

 「いくら殺し合いの場とはいっても、礼儀や作法をおろそかにするのは感心しないぞ。まして俺のように人畜無害な、見てのとおり丸腰の人間に不意討ちでしかも銃とは、外道以下のやり方だな。
 何があったのかは知らんが、ここに来るまでによっぽど怖い目に会ったと見える。お前は素人相手にすら警戒心を抱きながらでないと向き合えない、ただの臆病者だな」

 心にもないことを俺はまくしたてる。精一杯挑発してやったつもりだったが、相手は眉ひとつ動かさず、瞬きひとつすることなく、虫けらでも見るように俺を見下すだけだった。それどころか、

 「ふむ――おぬしもこの刀が『銃』であることを知っているのか。あのときの青年が炎刀の名を口にしたときも少々驚いたが……どうやら我の認識以上に、変体刀に関する知識を持っている人間がこの場には存在しているらしい」

 などと意味不明なことを口走る。
 炎刀? 変体刀? 刀が銃ってどういうことだ。

 「それと貝木泥舟よ、我のやり方に対して外道などと難癖をつけるのは全くの見当違いだ。我らしのびは卑怯卑劣こそが売り。礼儀作法というのであれば手段を一切選ばないことこそが礼儀であり、不意討ち闇討ち騙し討ちこそが作法。それに異を唱えるなど笑止千万」

 俺の適当な挑発に対して真面目に受け答えてくれるのはありがたいが、残念ながら全く興味はなかった。ネットの掲示板にでも書き込んでいてくれ。
 しかしこの男、自分のことをしのびと言ったか? 妙な風体をしているとは思ったが、言われてみれば一風変わったしのび装束に見えないこともない。
 どうやら最近の忍者は平気で拳銃を使うらしい。ドーナツを食う吸血鬼よりはリアリティのある話かもしれないが、まったく末恐ろしい世の中だ。

 「さて、死ぬ前にいくつか質問に答えてもらうぞ、貝木泥舟」
 「……さっきから俺のことを貝木と呼んでいるが、残念ながら人違いだ。俺の名前は鈴木と――」

 言いかけたところで、男が一切躊躇する様子なく拳銃の引き金を引く。弾丸は俺の脇腹あたりに命中し、両足の痛みが消し飛ぶほどの痛みを与える。

 「ぐ…………うっ!」

 うめきながら俺は、腹を抱えて上半身だけうずくまるような格好になる。急所は外しているようだが、おそらくわざとだろう。
 さすがは忍者、生かさず殺さずのテクニックにも長けているようだ。

 「我に虚言は通用しないものと思え。これ以上無駄ごとを口にするなら、次は素手で肉を抉り取るぞ」

 そう言ってしのびの男は地面から石をひとつ拾い上げると、それを右手の力だけで粉々に握り潰して見せた。
 ……なるほど、見た目からは想像もつかないが、どうやらとんでもない怪力の持ち主のようだ。俺の身体など、片手だけで易々と解体してしまえるに違いない。

 「ふむ……付け替えた当初と比べてだいぶなじんできたようだな。あのままでは炎刀を握ることすらままならぬ有様であったし、力の加減が利くようになったのはありがたい」

 また何かひとりごとを言っているようだが、こっちは痛みでそれどころじゃない。そのまま一人で喋っていてくれればいいのに。

 「我がおぬしの名を知っている理由を説明してやる気はない。おぬしがそれを知ったところで、我にとってもおぬしにとっても何の意味もないのだからな」

 そりゃそうだ。俺もそんなことを説明してほしいとは思っていない。
 しかしここで黙ってしまったら、こちらから口を挟む余地がいよいよなくなる。そうなればもう俺が助かる可能性はゼロだ。助からないにしても、このまま唯々諾々とこいつの言いなりになって死ぬというのは面白くない。
 ここは小悪党らしく、あがけるだけあがいてみようじゃないか。
 痛みをこらえながら、俺はなんとか口を開く。

 「そうだな、俺がお前の名前を知っていることに何の意味もないようにな、真庭鳳凰」

 ここでようやくしのびの男――真庭鳳凰の表情に、微細だが虚を突かれたような気配が見てとれた。よし、どうやら正解のようだ。間違えていたら最悪だったが。

 「…………どこで我の名を知った」

 自分では意味がないと言っておきながらそんなことを訊いてくる鳳凰。一方的に名前を知っていることで優位に立ったつもりでいたか、馬鹿め。

 「いや、少し前にお前の仲間にたまたま会ってな。そのときにお前のことも聞いた」

 言うまでもないが嘘だ。会ったことは会ったが、どっちもすでに死体だったからな。
 しかしその死体を見たことでこいつの正体を看過するに至ったのだから、全くの嘘とは言えないのかもしれない。
 ネットカフェとランドセルランドで見た「真庭」と同じく、残りの二人もあんな珍妙な格好をしているかどうかは正直微妙なところだと思っていたが、どうやらこいつらは全員が全員、こんな見た目から名前が推測可能であるような装束を身に着けているらしい。
 こいつら本当に忍者なんだろうな? いまひとつ説得力に欠ける。
 相手の顔色を窺いながら、俺はさらに嘘を重ねる。

 「名前は確か狂犬と喰鮫と言ったかな。殺し合いに関してかなり乗り気でいるようだったから、俺が相手をしてやった。ちなみに言うが、挑んできたのは向こうのほうからだぜ。俺は仕方なく応じただけだ」
 「ほう、それでその二人はどうした」
 「殺した。俺が両方ともな」

 ここでこいつが激昂して取り乱すような仲間思いの間抜けであったなら、俺が助かる可能性も0.01%くらいはあったかもしれない。しかし鳳凰は、俺の言葉に何ら動揺の気配を見せることなく、

 「嘘だな」

 と冷たく言い放った。

 「真庭のしのびを甘く見るな。多少度胸は据わっているようだが、おぬしがそこまで腕の立つ人間とは思えん。あの二人はもとより、真庭の里の誰を連れてきたところでおぬしごときが敵うはずがない」
 「は、偏見だな。人は見かけによらないものだぞ。こう見えて案外、武術の心得はある」

 余裕ぶって笑ってみせたが、確実に相手の言うほうが正しいだろう。
 実際の忍者がどんなものなのかなど知る由もないが、俺に勝てる要素があったとしたら精々逃げ足くらいのものだろうし。

 「……とはいえ、俺の力だけで殺したわけじゃないのは事実だ。実を言うとその二人は、俺が会ったときにはすでに手負いの状態だったんだよ。他の参加者と戦闘した後だったのだろうな。
 そいつらから聞いた話だと、喰鮫のほうは黒神めだか、狂犬のほうは――江迎怒江とかいう奴とやりあった後だと言っていたな。おかげで俺でも楽に殺すことができたぜ。俺が言うのもなんだが、まあお気の毒さまだな」
 「…………」
 「その証拠に――と言えるほどのものじゃないが、俺の荷物を見てみるといい。お前の仲間から奪い取ったぶん、通常より支給品の数が多いのがわかるはずだ」

 そう言って、俺のすぐ傍に落ちている自分のデイパックを顎でしゃくってみせる。
 こいつの仲間を殺した証拠にはならないにしても、「戦利品」の多さを示してやることで俺の実力について誤解を与えてやることくらいはできるかもしれない。
 誤解は多ければ多いほどいい。

 「…………」

 鳳凰はしばらく疑わしそうな目でこちらを見ていたが、やがて「ふむ」とうなずき、

 「そうだな……おぬしの言うことはどうにもあてにならんようだから、先に『視て』おくとするか」

 などと言い、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
 そのままデイパックを拾うかと思ったそのとき、鳳凰は俺の脇腹あたり、つまり先ほど銃弾を撃ち込んだ部分を、右のかかとで思いきり踏みつけてきた。

 「ぐはぁ…………っ!!」

 せっかく麻痺しかけていた痛みが体内で爆発する。いや、本当に腹の中身が爆発したかと思った。内臓がすべて消し飛んだと言われても今なら信じてしまうかもしれない。
 傷口からさらに血が溢れ出る。頭の中では絶叫しながらのたうち回っているつもりなのだが、実際には完全に息が詰まり、指一本すらも動かせなかった。
 気を失わなかったのは見事だと言う外ない。俺でなく、こいつの技術がだ。

 「重ねて言うが、妙な動きはするな」

 念を押すように言って、鳳凰は左手の拳銃を懐にしまい、今度こそデイパックを拾い上げる。そして動けない俺をそれでも警戒するように、そのまま数歩ほど後ろに下がった。
 すぐに中身を改めるかと思いきやそうはせず、なぜか左手でデイパックをつかんだまま静かに瞑目する。何かを念じているようにも見えるが、いったい何をしている?
 隙だらけに見えるが、俺への警戒は解いていないのだろう。
 未だ呼吸すらできない俺は、それをただ見ていることしかできない。

 「――ほう、鑢七実と会ったか。あの化物と二度も顔を合わせて二度とも逃げおおせるとは大した健脚だな……七実の隣にいる刺青顔の少年は何者だ? まさかあの女に協力者がいるとでもいうのか? 随分な命知らずだな」

 今度は俺のほうが虚を突かれる番だった。
 さっき俺がやったような、断片的な情報から事実を推察するようなテクニックとは違う、事実そのものを知っていないとわからないはずの情報をこいつは今、口にした。

 「なるほど、狂犬と喰鮫の所有物を得たというのは真実のようだ。しかし殺したというのはやはり嘘か。死体の傍らに放置されていたのをいいことに拾っただけのことを、よくもまあ『奪い取った』などと。礼儀作法を学ぶべきは、どうやらおぬしの側のようだな」
 「…………」

 ぐうの音も出ないとはこのことだった。何だこれは? 俺の記憶でも読んでいるのか?
 いや、こいつがデイパックに触れたときから語り始めたことから察するに、俺の記憶というよりは「俺の所有物の記憶」を読み取るような能力をこいつは持っているのかもしれない。
 いわゆるサイコメトリーとかいうやつだ。
 この手の超能力や心霊術の類は、大半がトリックを用いているだけの偽者と相場が決まっているものだが(俺も似たようなものだが)、俺の目の前にいるこいつは、まさか本物だとでも言うのか?

 「……はっ、喰鮫や狂犬はおろか、まだ誰一人として殺してなどいないではないか。女子供にすら逃げの一辺倒とは大したものだ。武術の心得が聞いて呆れる」

 俺は死刑宣告を受けた気分だった。
 間接的にとはいえ俺のこれまでの行動をこれほど明確に読み取れるというのは、安易な嘘をついても逆効果にしかならないと宣告されたようなものだ。自分に虚言が通用しないというあれはハッタリでも何でもなく、ただの事実だったということか。
 俺の処世術である「騙し」は、この時点でほぼこいつに殺されたも同然だった。

 「嘘と騙しはしのびの常道。しかし下手な嘘ほど己の首を絞めるものはない。相手を騙しぬいてこそ嘘は嘘として価値を持つ。おぬしのやったことは、己の寿命を無意味に縮めたのと同じこと」

 俺は言い返せない。

 「つい数刻前にも、我を嘘で縛ろうと試みた男がいたな。だがそいつの辿った末路といえば、己の得物で勝手に自滅した上に我にかけた嘘も自ら無に返すという、救いようもないほどに無様な最期だった。
 あの男がもう少し格調の高い嘘吐きであったなら、死した後でもなお、我に呪縛を遺すくらいのことはできたであろうに」

 なるほど、最初にこいつが言っていた「痛い目」というのは多分そのことだろう。
 こいつが他の誰かに騙されたばかりだった、というのも俺にとっては不運だったかもしれない。そうでなければこいつは俺に対してここまで警戒していなかっただろうし、いきなり発砲されるということも多分なかっただろう。
 誰かは知らんが余計なことをしてくれたものだ。どうせ騙すなら最後まで責任を持って騙しきれ。

 「どうやらこのまま尋問を続けても、おぬしの口からまともな真実は聞けぬようだな」

 ひと通り記憶を読み終えたのか、鳳凰はデイパックを放り捨てる。

 「しかし――この状況においてもなお虚言を吐き続けることのできるその精神だけは評価に値するといえよう。このまま殺しても構わんが、興が乗った。おぬしが口を開ける間に、少々試させてもらうとしよう」

 俺に見せ付けるように鳳凰が右腕を構える。ただの人間の腕なのに、俺はそれに肉食獣の牙のような凶々しさを感じた。

 「おぬしがこれ以上、嘘を吐くことを諦めて偽りなく我の質問に答えるというなら、これ以上苦痛を与えず、一思いに殺してやってもよい。
 しかしあくまで嘘を吐き続けることを選ぶというのであれば、我はこの右腕でおぬしを死なぬ程度に喰らい続ける。おぬしの命が尽きるのが先か、はたまた精神が尽きるのが先か、ここで試してみようではないか」

 「…………」

 よくわからんが勝手に何か始めやがった。
 何が「興が乗った」だ。今までの会話のどこに興が乗る要素があったというのか。そんなものに乗せた覚えはないぞ。
 やはりこいつも狂人か。
 しかしまあ、「嘘をつき続ける精神」とは随分と高く買われたものだ。こんなもの評価どころか非難するにも値しない、ただの悪癖だというのに。
 俺は嘘を吐くことに何のこだわりもない。皮膚呼吸をするように嘘を吐く俺だが、もしここで命が助かるというならその皮膚呼吸すら止めることも厭わないつもりだ。
 この男が本物のしのびだというなら、拷問の作法にも精通していることだろう。俺のちっぽけな精神など、ものの数分で崩壊してしまうに違いない。
 俺にはもう、この男を騙すことはできない。悔しいがこいつの言うとおり、騙しきれない嘘に価値などない。そもそも俺は、嘘に価値があるとも思っていないが。
 だから俺が今ここですべきことは、素直に許しを請うことだろう。恥も矜持もすべて捨て去って、質問には正直に答えるから命だけは助けてくれと、あるいは一思いに殺してくれと懇願する。それが俺にできる唯一にして最善のことであるはずだった。
 億にひとつでも助かる可能性があるのなら、俺は迷わずそうすることを選ぶ。
 足を潰され、嘘を封じられ、もはや一般人以下に成りさがった俺にできることは、それくらいしか残されていない。
 少なくとも、この期に及んでなお意固地になって無意味な嘘を重ねるなど、考えうる限り最悪の手段だろう。寿命が少し延びる代わりに、地獄の苦痛を味わわされるだけだ。
 俺が仕事で使うもうひとつの得意技である「偽者の怪異」も、ここではまず役に立たない。
 指で突く隙を与えてくれないのは当然のこと、怪異でこいつに打ち勝つためにはこいつにとって有効な怪異を選んで使用する必要がある。今からそれを即興で用意しろというのは無理な話だ。
 阿良々木暦の妹を刺すのに使った囲い火蜂も、こいつには通用するまい。相手は畏れ多くも、神獣の名を名乗っているような奴だ。
 蜂が鳳凰に効くものか。

 「…………」

 出血で意識が朦朧としてくる。痛みはぼんやりとしか感じないのに、地面の冷たさだけはやたらはっきりと感じることができた。
 かすんだ視界の中、鳳凰が近づいてくるのが見える。一歩一歩、まるでスローモーションのようにゆっくりと。
 命乞いをするなら今のうちだ。ぼやぼやしていると、本当に口も開けない状態にされてしまうかもしれない。

 「……ああ、そういえば」

 繰り返すが、俺は嘘を吐くことに何のこだわりもない。矜持も、思想も、信念も、嘘に対して掲げられるものは何ひとつとして持ち合わせてはいない。
 しかし。
 それでも。
 だからこそ。
 俺はこいつの思惑通りになるのが嫌だった。撃たれたことも踏みつけられたこともどうでもいいし、これから殺されることも仕方がないと思っている。
 ただ、俺の嘘吐きとしての属性をこいつに完全破壊されるのが我慢ならなかった。
 「興が乗った」など、そんな思いつきの暇つぶし程度の理由で俺から嘘を奪おうとしているこいつの傲慢さが許せなかった。
 こいつにはせめて一矢報いてやらないと気が済まない。俺はそんな俺らしくもないことを思った。
 俺にも詐欺師としてのプライドというものが、もしかしたらあったのかもしれない。
 死が眼前にまで迫ってきているというのに、俺はそれが少しだけ愉快だった。

 「――鳳凰というと鳥の怪異として有名だが、元ネタである中国の伝承によると、キメラみたいに何種類かの動物の部位が繋ぎ合わさった姿をしているものらしいな……
 時代によって違ったりもするようだが、元々はたしか嘴が鶏で、顎は燕だったか? 他にも蛇やら亀やら混ざっていたような気がするが、よく覚えてねえな……」

 俺まであと三、四歩ほどの距離で、鳳凰の足がぴたりと止まる。

 「……何の話だ?」
 「いや、別にどうでもいい話さ……ただ、鳳凰ってのはたしかに神の鳥ではあるが、そう聞くと案外、普通のものの寄せ集めでしかないように思えてしまうものだな」

 あまりに脈絡のない俺の言葉に気がそれたのか、鳳凰の注意がほんの一瞬だけおろそかになる。
 その一瞬を俺は見逃さなかった。

 「だから鳳凰、お前に蜂は効かないだろうが――」

 かちり。
 脇腹を撃たれてからずっと身体の下で抱え込むようにしていた手で安全装置を外す。
 そして「それ」を握った右手を勢いよく腹の下から引き抜き、

 「――鶏よりも燕よりも強靭で獰猛な、鷲ならどうかという話だ」

 俺に残されていた唯一の武器、デザートイーグルを鳳凰めがけて発砲した。
 放たれた弾丸は、驚愕に目を見開く鳳凰の顔面、その眉間のど真ん中へと寸分狂わず命中し、そのまま頭部の上半分を木っ端微塵に吹き飛ばした。



   ◆  ◆  ◆



 というのはもちろん嘘で、俺の撃った弾丸は鳳凰にかすりもしなかった。油断はしていてもさすがは忍者、俺が拳銃を取り出した時にはすでに回避行動をとっていた。まあ避けなくとも当たらなかっただろうが。
 非力な者がデザートイーグルを撃つと反動で肩が外れるとか後ろへ吹き飛ばされるとか未だに言われることもあるようだが、実際には撃ち方さえ間違わなければ女子供でも撃つことはできるらしい。
 しかし今の俺の撃ち方は、うつ伏せのまま片手だけで、しかも無理に腕を伸ばした状態で発砲するという大口径拳銃の扱い方としてはおよそ最悪に近い形だったため、発砲の反動は覿面に俺の右腕へとダメージを与えていた。
 肩が外れたかどうかはわからないが、筋くらいは痛めたかもしれない。ついでに耳栓なしで撃ったせいで耳が痛い。
 俺が拳銃を持っていたことがよっぽど意外だったのか、鳳凰は反射的にといった感じで懐から拳銃を取り出し、俺に狙いを定める。
 引き金が引かれる前に俺はせめてもの抵抗にと、もう片方の手で握っていたスマートフォンに拳銃の台尻を思い切り叩き下ろし、粉々に破壊した。
 抵抗というにはあまりに子供じみているが、こいつに使われるくらいならこうしたほうがましだ。右腕に更なる激痛が走ったが、そんなことはもう気にならない。
 ついでにこのデザートイーグルを可能な限り遠くへ放り投げてやろうかと思ったが、さすがにそこまでの猶予を与えてはくれなかった。
 軽い発砲音とともに、鳳凰の拳銃が火を噴く。俺のときとは違って、弾丸は俺の方めがけてまっすぐに飛び、正確に頭部を撃ちぬいた。
 暗転していく意識の中で、俺は何かをやりきったかのような満足感に浸っていた。状況的に言えば悪あがきに失敗してとどめを刺されただけのことだろうが、鳳凰にとっては「思わず殺してしまった」形だろうから、俺としてはしてやったりな気分だった。
 負け惜しみにしか聞こえないだろうが、俺の銃撃がこいつに命中しなかったことも良かったと思っている。
 他人の生き死にに何かを感じるような心が残っている俺ではないが、自分の手で直接誰かを殺すのはなんとなく嫌だった。
 殺人者の肩書きを得るのが。
 詐欺師という汚名を、殺人者というくだらない汚名で上書きするのが嫌だった。
 俺は俺のまま、詐欺師のままで死にたかった。だからこのバトルロワイアルで一人も殺さないまま死ねたことに、俺は誇りすら感じていた。
 こんなつまらないことに誇りを感じる自分の小ささに正直嫌気がさしたが、どうせ死の間際だ。何に誇りを感じてもいいじゃないか。
 やるべきことをやったと言い切ることはできないが、今やりたいことはすべてやった。
 安らかに死ぬにはそれで十分だ。
 最後に走馬燈でも見ようかと思ったが、今までに騙してきた相手の恨み顔しか見える気がしないのでやめた。見ようと思って見れるものでもないだろうが。
 だから代わりに戦場ヶ原ひたぎのことを思い浮かべる。
 あの女が今も無事どうかはわからない。だが、俺はあいつが最後まで生き残れると信じている。俺がいなくても、きっと立派にやっていけるだろう――と、口に出したら歯が浮きそうな嘘を考えている自分がいることに安堵し、俺の意識は今度こそ闇へと落ちる。
 地獄の沙汰も金次第と言う。貯金のない俺だから、江迎のやつから金をいくらかせしめておいて本当によかったと、あの頭のおかしい女に俺は少しだけ感謝した。


【貝木泥舟@物語シリーズ 死亡】


  ◇     ◇


 後日談にもオチにもまだまだ早いが、もう少しだけ俺の一人称を続けさせてもらう。実は生きていたというオチではないから安心していい。
 もう死んだのだからあとはナレーションにでもまかせてさっさと逝けと罵声が飛んできそうだが、残念ながらこの回では俺の行動に関する描写はすべて俺の視点から語ると決めている。たとえ神にもその役割を譲ってやる気はない。
 なに、ほんの少し補足を入れるだけだ。
 すぐに済むから、しばしご清聴願いたい。
 鳳凰に脇腹を撃たれた後、俺がずっと両手で腹を抱えるようにしていたのは言うまでもなくデザートイーグルを取り出すタイミングを窺っていたからだが、実はもうひとつ理由がある。
 俺が最後に銃の台尻で粉々に破壊したスマートフォン、あれを身体の下で操作するためだった。
 俺が動けないがゆえの油断だったのか、それとも俺のことを不必要に警戒しすぎていたからなのか、鳳凰が俺に対して身体検査を一切しようとしなかったのは、俺にとって最大の幸運だったと言える。
 もしされていたら、悪あがきの手段さえ完全に奪われていただろうからな。
 で、スマートフォンを使って何をしていたかというと、玖渚が作ったあの掲示板に書き込みをしようとしていた。
 ある意味ダイイングメッセージのようなものだ。ネット掲示板にダイイングメッセージ、なんとも現代的でいい感じじゃないか。
 ただし身体の下で操作していたわけだから、当然画面もボタンも見えない完全ブラインドタッチだったので、ちゃんと文字が打てていたかどうかわからないし、そもそも書き込みができていたのかどうかも確認できていない。
 これで投稿できていなかったら間抜けすぎる。
 誤字だらけなのは仕方ないとして、最低でも投稿できていると信じたい。
 まあ、あんな書き込みをしたところであいつにとって致命的となるわけでもないし、内容が信用されるとも限らない。むしろ無駄になる確率のほうが高いだろう。
 だからこれもただの悪あがきだ。自己満足と言い換えてもいい。
 何の意味も持たなくとも一向に構わない。
 さてさて、死人があまりでしゃばるのも問題なので、言うことも言ったし今度こそ退場させてもらうとしよう。
 これ以後は正真正銘、金輪際俺の出番が来ることはない――なんて俺がこんなことを言うと、ひょっとしたら嘘になるかもしれないけどな。


2:目撃情報スレ
 4 名前:名無しさん 投稿日:1日目 夕方 ID:IJTLNUUEO
 E7で真庭法王という男におそわれた拳銃を持ている。危険
 鳥のよな福をきている、ものの乃記憶を読めるやしい
 黒髪めだかと組んん出いる可能性あり
 付近にいるのは注意されたしい

  ◇     ◇


 「…………不愉快だ」

 頭を撃ちぬかれた貝木泥舟の死体を見下ろしながら、鳳凰は憎々しげに呟いた。
 その死に顔がなぜか満足げなものだったことも、鳳凰の苛立ちに拍車をかける。

 「まさかこんな、口先だけの大法螺吹きにまたも一杯食わされるとは、例えようもなく不愉快だ……しかし、我のほうにも慢心があったことは認めざるを得まい。猛省せねばなるまいな」

 鳳凰としては、まさか相手も『銃』を持っているとは思わなかったのだろう。
 鳳凰の世界における『銃』が極めて特殊なものであるがゆえに、相手が同じ武器を所持しているという可能性を予想できなかった。
 さらにその武器がいかに強力なものかを知っているがゆえに冷静さを欠き、急所を外す余裕もなく、反射的に撃ち殺してしまった。
 あえて言うならもうひとつ、鳳凰が拳銃の存在を予想できなかった理由として、貝木の所有物に対する先入観が挙げられる。
 忍法記録辿りによる先入観。
 鳳凰の左手に宿る忍法、記録辿り。それは物に残された残留思念を読み取るものであり、当然のこととして読み取る対象物に関わりの深いものの記録しか読むことができない。
 例えば貝木のデイパックであるなら、それをずっと所有していた貝木自身の行動の記録。あるいは、デイパックから出し入れされた物の記録。
 もしデザートイーグルが貝木のデイパックに入っていた支給品だったとしたら、あるいは一度でもデイパックの中にしまわれていたとしたら、その記録を読み取った時点で十中八九、拳銃の存在には気付けていただろう。
 しかしデザートイーグルが取り出されたのは、真庭狂犬のデイパックの中からだった。
 加えて貝木はそれを自分のデイパックにしまうことなく、スーツの懐に入れて携行していた。
 つまり鳳凰にとって不運なことに、そして貝木にとって幸運なことに、デザートイーグルに関する記録は貝木のデイパックにとって対象外の記録だったのである。
 スマートフォンについても同様の理由だ。ただしこっちは、存在が読めていたところで何に使うものなのか鳳凰にはわからなかっただろうが。
 鳳凰が貝木に対し身体検査をしなかったのは、むしろそれが原因だったのかもしれない。
 なまじ記録を読むことができたことで、「貝木の所有物はすべてデイパックの中に入っている」という先入観を作ってしまったということ。
 そこは完全に、鳳凰の油断であり慢心だった。

 「……まあよい。生き残ったのが我であるという事実に変わりはない――それに、随分な収穫もあったことだしな」

 鳳凰は貝木の死体を足で仰向けに転がすと、右手に握られたままの拳銃を力任せにむしり取る。
 それを確認するようにしばらく眺めてから、近くの壁に向けておもむろに銃を構え、発砲した。
 強烈な銃声とともに、弾丸は決して薄くない壁を優々と貫通する。銃声の残響があたりにこだまする中、鳳凰は彼にしては珍しく感嘆したような声を出した。

 「素晴らしい……炎刀と比べて連射性こそやや劣るが、威力のほうは比べ物にならんな。これが手に入ったというだけで、わざわざこの不吉な男のもとを訪れた甲斐があったというものだ」

 炎刀・銃の上位互換に当たる武器、鳳凰はデザートイーグルをそんなふうに解釈し、それを炎刀とともに懐へしまう。
 その際、記録辿りでデザートイーグルの記録を読むことも忘れなかったが、先ほど貝木が撃った以外ではまだ一度も使われていない、という事実しかわからなかった。
 さらに傍らへ放り捨ててあった貝木のデイパックを改めて拾い上げ、その中身を検分する。
 基本の支給品以外では、日本刀、金槌、巨大な棍棒、予備の弾丸、金属で作られた諸々の道具、そして――

 「これが……誠刀・銓?」

 説明書きを読んだだけでは疑わしかったが、記録辿りでその鍔と柄しかない刀を読んだことで「それ」が「そう」であることを確信する。
 変体刀十二本がうち一振り、「誠実さ」に重きを置いて作られた日本刀、誠刀・銓。
 炎刀の類似品だけでなく、誠刀までここで手に入るとは……。

 「しかしこれは、戦闘に使える代物ではないな……当然、これが本物の完成形変体刀である以上、真庭の里の復興のため所有しておくことに変わりはないがな」

 そう言って、誠刀を自分のデイパックの中へ丁重に納める。
 さらにもうひとつ、鳳凰にとって不可解なものがあった。先端に針のついた透明の容器に入れられた、何かの薬品のような怪しい液体。
 幸いそれも、記録辿りによって用途を確認することに成功した。ただしその内容は、投与しただけで「天才」を「凡人」に改変してしまうという、実に眉唾くさい代物だったが。
 貝木の持ち物のうち、不要と思しきもの(地図や名簿など)を除いたすべて支給品を自分のデイパックへ移し変え、さらに今更ながら貝木の死体を検分する。しかし見つかったのは懐の中に入っていた紙幣と硬貨くらいで、めぼしいものは発見できなかった。
 地面に散らばっているスマートフォンの残骸にも少し目を向けたが、それは無視しておくことに決めた。あの状況で優先して破壊するほどのものだったのかと少し気にはなったが。
 念のため、貝木の身に着けている衣服などに対しても記録辿りを行使してみたが、得られた情報はデイパックを読んだときと大差なかった。
 ただひとつ、少しだけ不可解に思うことがあった。
 あの橙色の怪物と対峙する前、破壊される直前の建物と、その付近にあった自動車の記録を読み取ったときにも感じた違和感。
 と言うよりは、この殺し合いの中において忍法記録辿りを行使するたびに必ず、その違和感はあった。
 この場に用意されている物からは、すべて「新しい記録」しか読み取ることができない。
 デイパックを含めすべての支給品、建物、さらに衣服の類ですら、その性質や用途はおおまかに読み取ることはできるものの、ここ数日以前の記録がまったく存在しない。
 たった今読み取った誠刀・銓にしてもそうだ。それが本物の完成形変体刀であるということは理解できるのに、戦国の時代を渡り歩いたはずのその刀から、何の歴史も辿ることができない。
 まるで。
 まるでここに存在しているすべてのものが、例外なくこの殺し合いのためだけに作り出されたものであるかのように。

 「…………やめておこう。これ以上、余計なことを考えるのは」

 鳳凰はデイパックを静かに地面に置くと、瞑想するかのように両の目を閉じる。

 「いらぬ雑念に囚われているから、こんな口先だけの輩につけこまれるのだ――我はもうこの先、誰の虚言にも踊らされぬ。迷いも油断も慢心も、この場ですべて消して失せよう」

 そう言うと鳳凰は、右腕を天へと向けて高々と振り上げる。
 そして竹取山で匂宮出夢の死体にしたのと同じように、その右腕を貝木の死体めがけて力の限り振りかざした。
 《一喰い》(イーティングワン)。
 破壊というよりは、それは爆砕。
 力の制御が利くようになったはずのその右腕は、しかし出夢の死体のときより荒々しく、そして圧倒的に貝木泥舟の死体を爆砕した。
 血も肉も骨も、すべてを霧散させんばかりの一撃。
 デザートイーグルの威力など、まるで霞んでしまうような人外の破壊力。
 地面深くまでめり込んだ右腕を引き抜き、血振りをするようにぶん、と振るう。
 先ほどまで貝木がいたはずの場所には、千々に弾け飛んだ肉片と、申し訳程度に破壊を免れた貝木の身体、そして重機で掘削されたかのようにざっくりと抉られたアスファルトが残されていた。

 「――これより我に迷いなし。ここに存在する全ての者を皆殺しにし、我の悲願を成就させる。それこそが我の進むべき唯一の道」

 そのためなら我は、奈落にでも堕ちよう。
 そう宣言した鳳凰の目には、もはやこの世のものとは思えないほどの深い覚悟が宿っていた。
 闇のように深く、底知れない覚悟が。

 「随分と時間を食ってしまったな……まあ急ぐ道理もあるまい。ゆっくりと確実に、一人ずつ消していけばよいだけのこと。派手に動いて周りに警戒されるのも好ましくない」

 言いながらデイパックの中に手を差し入れる。
 すでに所持品の数が尋常ではなくなってきているが、それがマイナスになるような真庭鳳凰ではない。もたつく様子もなく、すぐに目的のものを中から取り出す。
 数刻前に西東天から鳳凰の手に渡った支給品、首輪探知機。
 現在の区域であるE-7内に反応はないが、ここからF-7までは目と鼻の先だ。境界をまたげば、また誰かの名前を見つけることができるやも知れぬ。ついでに図書館とかいう場所を探索しておくのもよいか――
 そんなふうに行動の指針を決め、首輪探知機を片手に歩き出そうとする鳳凰。
 が、そこで何かを思い出したようにはたと足を止める。

 「そういえば、これをまだ調べていなかったな」

 そう言って取り出したのは、鳳凰の元々の支給品であるノートパソコンだった。
 何に使うものかすら不明だったがゆえに調べることすらせず放置していたが、西東天がそれを見た際の発言からかなり利便性の高い道具であることは想像できた。
 使い方さえ把握できれば、これも強力な武器となるかもしれない。

 「どれ、読んでみるとするか……可能な限り、念入りにな」

 もはやルーチンワークのような動作で、鳳凰はノートパソコンを左手でつかみ瞑目する。
 それに残された記録を余すところなく掬い上げようと、左手に意識を集中させる。
 深く、深く、深く。
 記憶の残滓の中へ、己の意識を潜行させる。
 数十秒か、あるいは数分か。それなりに長い時間をかけて、鳳凰はそれの記録を読み取った。

 「…………なるほど」

 しばらくののち、記録を辿り終えた鳳凰は閉じていた目を開き、静かにそう呟く。
 そしてそのままノートパソコンを開くことも起動することもせず、それを自分のデイパックの中へそっとしまいこんだ。

 「さっぱり分からん」


【1日目/夕方/E-7】
【真庭鳳凰@刀語】
[状態]身体的疲労(小)、精神的疲労(小)、左腕負傷
[装備]炎刀・銃(回転式3/6、自動式7/11)@刀語、デザートイーグル(6/8)@めだかボックス、匂宮出夢の右腕(命結びにより)
[道具]支給品一式×6(うち一つは食料と水なし)、名簿、懐中電灯×2、コンパス、時計、菓子類多数、輪ゴム(箱一つ分)、
   首輪×1、真庭鳳凰の元右腕×1、ノートパソコン@現実、けん玉@人間シリーズ、日本酒@物語シリーズ、トランプ@めだかボックス、鎌@めだかボックス、
   薙刀@人間シリーズ、シュシュ@物語シリーズ、アイアンステッキ@めだかボックス、蛮勇の刀@めだかボックス、拡声器(メガホン型)@現実、首輪探知機@不明、
   誠刀・銓@刀語、日本刀@刀語、狼牙棒@めだかボックス、金槌@世界シリーズ、デザートイーグルの予備弾(40/40)、
   「箱庭学園の鍵、風紀委員専用の手錠とその鍵、ノーマライズ・リキッド、チョウシのメガネ@オリジナル×13、小型なデジタルカメラ@不明、
   マンガ(複数)@不明、三徳包丁@現実、中華なべ@現実、虫よけスプレー@不明、応急処置セット@不明、鍋のふた@現実、出刃包丁@現実、
   食料(菓子パン、おにぎり、ジュース、お茶、etc.)@現実、おみやげ(複数)@オリジナル、『箱庭学園で見つけた貴重品諸々、骨董アパートと展望台で見つけた物』」
   (「」内は現地調達品です。『』の内容は後の書き手様方にお任せします)
[思考]
基本:優勝し、真庭の里を復興する
 1:F-7へ移動し、他の参加者がいたら殺しに向かう
 2:虚刀流を見つけたら名簿を渡す
 3:余計な迷いは捨て、目的だけに専念する
 4:ノートパソコンや拡声器については保留
[備考]
 ※時系列は死亡後です。
 ※首輪のおおよその構造は分かりましたが、それ以外(外す方法やどうやって爆発するかなど)はまるで分かっていません
 ※支給品の食料は乾パン×5、バームクーヘン×3、メロンパン×3です。
 ※右腕に対する恐怖心を克服しました。が、今後、何かのきっかけで異常をきたす可能性は残ってます。
 ※記録辿りによって貝木の行動の記録を間接的に読み取りました。が、すべてを詳細に読み取れたわけではありません。
 ※首輪探知機――円形のディスプレイに参加者の現在位置と名前、エリアの境界線が表示される。範囲は探知機を中心とする一エリア分。

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Let Loose(Red Loser) 真庭鳳凰 零崎舞織の暴走

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最終更新:2013年10月05日 12:23