東ロアームル第7代の王
即位以来、
アルマード、
ドレスクワ、
フランクールを20年の間に併呑。2帝時代以降最大の版図を獲得し、
東ロアームル最高の隆盛を築いた。
反面、あまりに軍事至上主義に徹したため国内の文化的、福祉的事業はなおざりとなっており、それを危惧する声もある。
また、民族主義を推し進め被征服国の国民を下層民と位置づけたりするなどの差別的な政策は、下層民とみなされた層はもちろん、元々の
東ロアームル国民の一部ですら批判の対象としている。
しかしながら国土の拡張、国力の充実が富裕層や大多数の国民からは熱烈な支持を受け、体制としては磐石であった。
ミオナメルテ会戦に際し大規模な迂回包囲戦術を採り、本陣が手薄になった隙を
カルムルード率いる歩兵兵団に急襲され戦死。
指揮系統が壊滅した東ロアームル軍は各個撃破されたが、仮に成功していれば戦勝は確実であったといわれる。
軍事的な業績の大きさに対して、文治的な評価は芳しくない。これは当人も自覚していたようで「剣の時代は1代で終わらせねば、国が死ぬ」との言葉を左大公
エリアス・ウィル・ファブリナードが耳にしている。当時の宮廷に仕えた人々の中には、広大な版図を獲得した後は、息子たちの平穏な統治を期待していたとと語る声も多い。
蔑んだ我が子に殺されるとの憂き目に会っている事から、家庭内での人となりは良いものではなかったと見られがちである。
実の息子を「穢れた血」と蔑んだりことさら冷淡に接したりするなど父としては見本となるとは言い難いが、
カルムルードに対して最も高い評価を下していたのはギルミニューレかもしれない。
若干15歳にて一地方の総督を任せたり、私兵ともいえる軍団の編成を許可したのは期待の表れだったとも言える。その一方で母を離縁したり公然と罵倒したりするなど、後継者であるはずの
アルトリーヴへの情は薄かったと言わざるを得ない。この事から
アルトリーヴを血統の盾とした統治の下で、
カルムルードを実質上の後継者とみなしていたのではないかとの説もある。
「王が治めての国ならば、血涙をもって国土を固めるのは王の責務である」
「高貴ならぬ血なれば、それを理解できぬか」
「流れる血が足りぬなら、己が血を加えるのみ。さがれ」
「20余年流し続けた血に一滴加わるだけのことよ」
「いずれ、冥府でまみえん」
「狂うのは、このただ一度」
最終更新:2007年08月30日 22:00