「……………………………さて」
こうして合流した二人であったが何故か彼方はみょんと一定の距離をとって歩いている。
みょんが気になって近づくと彼方は離れ、端っこに追い詰めても彼方はみょんの頭上を飛び反対側に移動する。
無理にすり寄ろうとすればほんのちょっと蹴り飛ばす程だ。敵意にしても悪意にしても違和感がありすぎる。
「あの………………かなた殿?」
「つーん」
名次がいなくなってから急にこうなってしまった。みょんは彼方が名次と良い関係になってしまったからこう無愛想になってしまったと思ったが
名次と彼方の出会いの浅さはみょんも知っている。
では原因は一体何なのだろうか。
「かなた殿、何でみょんを避けるでござるか」
「……………………………やっぱみょんさんだけだと心細いから」
「そうでござるか」
全然道理に合ってない。ノリで納得してしまったが、彼方は答えと全く逆の行動を起こしている。
「これからの旅は確かに心細うござろう。だがそれなら近づくべきだみょん」
「駄目駄目、近づいちゃ。国を出るまで我慢我慢」
「………………………………………かなた殿?何を隠しているのでござろうか」
そう尋ねると彼方の体はビクッと跳ね上がる。図星か。
しかしどうせ教えてくれとせがんでもこの娘は話してくれなさそうなのでみょんは一人で考えることにした。
「…………………………………………………」
まず彼方がこのみょんに敵意とか憎しみはそう無い。あるというならばこの子の性格上もっと攻撃的になっても良いはずだ。
現に先ほど盛大に轢いてしまったときは頭突き、張り手、蹴鞠、超人絞殺刑、大雪山おとしと酷いものであった。
考えを進めて彼方の性格を改めて考えてみるとそもそもこのシカトは自主的に行っているものなのであるのかと言う疑問に思い至る。
誰かの命令だろうか。命令するとしたらあの宰相しかいるまい。いや違うだろう。
考えを進めるごとに否定が繰り返されて論理の整理が追いつかずみょんは頭を抱えた。
では何故違うか、それはもしあの宰相が命令するならこうして二人が会うことはなかったはずだ。
こうして会っていると言うことは宰相の命令ではない。
……………………………もしかしたら『命令』ではないのかもしれない。
彼方が潔玉城で知っている身分の高い人と言えば幽微意様と宰相ぐらい。それ以外は見知らぬ他人だ、命令を聞く義理もない。
『お願い』なら彼方はこんな事しない。なら『脅迫』か?
その時、みょんの脳裏に一人の男の姿が映し出された。
「…………………………………桜庭…………………幻蝶」
「…………………………………だれ?桜庭って…………」
「……………………かなた殿、もしかしたら潔玉城で…………何か変な男に変なこと言われなかったみょん?」
順調に歩を進めていた彼方の足が急に止まった。頬からは冷や汗がジトリジトリと流れ出て瞳は無意識的にみょんから外そうとしている。
「………………なんか目以外を覆面で隠して魚のような瞳してるみょん、それで後ろ髪を蝶のような形に………」
「え、ええと声は?声はどうなの?」
この反応からすると当たりのようだ。しかし姿を見せずに脅迫したとは相変わらず嫌な男だ。
「ええと、○○○○(←適当に誰かの名前でも入れて下さい)のような声だったみょん」
「………………………………………ひ、ひひひひひひひひひひ」
もうこれは確実だ。彼方は小刻みに震えながら胸をずっと押さえ、奇妙に唸り始める。
「かなた殿!そいつのいう事は絶対聞いちゃならないでござる!!!そいつは西行国一の厄介な男みょん!」
「で、でも、こ、こわいよぉぉぉ」
「とにかく早くこの国から出るでござる!そうすればヤツも仕事柄国を出ることもないだろうし!」
アイツに目を付けられたら危険だ。何てったってアイツはこの西行国の隠密隊長だから!!
焦りを感じみょんが駆け出そうとした瞬間、何本かの手裏剣が二人を囲むように地面に突き刺さった。
「…………………困ったもんだみょん………」
いくつもの影がみょんたちを囲む。人間大からゆっくり大まで約十人。全員が全員桜の模様が描かれている忍者服を身に纏っていた。
「な、なな何なのこの人達!」
忍者にトラウマがあるからか彼方はみょんは恐怖で立つことが出来ず、そのままみょんにすがり寄ってきた。
「…………………『桜庭忍軍』西行国の隠密部隊みょん」
「そ、その桜庭忍軍が何で私たちにぃ!!」
「それはお前達が命令に逆らったからだ」
そんなみょんの聞き覚えのある声がどこからか聞こえてきた。恐らく彼方も聞き覚えがある声だろう。
だがその声の主は何処にも見あたらない。
「……………………姿を現すみょん、桜庭幻蝶!!」
「ふん」
みょんはとっさに声のした方向に振り向き羊羹剣を構える。
そこにはたった一本の木があるだけ、しかしその木の影からぬらりと男の姿が現れた。
目以外を追った覆面、魚のような瞳、蝶の形に縛った後ろ髪、桜吹雪模様の忍者装束。
常に怖気と寒気を帯びた目つき、力を入れてないかのように垂れ下がった腕、ほんのちょっぴり上に反らした体。
ぬらりぬらりとゆっくり足を進め、ほんの二の腕程の太さの木の影からその男は現れた。
「命令?それ如きでどうして貴様達が出てくるみょん。それとかなた殿に一体何したみょん!」
「……………はん、少しわんぱくだったんでな。お仕置きさせて貰った」
「ひぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!」
彼方は先ほどから胸を抱えて蹲っている。目からは躊躇いもなく涙が溢れ出して彼方の頬を伝い地面にこぼれ落ちていった。
あの意地っ張りがこうも簡単に泣くなんて、そう考えるだけでみょんは目の前の男に果てしない怒りが湧き出てくる。
この男、桜庭幻蝶とは同期の仲だ。それ故に仕事を一緒に行うことが多かったが如何せんこの下衆な性格はどうやっても好きになれなかった。
だが仕事を一緒に行ったことだけはあって、みょんはこの男の実力を知っている。
「びえええええええええええええええええええええええええええん!!!!!!!!!!むねがぁ!!むねがぁぁああああん!!」
「胸!?まさか貴様!かなた殿のこの豊潤な胸を!」
「………………………………………はっ、好きに想像するが良い」
「わだじの!わだじのむねをあいづがめちゃくちゃに!揉みしだいたぁぁぁ!!!」
「…………………………………………………おい」
冷静な雰囲気を漂わせていた幻蝶も流石にこの時ばかりは困惑の表情を見せた。
想像に任せると言ったが実際はやってない。
「わだじのでいぞうがぁ………………あんなぎたないおどごにぃ、きもじわるがったよぉぉぉぉぉぉ!!!」
「みょ、みょ、貴様ああああああああああああああああああああああ!!!」
「何でそこで嘘をつく!!!私は揉みしだいてなんかいないぞ!針で刺しただけだろうが!!」
「はりでざじで、びんがんになっだどごろをぐにぐにどぉ!ずごいよね!はりちりょう!」
「ガキィィィィ!!!実は平気なんだろ!!!そうだろ!あぁん!?」
先ほどまでの空気も何処へやら、廻りの忍者達もすっかりこの状況に呆れかえっている程である。
幻蝶は一睨みで無理矢理彼方を黙らせみょんに向かってゆらりと歩を進めた。
「…………………なんだ、みょん。この私に刀を向けているのか?」
「そうみょん、お前はどう言っても聞きそうにないからみょん」
「………一応これでも命令を受けているのだがな」
そう言って幻蝶は懐から一つの巻物を取り出し二人に中身を見せつけた。
「西行幽微意幽意様からの命令書だ。この通り真名身四妖夢を連れ帰せよとのお達しがあったから今私たちは動いているんだよ」
「はっ!それが本当に幽微意様のものかわかりゃしないみょん。どうせおのと殿かそれとも貴様等の捏造みょん!」
もう幽微意様の命令と言っても絶対に信じられない。それがこの国の現状だ。
それでいてこの西行国が至って平和なのはあの宰相の力量がありすぎるからだろうか。
「はぁぁ、いけないなぁ国主のことを悪く言っては…………………」
ほんの少しだけ、風の揺れる音がはっきりと聞こえるほど静かな時が流れる。
もう話し合いは意味を持たない。ここから先は相手の動きを見極める必要がある。
「……………………………………………………」
「……………………………………………」
そして、一つ茂みが揺れる音が聞こえた。
「かなた殿ッ!!奥の方へ逃げるみょん!」
「え、あ、え、でも、ほかの忍者が、あれ?」
いつの間にだろうか周りにいた忍者は全員姿を消している。だが彼方が疑問に思っている暇もなくみょんは彼方を遠く突き飛ばした。
「いだっ!」
「鍵山流!流し雛!!!」
突然みょんは羊羹剣を振り落としたかと思うと飛び跳ねて空中で縦回転しそのまま地面に着陸する。
彼方は訳が分からずみょんに近寄ろうとしたがその瞬間目の前の地面がいきなりはじけ飛んだ。
それに驚き彼方は腰を抜かして咄嗟に近くの木に隠れる。
「…………………………え、え、え、え、え」
「そこは射程距離外みょん。そこでじっとしてれば大丈夫でござる」
彼方は一瞬何が起こったか理解できなかった。いつの間にか他の忍者が消え、そしていつの間にか攻撃されていた。
みょんは何か理解していたのだろうか。彼方はみょんと幻蝶の二人の間ををまじまじと見つめる。
「………………相変わらず嫌なもんみょん」
「ふん、だがこんな嫌なものでも意外と役に立つぞ」
幻蝶の方をよく見るとその手に刀の鍔が握られていることに気付く、しかしその刀の鍔には肝心な刀身自体がない。
「………………そうだ、貴様等に贈り物だ。縁もあるからと思ってな」
「…………………………贈り物?」
「ほらっ受け取れ」
幻蝶は懐から何かを取り出しそのままみょんに向かって放物線を描くように軽く投げつけ、音もなくそれは地面に落ちた。
みょんは警戒して一歩引いてその物体が何なのかを確認する。
「……………………これは」
「な、なんなの?みょんさんまさか…………」
「髪の毛でござる」
みょんは恐る恐るその髪の毛の束を掴み危険がないか確かめた。その髪はまるで髷を切り落としたかのような形だ。
………………………………………………………………………………
「いやな、命令に従わない者がいたから」
誰のだ。
「そんな奴はな、この国にとってきっと良くないだろう?」
髷は武士の象徴ではないのか。
「だから俺たちの手で辞めさせてやったんだよ」
辞めさせた?忍者が?武士を?つまりは、
「名前知ってるよな、そりゃさっきまで会ってたんだから」
「キ、サ、マァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
みょんのゆっくりしてない怒号がこの空間に響き渡る。
彼方も先ほどの幻蝶の言葉でその髷の主が誰なのか理解した。そして、その主がどうなったかも。
「いやあああああああああああああああああああああ!!!!なつぎさああああああああああああああああああああああああああんんん!!!!」
「そんな叫ぶな、たかが死んだだけじゃないか」
「貴様は何処まで腐っている!!どうしてもこの羊羹剣の錆になりたいかぁ!!!」
みょんもあの奇妙な語尾を付けることも忘れて怒り狂っている。
この死を何とも思わぬおぞましい隠密に、下らぬ事で私的制裁を行ったこのゲスに!!!
「…………………なんだよ、襲いかかればいいだろ?雌豹が」
だがこんなに怒りで心が燃えさかっているというのにみょんは斬りかかることが出来なかった。
みょんはこの男の恐ろしさを良く知っている。感情にまかせて動けばまず間違いなく殺されてしまうことを頭でもあんこでも覚えているからだ!
だが、それを知らない彼方は、どうなのであろうか。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、ばか、ばか、ばかぁばかぁ!!ころしてやるころしてやる!!!しね!しね!!!うあああああああ」
たった四五時間の付き合いのはずなのに、どうしてこんなに涙があふれ出てくるのだろうか。
彼方は怒りと悲しみのまま木の影から飛び出して、刀を鞘から抜き出し幻蝶に斬りかかろうとする。
一回切っただけでも折れてしまうという事は知っているはずだけど、どうしても彼方は我慢できなかったのだ。
「止まるみょんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!!」
みょんは抜き身の刀を振り回す彼方に向かって頭突きをみぞおちに喰らわせる。
そのまま彼方は仰向けに倒れてみょんはその上に覆い被さる形となった。所謂騎乗位という体位である。
「不用意に近づくな!!!死ぬぞ!!」
「え…………」
その瞬間、二人の横にあった木が彼方のちょうど首の位置で切り落とされ、不運にもその切れた大木が彼方の両足を見事に押しつぶしていった。
「い、いぎぃ!!!」
「かなた殿!」
「い、今の、何、糸!?」
仰向けになった彼方の目に映ったのは薄く光る糸。その糸が大木を切り倒した後もなお空中で蠢いている。
「………………………………なに、これ」
「………………弓剣『幻死』、アイツが持っている刀でござる」
「…………あれが?」
空に舞う糸に絡まれないよう彼方は体を起こして幻蝶の握っている刀の鍔を見てみる。
その鍔から何本もの光の筋が幻蝶の手によってうねうねと生き物みたいに動かされていた。
「…………………全く、ほんと嫌なものだみょん。あれの何処が刀みょん!そしてマジうぜぇ!」
「………………………………こんなの、こんなのって…………」
彼方の声がどんどん弱々しくなるのを感じてみょんは彼方の顔を見つめた。
先ほどまで涙を流しつつも怒りに満ちあふれていたはずの表情が、今ではその片鱗すらない、諦めと悲壮感を丸出しにして泣くのを堪えている。
「名次さんがこんなに殺されてぇ………もうやだぁ、やだよぉぉぉ………昨日もアイツが、アイツが私の胸を針で容赦なく刺して……
早く帰りたいよぉ!本当にやだ、やだぁぁ!真白木さんん……助けてよぉ…………」
怯え始めたのは命の危険を本格的に感じたから、泣くのを止めたのは出来るだけ幻蝶の癇に障らないようにするため。
力の差を思い知った彼方はもう過去のことを思い出しながら命乞いすることしかできなかった。
「殺す」
「………………………え?」
「アイツだけは絶対に殺す」
だがみょんはそれを絶対に良としなかった。
みょんは弱々しく怯える彼方を背にして、倒れた大木の上に載り幻蝶と睨み合う。そのゆっくりの目には幻蝶に対する殺意が渦巻いていた。
「………………………みょん!!」
みょんは勢いよく踏み出し一直線に幻蝶に向かって走り出す。
そのみょんの動きに合わせるように糸も怪しく蠢きみょんに襲いかかった!
「いくら極細の刀と言えど巻き付かれなければどうと言うことはないみょん!!」
「はっ!!」
みょんは糸と糸のスキ間を器用にくぐり抜け幻蝶との距離を縮める。
幸いだったのはみょんがゆっくりだったことだろう、人間だったなら身動き一つ取れず首と胴体が切り離されている。
「ゆっくりとの戦闘経験はそんなにないだろうみょん!」
「舐めるなっ!!」
羊羹剣で糸を探ることでみょんは無難かつ着実に距離を詰めていっている。
だが幻蝶はそんなみょんに対して手に持っていた弓剣の鍔を思いっきり投げつけた!!
「みょっ!!!」
突然の投擲にみょんは回避することを忘れ羊羹剣を目の前に構えてその鍔を弾き飛ばした。
だがその突拍子のない行動に対する動揺は大きい、弾き飛ばしたのは良いがその後みょんは動く事が出来なかった。
「な、な、みょん!みょ、!!!!!!!!!!!!!」
その一瞬だった。空中を舞っていた糸が突如変則的な動きをしてみょんの頬を鋭利に傷つけていったのだ。
何故刀と人を繋ぐといえるような鍔を投げつけたのか、それでいて何故糸を操れるのか。
答えは簡単だ。弓剣にとって鍔は飾り以外の何者でもない、弓剣の本質は糸そのものなのだ!
「みょんんんんん!!!」
鍔という重りを手に入れた弓剣は今までよりも何倍の速度でみょんに襲いかかる。
相手の懐に入れば弓剣は無効化出来るのだ、だが幻蝶は指で糸を巧みに操りその様な余裕をみょんに与えはしない。
「おのれ!忍者汚いみょん!」
「汚くて結構、それが忍者だ」
みょんはこの状況に詰まりを感じ一度後退し彼方の元へ戻る。
この弓剣は勢いを付けて薙ぎ払うか、それとも巻き付けて一気に引き裂くか、そのどちらかで攻撃する刀だ。
だから倒れた大木の影となって糸の勢いを殺し、巻き付かれないような位置となっているここは絶好の安全地帯なのである。
「…………………………ね、ねぇ、ねぇみょんさん」
「ん?何でござるかかなた殿。木の影にいれば安全でござるから安心して欲しいでござる」
しかし足が潰されたことはすっかり忘れているみょん。春明けで土壌が柔らかくなっていたのが不幸中の幸いである。
「…………………なんであんな糸で木とかが切れるの?おかしいよ、きっと見えない武器で切ってるんじゃ………」
「………………………ああ、そこら辺がタチ悪いみょん………」
例え綿や絹のような糸で斬ろうとしたって糸の方が切れるだけ、そもそも軽い糸があんなにうねうねと動くはずがない。
彼方は先ほどからそう思って戦いを見ていたがみょんはそれを否定した。
「ただの糸なら弓剣という名前はつかないみょん。あれは……………金属の糸みょん」
「…………………………き、金属の糸って、針金みたいな?でも針金ならあんなに撓るはずが」
「詳しくは知らないけど、あれはとってもと~~~~~っても小さい金属が集まって出来た糸みょん。だから鞭のように撓るでござる」
「そんな小さい金属有るはずが無いじゃない!!」
「だからタチが悪いって言ってるんだみょん!!!あれはこの日元でも一二の技術力で作られた刀なんだみょん!!」
つい声を張り上げてしまいみょんは急いで幻蝶の方を見る。
今も空中で糸がうねっているが幻蝶はあの場から一歩も動いていない。
「ふん、この剣についての紹介どうもありがとう。そう、これはこの日元で最も美しく、最もしなやかで、最も折れにくい剣だ。
仕事で手に入れたからな、有り難く使わせて貰っている」
「……………………………………本当に、嫌な奴みょん」
「…………………………………………………………でも、どれだけ刀が良くても使う人がどうしようもなきゃ……」
「かなた殿!屈むみょん!!!」
もう十分屈んでいるが突然だったので彼方は今の体勢よりずっと深く屈む。
彼方が肘を地面に付けた瞬間であろうか、地面に倒れている大木が大きく横一線に傷がついたのだ。
「………………………………!!!何で、後ろから?」
あの幻蝶の位置からは前か上からしかこの位置へ攻撃できないはずだ。だが今の攻撃は後ろから狙ったものだ。
「……………きっと廻りの障害物を経由して襲いかかったんだみょん。これが噂に聞く『曲絃糸』でござる」
「あ、聞いた事がある……………」
曲絃糸:主に相手を拘束するために作られた糸を操る技術。もしくはその際に使う糸の総称。
その使用法は多岐にわたり、その他にも垂直降下、止血、果ては殺人にも使うことが出来る。
効果範囲が広ければ広いほどその糸の力は弱くなるが逆に室内のような場所だと絶対の攻撃力を持ち、
かつての策士シオギ・ハギワラを死に至らしめたのもこの技術と言われる(もっともシオギもこの技術を作戦に使わせていたこともある)
使用したいというのならとりあえず指や腕を器用に使うことから始めよう。綾取りはもちろん剣玉も完璧に出来るように。
スタンガンと順逆自在の術には注意。返り討ちに遭います。
~民明書房刊「これであなたもノビタ君!」より抜粋
そして追い打ちをかける事実がもう一つ。
弓剣は金属で構成されているので通常の糸より張りと重量がある。簡単に言えば速く、そして遠くに投げることが出来るのだ。
攻撃力、攻撃速度、攻撃範囲の三拍子が揃った完璧に構築された攻撃手段。それを難なくやってのける幻蝶の技術力は並のものではない。
「……………………こ、こ、こ、こ、ここんなのにかてるわけな、なななないぃ、もういやぁぁぁぁ!!!!」
「落ち着くみょん、木に張り付き、地面に伏せばなんとか逃れられるでござ」
「うるざぁああああああああああああい!!!!!!!!!!!!!」
とうとう彼方は感情が抑えきれなくなり癇癪を起こし地面に蹲った。
悲しみや恨み、それらを忘れてしまうほどの力の差。彼方はもう生きることさえ諦めかけている。
「もうやだ死んじゃううううう!!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!!」
「………………………………何を言うみょん、かなた殿は死なぬ、みょんが守るでござる」
「だってだってだってだって!!!あんな、あんな、勝てない、絶対に勝てない」
「黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
みょんはとうとうゆっくりしてない声で彼方を怒鳴りつけた。
さっきからこの目の前のガキは泣き言ばっか、鬱陶しいったらありゃしない。
「さっきから死ぬとかうるさいみょん。だったらそこで死んでろ!!」
「…………………………………う、う、で、でも勝てない…………あんなのに勝てない」
みょんがゆっくりの口から発せられたとは思えないようなキツイ言葉を浴びせても彼方はまだ生きることを止めようとしている。
なぜならこの癇癪は先ほどまでのものとはまるっきり異なっているから。相手との戦力差を完全に認識したからこそのこの癇癪。
理性が感情を制御できないのではなく、理性が感情を暴走させているのだ。
しかしそれならみょんも同じ様な心境のはず。
「…………………………かなた殿」
「ひっく、ひっく、いっそ優しく殺してぇ」
「……………………まさかこのみょんを見くびってるんじゃあないのかみょん?」
ドスのきいた声でみょんは彼方を脅しつけ、そして羊羹剣で彼方の両頬を叩く。
そう、みょんには確固たる自信がある。この男とは対等に戦えると!勝つことも出来ると!
「みょおん!!」
「!!」
みょんは彼方の胸を踏み台にして大きく宙に舞う。
そして大木の上に着地したと思うとみょんは大木にへばりつき平べったく潰れるような状態となった。
「!!」
「…………みょん。人鳥流『弾映弾』!!」
自らの体の弾性力を上手く使い、みょんは幻蝶のいる場所へと速度と共に飛んでいく。
「愚かッッ!!曲弦糸は元来静の技だ!!!」
だが幻蝶は即座に反応し、みょんが飛ぶであろう軌跡に糸を展開させる。
今のみょんほどの速度なら例え糸が動いていなくとも触れれば細切れは確実。しかしみょんはそれを知っていても軌道を変えようとはしない。
「なぜ避けない妖夢ッッ!!」
「見ろッッ!!かなた殿!!これが真名身四妖夢の実力だ!!!」
みょんは持っていた羊羹剣を目の前に逆さに構えて糸にぶつかっていく。
「妖々夢『白玉階段』!!!!」
弓剣は最高の切れ味を持っている、それは普通の刀を平気で切り落としてしまうほど。それをさりげなく幻蝶は誇りに思っていた。
だがみょんの羊羹剣はこの速度であってもその切断力をものともせず、盾となってみょんの体を守った。
その上みょんはその勢いを殺さず糸を乗り越え、回転力まで付けて次から次へと糸の結界をくぐり抜けていった。
「沓破流!『鋸鋸』!!」
そして最後の結界を抜けたみょんは縦回転を持って、困惑している幻蝶の頭部に渾身の一撃をお見舞いした!!!
「が、が、があああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
「ダメ押しに!蘭流『蜂破り』!!」
最後にみょんは幻蝶の額に羊羹剣を突き立てて、難なく地面に着陸する。
技の勢いが足りなかったからか額は出血程度で済んだが、頭部の損傷は大きく幻蝶は大きく揺らめきとうとう地面に伏した。
「………………………………………かなた殿、だから諦めちゃいけないでござる」
「………………………………」
今の一連の行動には全く隙がなかった。あそこまでの速度を出せることも、器用に糸を弾くのも普通のゆっくりに出来る技のようには思えなかった。
そして彼方はやっと知った。このゆっくりは強いんだと、しっかりと自分を守ってくれるんだと。
それに気付いた時、彼方の目には大粒の涙があふれ出ていた。後悔と懺悔の想いが止めどなく湧き出てくる。
「ごめん、ごめんなさああああああああああい!!みょんさんは強いよぉ!ちんけなんて言ってごめんなさぁぁぁぁぁいいいいい!!!」
みょんは泣きじゃくる彼方の元へ向かいその豊満な胸の中へと飛び込んでいった。
「………………………ちがうみょん、みょんはちんけなゆっくりみょん。所詮1人なんてちんp………ちんけだみょん
でもちんけなゆっくりでも夢を叶えたいと思うみょん。かなた殿が来てくれたことにみょんは感謝してるみょん」
「みょんざんんんん………」
「……………………………ふぅ、ちょっと休ませて欲しいみょん」
そう言ってみょんは球体であった体をゾル状にしてだらりと彼方の膝の上に垂れた。
幻蝶も死んでこれで全てが終わった、いや全てが始まる。
そう思って彼方は気が抜け、自分も眠りにつこうとした。
「……………………ぐ、ぐぐぐぐぐ」
突然そんなうなり声が聞こえ彼方とみょんは唐突に目が覚める。
この聞き覚えのある声、2人は大木の影に隠れながらその声の方を向いた。
「…………………………妖夢ゥ、妖夢ゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
「あ、あ、あいつ、生きてるよ!!」
「……………………………ああ、生きてるみょん」
「何であれで死んでないの!?」
幻蝶は頭を抱えながらゆっくりと立ち上がっていく。額からは血が次から次へと溢れ出して顔面は赤一色だ。
「アイツは忍者、あんな手負いを受けて戦っていくような奴じゃないみょん、自ずと撤退するでござる」
「うへぇ、ほんとぉ………………………」
そう言われるが彼方は警戒心が抜けず大木に隠れながら幻蝶の様子を見る。
あれだけ殺す殺すと言っていたがあんな無様な姿を見ている内に気力が削がれていった。しかし恨みや憎しみが消えたわけではない。
「………………………そのまま帰って死にやがれ」
「………………………………死ぬ?ケヒヒ」
まるで痛みを感じていないように微かに笑う幻蝶、光のない瞳もその気味の悪さを後押ししている。
もうコイツの顔なんて見たくもない、早く死ぬか逃げるがどっちかしてくれ。と彼方は切に願っていた。
「妖夢、妖夢、妖夢、妖夢、妖夢、妖夢、妖夢…………………」
だが幻蝶はその場を一歩も動く気配がない。それどころか上の空で何回もみょんの名前を呟いている。
「………………………………………………な、何なの気色悪い!さっさと死ね!!!ホントに死んじゃえよ!!」
「………………………………お前が」
「なんだよもう私に関わるな!!名次さん殺したお前なんて見たくもない!!!敗者なんだから素直に死んじまえ!!」
「お前が死ね、小娘」
あの奇妙な瞳が殺意を放ち、彼方はその圧倒的な威圧に一気に萎縮してまった。
何でコイツは私にここまで殺意を、そして何で逃げないんだ!!!!
「うらああああああああああああああああああああ!!!」
「!!!!!」
幻蝶は腕を大きく振り弓剣を再びこの空間に展開させた。
だが殺意の込められた糸は先ほどとは桁違いの動きをする。ありとあらゆる方向から、ありとあらゆるものを薙ぎ払って彼方に襲いかかる!
「!みょん!!!!」
彼方の危機を察知してみょんは張りのある球体の状態に戻り羊羹剣で糸を薙ぎ払う。
しかし予想を反しての攻撃にみょんは全てに対応しきれない。
あいつは外道ながらもそれなりに頭が回る男、あれだけの負傷なら絶対に撤退をするはずなのだ。
「いだっ!!!いだだだだだだ!!!」
「かなた殿ッッ!?」
羊羹剣で取りこぼした糸が彼方の髪に絡みつき、そのまま髪を勢いよく持ち上げた。
「首切りでは済まさん。宙づりにして頭から足の先まで輪切りにしてやる!!!!」
「う、うぐ、とうひがいだいいいいいいい!!!」
「かなた殿今外すでござる!!!」
みょんは糸から彼方を放すために彼方の髪を斬ろうとしたが廻りから襲い来る糸で手一杯だった。
次第に彼方の髪は完全に持ち上がり今度は体が持ち上がっていく。
みょんの届かない位置まで持ち上げられたらお終いだ。だが幻蝶はみょんが彼方の体を駆け上がることを許さない。
「いだだだだだだだだだだだ!!!!!!!!!!!いやだあああああああああ!!!」
「げんちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」
腰が浮き、脚が浮いて彼方の体は糸に引かれどんどん持ち上がっていく。
そして足が浮く段階まで体が持ち上がり、そこで動きは止まった。
「!!!!!!」
そう、先ほどまでずっと彼方の足は大木に押しつぶされていたままであった。
そのおかげで体が宙に浮くことはなくなった、しかし糸の張力はまだ続き今度は彼方の体を苦しめていった。
「くびが!くびが!あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃががやぎゃ!!!」
「みょん!今でござる」
みょんは彼方の体を廻りながらよじ登り、彼方の髪を縛られている部分で切り離す。
彼方は尻餅をつくような形で地面に落ち、焦りながらも再び大木の死角に隠れた。
「………………幻蝶、何故貴様は逃げない?そして何故かなた殿を目の敵にする」
起き上がってからの幻蝶の攻撃は全てみょんに対してではなく彼方に向けられた攻撃であった。
命令だとしたら目的はこのみょんのはずだ。先ほどから道理が通らない。
「………………………………………………この場だから言う」
幻蝶は突然腕を動かすのを止めてみょんと目を合わす。
相変わらず魚のような瞳で気味が悪いが何処かしら真摯な輝きがあった。
「………………………………………………私、いや俺は」
「………………」
「………………………………………………お前が好きだ」
最終更新:2010年01月31日 10:22